第二章 土螢➁

「なぜあの男を通した」


「それが衛士はオノファトさまより、ラシエトン氏に礼を欠く行いをするなと通告されておりまして。無下にするにもまいりません」


————ラシエトン氏が殿下に謁見を申し出ています。


 衛士の報告を受けて、あの意志の弱そうな男の顔を想起する。全くもって、困り果てた眉尻の下がり具合など、娘のアソカにそっくりで腹の内から苦々しくなる。


 追い返しても、追い返しても、あの男は善神となった娘に会うために幣巓城へと無作法に足を踏み入れる。


 副皇は政治に手を出せない代替として祭祀を司る。父である先代祝皇がファノイを後継と指名した結果、弟であるファーアンが副皇の座へと必然的に就くことが決まった。祝皇直系の男児であれば、弟でも王座に就く機会が与えられる。後継者に指名さえされれば。


 皇太子時代ファノイはイルㇽ人に傾倒して、あまつさえイルㇽ人の女に惚れて、位階持ちの娘を選ばずに悪神の末裔の女を手許に置いた。当然反発はあったし、ファーアンも兄の所業を不気味な存在に思えてならなかった。


 だが、こうして進んで反感を得ているのなら自業自得だろう、とファーアンは口を挟む気にもならなかった。自ら皇位を手放すなら、好都合だったから。


 それなのに、結果はどうだ?


 先代祝皇は後継にファノイを選んだ。イルㇽの女を皇太子妃にまで召し上げて、その身に穢れを受けてまで目合った男が、祝皇なのだ。そうして神聖なる血と卑俗なる血の混血として生まれたのがオノファトだった。


 ファノイはともかく、オノファトは幼児期から聡い皇子で、煩慮の重圧や見縊るような接遇など静心として躱してみせる。皇子としての教育も水のごとく吸収していると聞く。絵に描いたような皇子だが、その血を鑑みると後継には不向きだった。


「副皇ファーアンさま、お久しゅうございます」


 ラシエトン氏の恭しい立礼に、目を細める。


「ラシエトン殿。何度謁見を申し出たところで、結果はおなじであると申したはずだ」


「そうはまいりません。緑火祭が為し終えられるまで、娘との謁見は控えよとの命を守っていただかなくては、私とて引き下がれませぬ」


「恙なく終えるまで、と言わなかったか?」


 応接の間まで通さなくてよい、という指示通りラシエトンは外庭の隅に気配薄く突っ立っていた。頭一つ分低い男の背が、もう一つ分低く見える。


 ファーアンを見つけるなり、小走りでやって来たと思えば娘の話だ。まったく、家族愛が素晴らしいとでも言うべきか。


「……あの儀式は終わったはずでございます」


 頭を下げたまま意義を申し立てる声は震えている。


「貴殿も見たのであろう、あの儀式のさなか緑の神威が顕現したのを。記録上そのような事例はない。我は祭祀を司る故見極めねばならぬのだ。あの神威が吉凶どうかを」


 ラシエトンはぎりと歯を食いしばる。


「つまり、まだ儀式は正常に終了していないと」


「そう申しているつもりだが? 貴殿は他でもない善神の親だ。法度に則り、位階も与えれば国司として土地も与えた。だが、悪神の親でもある。その旨ゆめゆめお忘れなきよう」


 ファーアンはさっさとくだらない会話を切り上げるため、明衣の裾を翻して副皇殿へと急ごうとする。


「お待ちください! 娘とはもう五年も会えていないのですよ⁉ いつになったら約束を果たしてくださるのですか‼ 私は娘のためにあなたさまに尽力しているのです‼ これ以上煮え湯を飲ませるというのであれば、私は……!」


 ラシエトンが耐えられないとばかりに声を張り上げた。実に荘厳な城に不釣り合いな悲痛な声色に、ファーアンは脚を止め、振り返らずに言い放つ。


「娘である以前に、善の君はニサーレレの魂の回帰先であり、現人神だ。すでに貴殿の娘という枠を越えているのだと、まだわからぬのか」


 ラシエトンは息を呑み、怯む。それを肯定と受け取ったファーアンは衛士にお引き取りいただく趣意を示してその場を辞する。


 副皇殿へと戻ると、ここが己の場なのだと身が引き締まる。己が身は神子ひいては神アマラスハルの末裔として神璽国を率いていかねばと心が燃える。こんな地位で治まってはならぬと。


 軍の要であるイルㇽ人を統御する御術はこちらの手中だし、善神も国の所有物だ。


 それを使わずして、なにが祝皇といえよう。


 ファーアンは深く昏い愉悦に顔を歪める。


(副皇は善神を保護し、祝人として崇める。だが、あの儀式の行うためには祝皇の受理が必須なのは馬鹿げている)


 善神には神璽国にとって深刻な問題を解決する鍵としての運命がある。副皇は所詮祝皇の補翼に過ぎないのだと言われているようだった。


 それが胸糞悪い。


 なぜ先代は悪神に心を奪われた息子に玉座を与えたのか。

 神璽国の信念を継ぐファーアンではなく、なぜファノイなのか。

 納得しかねる。


 なら、幼い期待なんて捨ててしまおう。待機などせずとも、己が手で手に入れてみせれば良い。風向きはこちらに向いているのだから。


 ふと、調度品の陰に潜むようにしてこちらをうかがう陰を捉え、ファーアンはそちらに顔を向ける。


「報告せよ」


「はっ! イルㇽの集落にて悪神を発見したとの報告があり、土蛍を遣わせましたが、逃げられたようです」


 立て続けの凶事に口内に鉄の味が広がった。


「何としてでも捕縛しろ。————奴からの報告はそれだけか」


「どうやら悪神を導く者がいるのだとか。手紙鳥での報告になりますが、行方現在追跡しているそうです」


「斟酌などいらぬ、そう伝えておけ。こちらには人質などいくらでもいる。あの従順な娘ならば、連行など容易かろう」


 家族のためなら死など厭わなかった娘だ。抵抗の失せる交渉手段などいくらでも湧いて出る。


 風向きがこちらに向いている今のうちに。


 ファーアンは焦りによって生み出される手汗を裾で拭った。


 今でなければ、ならぬのだ。


 ファーアンは怨敵である兄の姿が胸にこびりつく不快さに、顔を歪めるのだった。

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