第一章 イルㇽの集落“シマ”⑩
集落が騒がしい。
途中まで整備された山路を走っていたふたりだったが、トラーシィが茂みに隠れるようにして脇道に飛び込んだので、ラムラも慌てて後を追う。緊急招集という言葉が脳裡をかすめ、ラムラは緊張して、肩に掛けた背負い籠の紐を握りしめる。
「我ら副皇に逆らうのか!」
遠くから怒声が聞こえてきた。居住区の広場に、五人の騎馬隊がいるのを草木の隙間からうかがう。鉄製の甲冑に、剣を佩いている姿はいかにも上級貴族といった風体をしている。
「副皇に与する憲兵だ」
トラーシィが苦々しげにうめく。視線の先には胸をかきむしり、背中を丸めて倒れ伏している男がいる。子どもを庇っているようだった。
「あれ、ユニリェじゃない?」
「なにやってんだ、あの馬鹿……!」
トラーシィも遅れて気づき、舌打ちをする。そうしている間にも、ユニリェは憲兵隊のひとりに踏みつけられている。直刀が今にも振り下ろされんばかりだ。
人間だとも想わないその扱いに、ラムラの胸に怒りがふつふつとわき上がる。
「……ラムラはここにいろ、いいな?」
トラーシィはラムラの怒りを感じ取って窘める。有無を言わせぬ命令を残して、広場へと身を進める。
「何事だ‼」
トラーシィは憲兵隊を前にしても毅然な態度で咎めるように見据える。決して目上の人間に対して下手に出るつもりはない。
「何だ貴様は?」
男が怪訝そうにトラーシィを見下ろす。
「イルㇽの
トラーシィの名乗りに、憲兵隊はより一層眉間にしわを刻み込んだ。
「首長代理? こんな小娘が? 話にならん。サウエ御前を出せ」
「首長なら今はいない。首長不在時の執政については、あたしに一任されている。用があるならあたしにしろ」
立ちふさがるようにして進み出るトラーシィに、憲兵隊の一人が剣を突き出した。喉許に刃を向けられても、首長代理は眉一つ動かさない。
「……副皇に与する憲兵隊とお見受けする。祝皇許可なき兵が、一体何用だろうか」
トラーシィは改めて、訊ねる。
「そこの者が不敬を働いたのだ。よって厳しい戒めを与える」
「なに言ってやがる! 俺はこいつらが狩りをするみてぇに逃げ惑うホクを追い立てられているのを助けようとしただけだ‼ 俺は威嚇で神威を使っただけで、誰一人傷つけやしなかっただろう‼」
ユニリェが男子を抱えて間髪容れず叫んだ。義士団の彼は、荒い息をつきながら弁明する。ぜいぜいと咳をしたかと思えば、手には血が付着していて、吐血しているのだとわかる。
「この男が我らに神威を向けたのは変わりまい。神アマラスハルに背く行いなど、副皇の名において見過ごせん」
「……ここの子どもたちには、あなた方憲兵隊が祝皇の規範にて警邏する区域については教え込んである。だから不可侵域にてあなた方と子どもたちが出会うことなんてあるはずがない。義士団連中も、自衛のためにしかこの力は行使しない。余程のことがない限り、あんたたちに危害は加えるはずはない」
トラーシィも言い切って反論する。
イルㇽの子どもたちは、憲兵隊の脅威を知っている。徴兵されていく大人たちや、理不尽な目にあわされている人たちをその目で見てきているから。
ユニリェは義士団としての役目を果たしている。憲兵隊がこの集落に来た時点で、イルㇽの民たちを害するつもりなのは明白だった。徴兵するに辺り、大人より子どものほうが御しやすい、たったそれだけの理由で誘拐される子ども。手すさびに抵抗できない人を襲い楽しむのが彼らのやり方なのは重々承知しているつもりだった。
だが。
「神璽国の皇族が衣食住を与えているのだ。賤民の分際で、餓鬼の一人や二人の処遇に口だてするなどおこがましい」
トラーシィはユニリェが抱えているホクがすでに息をしていないのだと気づき、体毛がぶわりと逆立ち、憤りに身を任せ吠えた。
「不敬を働いているのはお前たちだろうが! 子どもの命を簡単に弄ぶお前らが、神アマラスハルを語るなど、烏滸の沙汰だ‼」
「魔のまがい物が、我らを愚弄するか‼」
目を細めて言い返す生意気な女の挑発に対し、頭に血が上った憲兵隊のひとりが真っ直ぐに剣を突き出す。
ラムラは我慢できなくなって、トラーシィの前に出て立ちはだかった。
「剣をお納めください! 無辜の民を傷つけるなんて、あなた方はまことに神璽国が誇る武人ですか!」
「馬鹿お前!」
トラーシィが諫める声が背後からするが、構ってなどいられない。心を静めて、神威を用いずに場を納める。
決して感情の起伏に素直になってはいけない。ラムラのうなじを冷たい汗がつたった。
「賤民ごときが口答えか‼」
ラムラは振り下ろされる剣を前に、ぎゅっと目をつぶってしまう。
そんなラムラと刃の間の虚空を、紅の刃が爆ぜる。憲兵隊の男が衝撃に耐えられず、剣を手から取り落とした。
「そうがなりなさんな、憲兵隊さん。この件が祝皇に知れ渡って困るのは、君たちなんだ。ここはなかったことにするとして、今日の所は退いたらどうかな」
「……ジュネク」
トラーシィは呆けたようにその名を呼んだ。ジュネクは肩を竦めて、トラーシィを押しのけて憲兵隊の前へ出る。
「それとも、ここでぼくと殺り合うかい? ぼくはそれでも構わないけど。その代り、生きて帰れると思わないで欲しいな。ぼくは集落随一の神威の持ち主だから、手加減したとしても、生きたまま帰せる自信がない」
「戯言を……!」
「じゃあやってみようか」
ジュネクの瞳が赫赫と閃光を放つ。そして馬を一頭消し炭にしてみせた。馬の嘶きすら鳴かせずに、あっさり紅の炎へと包み込んでしまう。誰とも知らない、引きつった悲鳴がどこかから漏れた。
しかし、ラムラにはその炎がため息をつくほど、とてもうつくしく見えた。慈しむべきものを自覚したみたいに胸がざわざわした。
ラムラは得体の知れぬざわめきを鎮めようと、ぎゅっと拳を胸に当てて、成り行きを見守る。
「さあて、次は君の番だよ」
ジュネクは瞳に紅の炎を灯して、けろっとしたまま嗤いかける。
「——身売り御前の挺身故に成り立っているくせに」
ジュネクに指名された男が、怨嗟の言葉を吐いた。
「貴様‼」
トラーシィは聞き捨てならない台詞にさらに激昂する。
「本当のことだろう。現アマラスハル神璽国の祝皇ファノイの前皇妃はイルㇽ人だ。その子である穢れた皇子オノファトがお前たちに心酔するのも頷ける。あの女が皇子を誑かしでもしなければ、好待遇などあり得ん」
強制徴兵から志願者のみの兵役へ。この制度の移行はサウエの大きな貢献の証でもあり、同時に国民がオノファトへ不信感を募らす要因でもあった。
「もう黙って消えてくれないかな」
ジュネクはこれ以上の無駄口をさせるつもりはなかった。次口を開いたら本気で頃好きで、手を掲げてみせる。
憲兵隊は己すらも消し炭にされるのではと焦ったようすで馬の背に乗って集落から逃げ出した。勿論、馬を失った男を見捨てることなんてせず、きちんと二人乗りさせる猶予だけは残してやった。というか、残されるほうが面倒だ。
「ホク……お願い、目を覚まして……」
「ああ、私が目を離したりなんかしなければ!」
ホクの身体には複数の打撲痕や裂傷があり、暴行を受けたのだと一目でわかった。泥だらけの衣や爪の隙間に入り込んだ泥から足掻いた痕跡がうかがえた。
「ちくしょう……! なぜ我々がこんな目に合わなければならない‼」
ほっとしたのもつかの間、堪忍袋の緒が切れたように集落人が怨嗟を吐き散らかす。普段の鬱憤が、ここにきて爆発している。加えて、首長のサウエが不在だ。皆言いたいように言い散らかそうとしだした。
「俺たちは神璽国の傀儡じゃない!」
「いっそのこと、独立のために革命を起こしたらどうかしら? 強制徴兵されていた
ころと比べて、私たちの戦力はあるわけだし」
「そうだよ。神の力を授かった俺たちが、圧力に屈したらいけないだろう!」
「神の力すら持たない、いえ、神の力を所有しようとすること自体が間違っているのよ!」
雲行きが怪しい会話に、トラーシィはまずいと思った。
「——だからどうするっていうんだい?」
トラーシィが混乱を落ち着けようと口を開く前に、冷や水を浴びせるような声がして、反射的に口をつぐんでしまう。
ジュネクの発言に、皆が押し黙った。
「ぼくたちが授かった神威を用いて、神璽国に報いを受けさせるのかい? それはぼくたちイルㇽ人がされてきた仕打ちをそのまま返しているだけじゃないか。暴力に暴力で対抗しようとするなんて、ぼくたちが忌み嫌っていた行為のはずだ」
しん、とその場が静まりかえる。その空気を断ち切ったのは、初老の男だった。
「……母親殺しの罪人のくせして、お前がイルㇽを語るな。お前に意見する権利などありはしない」
今度こそ、場が凍った。言ってはいけない一言を、ついに口にしてしまったと言わんばかりに。
ジュネクを擁護する者は、ひとりとしていない。
「論理的か感情的の違いの問題だろうが。話しをすり替えるな」
初老の男の禁句を受けて、緊張が余計に張り詰めてしまう。
「不毛なやりとりをしても無駄だ。ホクをあたしたちが礼節に則って葬るために、支度を調えるぞ。まず、義士団連中は警備を強化しろ。非番の義士団連中と仕事のない大人は寄り合い所に集まってくれ。子どもたちは一カ所に集めて面倒を見ること、いいな!」
トラーシィはパンッと手を叩いて剣呑な雰囲気を裁ち切って行動を促す。我に返った人たちが一斉に動き出す。
皆、一様にジュネクのことを避けて。
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