第一章 イルㇽの集落“シマ”➅

「————あなたはイルㇽ人についてどこまで知っていますか?」


 朝餉を終え、気詰まりな雰囲気が少し和らいだ頃合を見計らい、サウエは本題を切り出した。


 こたえる前にラムラは確認の問いを投げる。


「あなた方は咒師まじないしの一族なのですか?」



 サウエは自嘲に顔を歪めて笑う。


「アマラスハルの者たちは皆一括りにしてそう称するな。だが、正確にはイルㇽ人は咒師ではない。咒術とは宮廷榮卜官が行う占いをさしていて、彼らを咒師と呼ぶ。私たちの一族の神威と混同されているだけなのです。彼らの行う術は私たちの神威とは似て非なるものですよ」


 アマラスハル神璽国に属するなかでも数少ない民族がイルㇽ人だ。彼らは神の存在の力を借り受けて術を生み出す希少な民族だとされている。


 そんな人たちのところに、なぜ今まで関わりのなかったラムラとイオが身を寄せているのかまったくわからなかった。


「イルㇽは悪神の末裔とされているのですよ」


 サウエの言葉は、耳を通り過ぎて把握するのが遅れた。


「……え?」


 理解を要するために、少し間が空いてしまう。


「我々にもあなたと似た力〝神威〟を宿した者が生まれてくるのです。ですから、醜い存在として扱われてしまう」


 イルㇽ人と〝神威〟を宿したラムラ。急に近い存在があらわれてどうして良いかわからずに眉をひそめる。近い存在なんて、姉だけだと思っていた。


「そんなに緊張しないで。私はあなたに何かを期待してここに連れてきたわけじゃない。私は君を救うために、あの夜賊に密偵をおくったのだ」


 突然の告白に、ラムラは目の前が真っ暗になる。


 襲撃を受けたときから察してはいたが、いざ切っ先を突きつけられると背筋が凍った感覚に陥った。


「……緑火祭は悪神となった人を海で処刑する儀式、なのですね」


 ラムラは譫言をこぼす。


 悪神を神のおわすであろう島へ向かってお返しするこの祭祀は、流刑を儀式化することで反発を阻止する意味合いを持つ。死穢野のことを含めても、流刑に留め、当の本人の生死は二の次だとばかり考えていた。もし、処刑のことが公になったとしたら、民衆の反感を買うことだってある。


「驚かないんだな」


 トラーシィは苛つきをあらわに言った。


「それで罪が償えるのなら、それで」


 ラムラの脳裡に罪の記憶がこびりついている。悪神となったばかりに犯した罪の記憶が。


 海へ放り出された結果、死ぬのだとしたら受け入れるつもりでいた。運がなかったと割り切るつもりでいたのに、最初から沖へ出たその時に祝皇の命で殺される運命が決まっていたことになる。


 哀しみなのか、諦めなのか、ぽっかり感情に穴が空いたみたいに、変に落ち着き払っていた。


「ラムラの罪とやらを償う機会を奪ってしまったのは申し訳ないと思う。けれど、こちらにも事情があるのです」


 しんと静まりかけた場内をサウエは斬り裂いた。


「私たちの一族は神璽国の市民権を与えられず、徴兵を強いられ、このイルㇽの集落でのみ自由な生活を許可されている。それでも祝皇が派遣した者がこちらの動向を監視しているから、窮屈なのは変わりない。監視だけで済むのなら良いが、時には子どもが役人に拐かされることだってある」


 ユニリェが弓矢を携えていた理由は、猟をしていたからだと思っていたのだが、もしかしたら、警備もかねていたのだろうとラムラは思った。


「イルㇽの一部は神威を使う。ラムラと似た力を行使する我々は、軍事において大きな戦力となる。……人の行動を制限すれば、おのずと服従が可能となってしまうものだ。私が首長に就任したばかりの頃は、今よりひどかった」


「サウエのおかげで、自力でも生活出来るようになったし、人権を剥奪されるような仕打ちも少なくなった。徴兵こそあるけど、兵役は任期付きになった。あたしたちは自由の端緒を掴んだんだ」


 それが、と悔しそうにトラーシィは唇を引き結ぶ。言葉を引き継いだのはサウエだった。


「神璽国の皇も一枚岩ではないのです。穏健な祝皇と過激な思想をもつ副皇とで意見が対立している」


 アマラスハル神璽国の最高権力者は祝皇ファノイだ。次に弟であり副皇のファーアンが実権を握っている。ところが、祝皇の求心力は底まで落ちきりそうな危うさがある。本来祝皇の臣下であるはずの家臣たちが副皇に流れているのには訳がある。


 ファノイは一人目の妻を娶る際、イルㇽ人を選んだと噂が立っていた。賤しい身分の者を尊貴なお方が納室したという噂は民衆に衝撃を与え、高貴な血が穢されたとみなす人々もいたのだ。


 一方、ファーアンは権高な振る舞いで世間に知られていたが、善神の血を尊ぶその姿勢はアマラスハル神璽国のあるべき姿だと捉えられ、支持が厚い。


「祝皇と副皇は兄弟だけれど、どんなに言繕っても仲が良いとは言えない。副皇は常に祝皇の座を狙っている」


「イルㇽの集落の管理を任されているのは祝皇の息子なんだ。つまり、祝皇がいる限り副皇はあたしたちに関与するのはゆるされない。副皇は確固たる暴力を手に入れるのに、悪神を宿したラムラが扱いやすいって考えたんだよ。表向きは善神を奉るまことの祝皇であると豪語しておきながら、裏では悪神の力を欲している。事情を知らされていないあんたは、姉を人質に取られているから、大人しく従ってくれるだろうと目論んでいたんだよ」


 トラーシィは容赦ない口調で口を挟む。強大な力を手に入れたら、目の敵にされているイルㇽだって無事じゃ済まされない、と言い募った。


「トラーシィ」


 サウエは興奮が高まるトラーシィを低い声で諫める。ばつが悪くなった彼女が、頬を膨らませて口をつぐませた。


 ラムラは酷薄とも取れる事実に、心を抉られて息が苦しくなった。


「私たちは集落の自衛のために、そしてあなたのためにここに連れてくると決めました。何も知らないでいたほうが楽だっただろうけど、納得できない決定に従って変わることを畏れていたら負の連鎖は続いていく。私にはそれを止めることは不可能で、止める力などない。けれど手を差し伸べることはできる」


 明日のことなんてわからない。けれど、私たちは希望をもって抗っているのだとサウエは告げる。もっと強かに生きていいんだよ、と。


「————はい」


 ラムラは掠れた声で返事をする。久しく羽を休める術を思い出した鳥のような安堵が胸の内に広がった。


「色々あっただろうけど、まずは身体を休めて。ラムラがニキーサの魂の回帰先であることは現状この三人以外には伏せてある。ここでは好きに過ごしてみたらいい。己を知るのに、ここはちょうどいいだろう。それに、ラムラはもう、我々の家族ネイセリンなのだから」


 サウエはふっと春風のような笑みを浮かべた。

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