第一章 イルㇽの集落“シマ”④

 幣巓城へいりょうじょう


 アマラスハル神璽国の皇一族が住まう御殿。豊かな森に囲まれた山城からは都が見下ろせる。朝霧に包まれた城は、まるで天空に聳え立つ城に見えるのだと、城下の民が口にしているのを耳にした。


 内廷はいくつかの宮殿に区分されている。そのなかでとりわけ重要視されるのが、神璽国の祝皇が住まう祝皇殿。副皇の住まう副皇殿。そして、神アマラスハルひいては神々に祈りを捧げる祝人が住まう祝人殿。


 祝人殿は善神が登殿したときに宛がわれる宮であり、唯一皇族以外が用いる場合もある御所である。


 そう、用いる場合もある。その代の善神を榮卜官が捜し出せなければ、その地位に皇族がつくのが慣例となっている。なぜなら我々は神の末裔なのだから。


 オノファトは閉じる瞼の裏に、神璽国の象徴である権現御鉾ごんげんのみほこと双翼、絡みつく木々の根の紋様を描く。


 巨樹が鎮座する、静謐な神殿にオノファトは直衣に皺が寄るのも構わず、仰向けに寝転んで黙祷を捧げる。この場所は祝皇の血筋と榮卜官のみが足の踏み入れを許可されている、神聖な空間だから、誰の邪魔が入ることもない。


 祝皇殿の壮麗と広がる宮の裏庭に、それはある。巨樹のなかには、天界からの神器であり象徴ともなっている権現御鉾が守護されるように埋め込まれていた。


 そしてその巨樹、権現樹には皇族の徴ともいえよう重要な秘密がある。だから、副皇といえど迂闊には立ち寄れないし、その側近たちも禁忌の場として、近寄らせることもない。


 ゆえに、オノファトがひとりになりたいときにはうってつけの場所だった。


「ここにいたか、オノファト。やはり血は争えぬのだな」


 オノファトはぴくりと眉根を寄せてから、瞼を持ち上げる。少し視界が眩しい。


「父上」


 オノファトが起き上がろうとすると、ファノイは「よい」と制して隣に座った。神聖な場で寝ている不敬さを咎めないのは、寛大な性格ゆえか、父親だからか、はたまたここが息をつける比類なき場であると理解しているからか。オノファトにとってはどちらでも良かった。


「緑火祭で神威が顕現したそうだな」


「そのようですね」


 祭祀を取仕切るのは副皇だ。祝皇ファノイの皇弟、すなわち副皇のファーアン。性格が真反対の叔父の姿を想像してため息が零れる。あの神経質な顔つきで会う度賤民を見るような目つきをされるのは慣れているが、それでも擦り減るものは擦り減る。


「緑火祭に参加した者たちが神の祟りを畏れている」


「呪われた、と?」


「今代の善神の妹が悪神だからな、皆神経質にもなる。強行された儀式に疑問視する声がこちらの耳にまで届いているのだ。万が一、祝人にも知られでもしたらなにが起こるかわからぬ」


 オノファトは長髪を掻き上げて身体を起こした。〝福音の座〟で政を統べるファノイは祝皇の顔をしているが、こうして隣にいるときは父親の顔をしている。


「しかし、ラシエトンが祝人のアソカ殿と謁見すれば、たちまち悪神がどうなったかを知ることになるでしょうね」


 散位のみを持つラシエトン氏が名ばかりの雑事をこなす役職ではなく、国司としての位階を有するようになったのも、娘の影響が大きい。だが、心境は複雑なものだろう。


 複雑なのはこちらもおなじだ。悪神を生んだ親たちの末路は悲惨で、善神を生んだ親たちは栄華を与えられる。そうしなければ、民衆を納得させられない。死穢野が説得力を助長させている。


「アソカ殿は脅されたも同然の仕打ちで登殿している。理由がなくなってしまえば、あの娘は何をしでかすかわからぬな」


 祝皇の言葉にオノファトはアソカの憂を帯びた顔を思い出す。祝人殿に閉じこもる彼女は、家族のためにあの場にいる。本当は家族にも会いたいという気持ちを殺して、ひっそりと。


「さっさと、〝青の炎〟を使ってしまえばいい」


 オノファトが吐き捨てると、ファノイが微苦笑を浮かべた。

「弟は己の権威の象徴をみすみす手放したりはせんよ。我々がイルㇽの民を手放そうとしないのとおなじだ」


 対して祝皇は代々イルㇽ人を従わせる使命が課されている。祝皇になった皇は一様にイルㇽを軍事力の主力として徴兵するために圧力をかける。悪神の末裔たる彼らは、祖アマラスハルに刃向かうことはゆるされない。いや、出来なくなるように祝皇が調整している。しかしこの均衡は崩されつつある。


「イルㇽの一族と契約した以上、今後は一定数の志願しか見込めません。我々は、力を放棄したもおなじです」


「神の力を頼った軍などいらぬ。余は、ひとの力で国を統べる。神を欲するのなら、余が新たな神になってみせようぞ」


 オノファトは父から視線を逸らす。おそらくファノイは神にはなれない。己が身に情を捨てきれぬままでいるのだから。感情が欠落しているから、神は真に神たり得るのだとオノファトは思ってしまう。


「————ナイニャルを待たせているので、失礼させていただきます」


 いたたまれなくなって、オノファトは立ち上がった。


「そうか。あまり随身の彼を困らせてはならぬぞ。見かける都度におまえを見失っているのを目撃するこちらの身にもなれ」


 やはり、ファノイはオノファトを捜して来たのだ。何処を捜してもいないとなると、あとは祝皇一族しか立ち入れない権現御鉾のある庭しかない。好んでこの場に頻繁に立ち入ることのない男がわざわざ来ることの意味を察せないほど、鈍感ではない。


「承知しています」


 オノファトに続いて立ち上がる素振りをみせたファノイに気付かないふりをして、オノファトは神聖なる場を後にした。


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