第21話 楠瀬 陽菜-くすのせ ひな- ④

陽菜は、しばらく下を覗き込んでいた。

水面は静かに光を反射している。

まるで何も知らないみたいに、ただ揺れている。


「生きていても、何もない。」

「私が裏切ったんだ——せめて、償いだけでも。」


陽菜の指が、欄干をきつく握る。震えている。


夢莉は、彼女の耳元で囁く。

「ねえ、陽菜。謝りたいの?」

——だって、それしかもう残っていないものね。


陽菜はゆっくりと足を動かす。

欄干に片足をかけて、バランスをとる。


「透花……」

消えそうな声が、夜の闇に溶ける。


——その瞬間、声が響いた。

「陽菜、やめて! 死なないで!!生きて!」


陽菜の体が、びくっと揺れる。

彼女の足が止まる……


---


陽菜には、透花の声が聞こえていた。

死なないで——って。


その言葉を聞いて、陽菜の足は止まった。


「なんで…なんでなのよ! 勝手なこと言わないで! 私は、親友も恋人も失ったんだよ!」


陽菜は泣いた。


「ふざけんな! そっちは勝手に死んだくせに。何が『死なないで』よ! 死んだのはそっちでしょ!」


「お前のせいで、蓮とも別れたんだ。殴らせろ! 早く出てこい!」


陽菜は心の底から叫んだ。

ずっと心の中に溜め込んでいた感情を、今、すべて吐き出していた。

ぶつける相手すら、もう存在しないのに——。


陽菜の叫びが、夜の冷たい風に溶けていく。

誰も答えない。

ただ、水面が静かに揺れるだけだった。


「ふざけんな……死んだらケンカもできないでしょ……ほんと、最低な女。」


透花にぶつけたかった言葉。

でも、もう透花はどこにもいない。

謝ることも、怒ることも、泣きつくこともできない。


「勝手に死んで、全部、私のせいにして……!」


陽菜の指が、強く欄干を握る。

爪が食い込んで、白くなる。

自分でも、もう何をしたいのかわからない。

叫んで、泣いて——でも、何も変わらない。


「私は透花を許さない。絶交だからな!」


夜の風が吹く。

透花の声はもう聞こえない。


でも、それでいい。


「お前が望んでも、もう不幸にはならないから。」


「私が幸せになるのを、見てろ!」


涙を拭い、陽菜は欄干から降りた。

もう二度と、こんな場所には来ない。


透花と夢莉は、それを見ていることしかできなかった。

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