我らを救うサン・ルメクス

 ルケアはグラチアの生産方法をサン・ルメクスの誰一人にも教えなかった。またグラチアの材料に関しても一部のメンバーを除いて知らされていない。


 しかし苦しむ人々にとってそんなことは関係ない。そこへ行けば、あらゆる病気が治る。あの恐ろしい黒の疫病さえも!


 暦485年、噂がさらに人を呼び、苦しむ民は危険を顧みずケヒンヤを目指した。ある者は人生最後の賭けとして。ある者は長年の呪縛から解き放たれるため。ある者は頭の中にしか存在しない悪魔を振り払うため。我らを救うサン・ルメクスの教会に向かって歩き出す。


 そう。この時期のサン・ルメクスは慈善団体ではなく、カルト宗教団体と言ったほうが適切だろう。信仰対象はルケア自身と彼女が生み出すグラチアである。


 サン・ルメクスの元を訪れる人々は数を増していく。グラチアを生産しても全員に適量を配りきれず、苦肉の策として水で薄めたグラチアを飲ませていたようだ。だがそれでも効能は高く、軽い病気なら完治し、重病でも劇的な症状緩和に役立った。黒の疫病に対しても進行を抑え、長きに渡って小康状態を保つほどだった。


 一方でルケアや一部のメンバーはグラチアの”材料探し”に奔走しており、従来の患者の治療や病気の研究などの活動は行っていなかったようだ。


 そんな中、事態が急変する。ロマヌ王国の使者が50名ほどの兵を伴ってケヒンヤを訪れ、ピエトルテ王承認済みの王の命令が記された文書をルケアたちサン・ルメクスのメンバーとそこにいた患者たちの前で読み上げた。


 その内容は以下の通りだ。現代語訳版で記す。


「ここに偉大なるロマヌの王、ピエトルテ陛下の御言葉をその権威をもって代行し、布告する。結社サン・ルメクスなるはロマヌの民をたぶらかし、邪なる秘術を用いた偽りの安息にて騙す。王国の秩序を乱すまこと悪逆なる集団である。現に王とその臣下の元には多くの嘆願が届き、ピエトルテ陛下とその忠臣は深く心痛められた。王はロマヌの土地、財産、文化、そして民を守るためサン・ルメクスへの処罰を下される。されど、キメサの慈悲と教えを忘れていない。よって、ロマヌの王ピエトルテは以下を命ずる。


一つ、集団の長ルケアをはじめとする所属人員の拘束と尋問。

二つ、邪なるグラチアの秘術を神の元に晒し、その浄化の儀を受けること。

三つ、結社サン・ルメクスの即時解散。


これを王の言葉となし、絶対の命令とする。背くは反逆の徒として厳正に刃を持って処す」


 勘の良い人なら分かっている通り、この文書は王を取り巻く上級貴族とキメサ正教の要請によってピエトルテが”書かされた”というのが研究者の見立てである。


 グラチアに関する噂は王都にも届いており、事実ロマヌ軍がケヒンヤに何度も秘密裏に偵察を送っていることが分かっている。先の文書にあった「秩序を乱す」とか「多くの嘆願」などは王侯貴族のグラチアへの欲望や常態化している不正を鑑みると恐らく嘘だと考えられている。(あの王命文書で事実なのは”邪なる秘術”の部分だけだろう)


 ともかく王の命令では理屈を色々と並べ立ててはいるが、要するにグラチアの生産手法とその利権を巡る争いの火蓋が切って落とされたのだ。


 ルケアは命令に応じたか? そんなわけがない。ルケアと配下のサン・ルメクスのメンバー、そしてグラチアに救われた人々の結束は固かった。それに以前から王やその取り巻きの上級貴族への不満はくすぶっていた。そして訪れた理不尽な命令。


 火種と燃料が揃った。追い詰められた人々は、ついに火をつける覚悟を決める。

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