2- 抑圧
1
唯一、自身の身分を明かす事の出来る物である学生証を刑事ドラマのように医師に見せる。
医師は眉間に皺を寄せ学生証を睨み付けると、怪しい、と言いたげな顔をして疑問を言い放った。
「きみ、薬学科? 医学科じゃないのになんで調べてるの?」
実は今、卒論のテーマに迷ってて。
そんな風に正直に言おうか多少迷ったが。
「……ライラ製薬に勤める方から、様々な物事を学ぶのも必要だと」
結局、無難な嘘をついた。
この後ライラ製薬に勤める人の名前を教えてと言われたので、遠慮なく先輩の名前を出しておいた。嘘ではない。
すると医師は引き攣った表情を浮かべる。
それもそうだ。この街は“医学の街”と呼ばれるだけあって、警察官と同じくらい医師にも権力がある。
しかし、それ以上に権力や影響力があるのは、ライラホールディングスの社員だ。
上層部以外にも病院などと個人的な関わりを持っている社員は、名前が広く知られていることが多い。先輩なんてその最たる例だろう。
俺にやったみたいに、病院の先生達にも「あ、こんにちは~♪」ってやってたんだろうという事は、容易く想像がつく。
だが言った後で気付く。
俺、すっげえ嫌な奴だ。
デスクトップパソコンを触り、電子カルテを探している医師から目を逸らし、自分のやった言動を僅かに反省した。
「症状はどんな感じですか?」
「えっと……」電子カルテを閲覧しながら呟くように症状を言っていく。「軽い酩酊感や高揚感、不眠状態。あと――」
マウスでカルテをスクロールした後、小さく溜め息をついた医師は横目でこちらを見てから言い放った。
「『素敵な場所がある』や『眠れたら行けるはずなのに私は眠れない、だからそこへ行けない』などの妄想、幻覚症状も多発していたみたいだよ」
素敵な場所がある。
脳でその言葉を反芻し、夢遊病と関連性を見出だしていく。
妄想や幻覚といった症状によって徘徊をしたせいで行方不明になったというのも、有り得なくはない。
実際、海外では夢遊病で行方不明になった子も居たらしい。その子は発見されたみたいだが。
「セカンドオピニオンの履歴はありますか?」
「ああ……
どこかひしひしと「早く帰れ」的な視線を感じるも、その場で軽く思考を巡らせる。
「うーん……」
あまり夢遊病には見られないような症状ばかりだ。
普通、夢遊病はノンレム睡眠の時に変に覚醒してしまう事で起きてしまうって聞いたけど(医学部の同期がうんちくを色々話していた時に耳に入れた)、今回言われた症状はどれも関連性が低そうに感じた。
しかも眠れない?
眠れないのに夢遊病?
症状にも不眠状態ってあった筈。ついさっき目の前の医師がそう言った。
眠れないんだよな? だったら、夢遊病にならないんじゃないか? 不眠症なら別だけど、全部がそうって訳じゃあるまいし。
千明の頭の中で、疑問が沸騰している時の水の泡のように生まれる。
「あの、これ以上は」
「ああ……はい、分かりました」椅子から立ち上がり、扉を開けようとして振り返る。「あ、後一つだけ」
「患者さんは宝生に住む方が多いですか?」
まじまじと見つめながら聞くと医師は、溜め息を小さく吐いてから頷いた。
「……私が診察する患者さんは、確かに宝生に住む方が多かったかな」
「分かりました。突然申し訳ありませんでした」
「あっ」
今度は、立ち去ろうとしていた俺を医師が足止めしてくる。
「月嶋さんに、よろしくと言っといてください」
知っている者の名が出てきた事で、僅かに自身の表情も険しくなったのが分かる。
「……分かりました」
この人も先輩と親しい関わりがあった人だったのか。
だから最初、俺が先輩の名前を出すと顔を引き攣らせたんだろう。
病院を出て、近くの自販機で炭酸飲料を買いながら再度考える。
全然夢遊病じゃねえじゃん。
どちらかと言えば精神病や薬物を摂取した状態に近い。もしかすると、セロトニンやノルアドレナリンと関係があるのかもしれない。
医者も人間だ、隠そうと思えば幾らだって隠せる。
「……フィールドワーク……」
実際に行くしかないか。
駅に向かって早足で歩きつつも、結局、先輩の言う通りに物事が進んでいるような気がして、どこかモヤモヤとした気分になった。
泡と薬 眠崎 セイカ @inutomonaka
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