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春斗のスマートフォンに保紀からの着信があったのが三十分前の事だ。
あの不思議な世界での一週間のルームシェアを終え、現実に生きて戻ってきた二人は『京都大災害の被害者』として国からの支援を受けながら、改めて大阪の大学に通う事となった。
それと同時に保紀の実家を出て、二人で新たに部屋を借りて暮らしているのだが……それについての詳細はここでは割愛する。
午後二十二時。
春斗が自宅で調べ物をしているときに、スマホが着信音を鳴らす。
画面を見ると保紀の名前が表示されていた。
保紀からは大学で親しくなった友人達との飲み会に参加すると聞いていたので、大方酔っ払ってふざけて電話をかけてきたか、何か日常的な用事でもあったのだろう。
そう思い、すぐに電話に出る。
すると聞こえてきたのは、保紀ではなく知らない男性の声だった。
『あ、すみません!塩見……さん?のお電話ですか?』
「……え?はい、そうですけど……」
春斗は困惑する。
しかし持ち主とは別の人物が電話をかけて来るというのは、どことなく嫌な予感がするものだった。
『着信歴を確認した感じ、塩見さんが鳶広と一番よく連絡取り合ってたみたいだったので……』
「保紀に何かあったんですか?」
『えっと、そうなんですよ。なんかものっそいベロベロに潰れてしもて……』
困った様子の男性の声。
春斗は電話口から顔を離してため息をつく。
「意識は?」
『もう完全に潰れてるんでないっすね……。多分寝てるだけやと思うんですけど』
「……分かりました、店の場所教えてください。すぐ行きますんで」
『すんません、助かります!』
こうして、春斗は上着を引っ掴んで指定された居酒屋へと向かうことになったのだ。
店に着けば、その前で電話をかけて来たらしい男性が申し訳なさそうな顔で春斗のことを出迎えた。
店の二階へと案内されながら、春斗は男性に尋ねる。
「……誰がそんなに飲ましたんですか?」
「ん!?いや、そういうのちゃうんです!」
春斗の言葉から僅かな怒気を感じ取ったのだろう。男性は慌てて顔の前で否定するように両手を振って見せる。
「鳶広、そんなザルとかじゃないですよね?でも『今日は飛ぶくらい飲んだる』とか言ってめちゃくちゃチャンポンしてたんですよね。止めてるやつも居たんですけど……」
「ええ……?」
春斗は男性の話に困惑する。
あまりにも保紀の発言としては違和感があり、この男性が作り上げた嘘であると言われた方が納得できる内容だった。
しかし、春斗の目から見て男性が嘘を言っているようには見えない。
「あ、ここです。おーい鳶広、起き!塩見さん来たぞ!」
案内された個室は、十人掛けの部屋だった。
机の上にはいくつかのガスコンロと鍋が並べてあり、小皿の料理もまだかなりの量が残っている。
保紀は部屋の隅で寝かされており、友人らしい男女数人がその周りを取り囲んで心配そうな顔で介抱していた。
春斗を案内した男性が保紀の肩を軽く揺するが、反応はない。
聞いていた通り、完全に潰れてしまっているのだろう。
春斗も傍にしゃがみ込んでその様子を見る。
顔だけでなく手足まで真っ赤にして、少し苦しげな呼吸を繰り返していた。
「……これ、あんま揺らすの良くないやろな。タクシー呼んでもらっても良いですか?」
「あ、はい!分かりました!」
春斗はタクシーが来るまでの間、周りに集まって来た保紀の友人らしき人物達に状況を確認する。
しかし、大体は先ほど春斗をここに連れて来た男性が話した内容と変わらない。
「あー……でも、ちょっと具合悪そうにしてたんは見ました。」
一人の女性が話す。
どうやら二次会のためにこの店に入ってからすぐ、保紀が数秒間目元を押さえて俯いていたのを見たらしい。
調子が悪いなら無理に二次会に参加しなくても良いと伝えたのだが、「ありがとう、でも大丈夫やから気にしやんで!」と明るく返されたので、それ以上追求することもなかったらしい。
春斗はそれを聞いてこの頃の保紀の様子を思い出す。
確かに自宅でもほんの一瞬の事ではあるが、何度か疲れた表情を浮かべていることがあった。
その度に声を掛け、どうしたのかと尋ねてはいたのだが、頑なに事情を話そうとしないのでどうしたものかと思っていたところなのだ。
やがてタクシーが店の前に到着する。
春斗は保紀を慎重に抱えると、先程の男性に伴われて店外に出た。
「ほんますみません、俺らがもっとちゃんと止めれば良かったです。」
「いや、こいつが悪いんで」
タクシーの後部座席に保紀を乗せ、男性から彼の荷物を受け取る。
その後は挨拶もそこそこに、運転手に自宅の住所を伝えた。
肩にもたれ掛かって眠る保紀は、狭い空間の中で春斗の知らない酒気を漂わせていた。
*****
脱力した人間の身体はかなり重い。
同世代と比べても非力な春斗は少し苦労しながら、保紀を彼の部屋のベッドまで運ぶ。
マットレスの上に横たえて、上着とベルトを外させた。
そうしていると、居酒屋で見たときに比べると少し顔色も良くなったような気がする。
無理矢理に起こしてでも、水分を摂らせたほうが良いだろう。
そう思った春斗はキッチンに向い、大きめのグラスにミネラルウォータを注いで再び保紀の元に戻って来た。
「うー……?」
するとどうやら保紀はその間に目を覚ましていたようで、薄っすらと開いた目を春斗の方へと向けた。
とはいえ話をするでもなく、小さく唸り声を上げているような彼は、すぐにでもまた眠ってしまいそうに見える。
「保紀、大丈夫か?とにかく水飲み」
「……」
反応らしい反応を返さない。
何となくそれに不安を覚えながら、ベッドサイドに跪いて様子を伺う。
保紀は相変わらず、とろんとした視線を春斗へと向けていた。
「聞こえとる?水持って来たから」
「……好きや」
ぽつりと呟いた保紀の声は、まるで今にも泣き出してしまいそうなものだった。僅かに覗く赤色の瞳が、心細げに揺れている。
春斗は突然のことに一瞬硬直するが、グラスを持っていない方の手で保紀の顔にかかった髪を避けてやる。
「知ってる。大丈夫やから、とにかくこれ飲んでもう一回寝とき」
「うん……」
安心したようにため息をついた保紀は少しだけ上体を起こすと、受け取ったグラスから水を一気に飲み干す。
春斗が空になったグラスを受け取ると、保紀はぼすっと音を立てて再び枕に沈んでしまった。
呼吸も穏やかになり、すやすやと安らかに眠り込んでいるようだ。
「まぁ、今のはノーカンにしといたるわ」
春斗は眠る保紀に布団をかけてやりながら小さく微笑む。
あと一時間も様子を見て、体調に変化がなさそうなら大丈夫だろう。
もう日付の変わってしまった時計を眺めながら、春斗はそう考えた。
安堵と同時に、保紀の行動の理由が気に掛かった。
彼は交友関係と性格上、先輩やノリの軽い友人に酒を勧められて潰されたという話は聞いていた。
しかし本人自体はそこまで酒が好きなわけではない。
春斗と飲む時も一、二杯程度酎ハイやカクテルを楽しんだあとはソフトドリンクを飲んでいることが多かった。
そんな彼が周りに止められても潰れるまでアルコールを飲んだ理由とは何だったのだろうか。
「やっぱ、俺の見てない『何か』のせいなんか?」
京都で生きていた頃と、今。
保紀を狂わせる何かが起きたのだとしたら、春斗が一度この世から退場したあとだろう。
保紀にだけそれを背負わせてしまったという事実に対し、春斗は罪悪感を覚える。
あの十一月の終わりに見た保紀の姿。
最後まで絶対に自分の事を犠牲にしまいとしてくれた彼の苦しみを拭ってやれるのなら、何だってするのに、と春斗は思っていた。
しかしきっと今尋ねたところで、あの日起きたことについて話してはくれないのだろう。
それどころか、保紀はバレバレの好意ですら春斗に伝えようとはしないのだから。
春斗は度々、彼に対して気持ちを受け入れるつもりがあることを態度で示しているつもりだった。
それでも保紀は戸惑った表情を浮かべるだけで、この妙な『友人関係』を続けようとする。
それが余りにもどかしくて、少し苛立つと同時に寂しさも覚えていた。
保紀がこれまで恋愛において良い思いをしたことがなかったというのは、前々から聞いていた。
片想いで何も出来ずに失恋をしたことは何度もあり、最後の恋ではようやく気持ちを伝えたられたと思ったら、その相手から縁を切られてしまったとも話していた。
だからきっと、保紀は春斗に気持ちを伝えた末に見捨てられてしまう可能性に酷く怯えているのだろう。
それを理解しているから、安心させようと同居にまで踏み切ったのだが……なかなか上手くいかないものだった。
ただ、春斗がいくらやきもきしようが、これに関しては保紀が打ち明けてくれるのを待つしかない。
「……お前のこと、もう一人にしたりせんからな」
だからどうか、一人で苦しまないでほしい。
そんな想いを乗せて、春斗は保紀へと言葉を贈ったのであった。
*****
翌朝、二日酔いで頭を抱えながら自室から出て来た保紀は引き攣った顔をしていた。
「……俺、昨日変なこと言わんかったよな?」
「いや別に。うーうー言っとったけど」
「ほんまにそんだけ?」
「うん」
春斗が当然のように頷くと、保紀は明らかに安心したという表情を浮かべて洗面台へと向かっていった。
「変なことは何も言ってなかったし、嘘はついてないよな」
春斗はそんな事を独りごちて、再び手元のスマートフォンに目を落とすのであった。
酒気と恋 はるより @haruyori
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