多様性

Aの人

 

最近よく多様性という言葉をよく聞くようになった。そこで今回は多様性について考えてみようと思う。

多様性という言葉をインターネットでt検索すると、「多様性とは、ある集団の中に異なる特徴・特性を持つ人がともに存在すること。」と出てきた。つまり、多様性とは、そういう考えもありますねと、相手が自分と異なる考えを持つことを認めるということだ。


 この事について考えるきっかけとなった出来事がある。それは、学校の道徳の授業で多様性についての授業があったことだ。その時の授業で先生は、多様性を認めるということは大切だ。だから私たちはLGBTQを認めなければならないと言っていた。

 しかしこれは多様性という観点から見れば間違いである。なぜなら、前述の通り、多様性を認めるとは、いろいろな考えがあることを認めるということに他ならない。よって、この「LGBTQを認めろ」という先生の主張は、言い換えれば「私はLGBTQを認めないと言う者を認めない」と言うことになる。これを多様性を認めると言うには少々、無理があるように感じる。

 分かりやすい例をあげると、例えばヒンドゥー教を信仰する大量の移民が日本に来たとしよう。その時学校で彼らが「我々は牛肉を食べれないから給食で牛肉を使うのをやめろ」と言って、給食で牛肉を使うのをやめてしまえば、我々は「牛肉を食べるという多様性」を失ってしまう。本当の意味で多様性を認めると言うのであれば、ここでは日本人には今まで通りの給食を、ヒンドゥー教徒には牛肉を使っていない給食を与えるというのが正しい。

 今回の道徳の授業を行ったいた先生は多様性という言葉の意味を履き違えているように思う。端的に言えばただのファシズムである。このような物事を深く考えられない残念な人間がいる限り我々は進歩しないだろう。


多様性を認めるというのは本来、もっと受動的なもので特段何かしなければならないというわけでもない、案外当たり前のものであると思う


 また、多様性という話の中で、しばしば耳にするのが、女性や障害者の雇用についてだ。女性や障害者の積極的な雇用主張する者たちの言い分では、彼らを雇用することで様々なアイデアが生まれそれが企業の利益になるらしい。しかし私はそうは思わない。理由は三つある。

 ひとつ目は、もし本当に会社の利益が上がるなら、わざわざそんなこと言わなくてもすでに多くの企業がそうしているだろう。しかし現実はそうではないし、そんなことしなくても、充分な利益が出る。

 二つ目は、そもそも女性や障害者でなくともアイデアならいくらでも出せる。企業にとって大事なのはアイデアではなく速さだ。同じような人間が集まる組織の方が意見はまとまりやすいから、新しい技術や考え方が登場したとき、行動が早い企業の方が有利になれる。実際、アイデアを思い付いた企業より、あとから参入した企業の方が利益をあげることなんてざらにある。

 最後は、現在の企業は能力主義で、能力があれば性別、障害の有無に関わらず良いポジションにつけるし、実際、本当にそういう者はもうすでについているだろう。

 以上のことから今、女性や障害者の雇用のことで文句言っているものたちのほとんどは能力の低い者たちで、ただ単にそれを今の社会が悪いのだと責任転嫁して、現実から目を背けたいだけなのだろう。

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