第15話 ●「雨の日」●

しとしとと雨がふる。空からじめんへつながる銀の糸みたいに、たえまなく。まるで温度あるものをすべて、少しずつ、気づかれないうちに、ぬりつぶそうとしているかのように、次から次へと、雨つぶがおちてくる。


トゥーリは雨合羽のフードのおくから空を見上げた。空はもくもくとまっくろな雲におおわれて、今が昼なのか夕方なのかもわからない。


となりを歩くラースのかおを見ようとしたけれど、フードのかげになって見えなかった。それがなんとなくこころもとなくて、トゥーリはわざと、ぱちゃんぱちゃんと、水たまりをけちらして歩いた。ラースがこちらを見る。雨合羽のフードからしずくがぽたりとはなのあたまにおちて、くしゃっとかおをゆがめた。トゥーリはほっとして、少しおかしくて、くすくすと笑った。


雨はとつぜんふってきたのだった。アカラのまちで買いものをした帰りに、雲行きがあやしくなって、まもなくぽつ、ぽつ、と水てきがおちてきたかと思うと、ざあざあとほんかくてきな雨になった。


うんの良いことに、トゥーリたちはちょうど、これからの雨季に備えて雨合羽とレインブーツを買ってきていた。かいどうの木の下で雨やどりしながら、くつをはきかえて、雨合羽をはおり、にもつを油がみでつつんでぬれないようにした。


トゥーリはまあたらしい雨合羽とレインブーツを身につけられて、うきうきした。ゴム引きの雨合羽はさいしんしきで、少し重たかったけれど雨をよくはじいた。雨つぶがフードに当たるたびに、ぽつん、ぱちぱち、と音を立ててはじけて、体中が楽器になったみたいでおもしろかった。


ばちゃん、と、トゥーリが大きな水たまりに着地し て、水をはねさせたら、ラースがいやなかおをした。ラースは雨が苦手だった。


トゥーリがばちゃ、ばちゃ、と歩くと、雨のひだのとおくから、ぱしゃ、ぱしゃ、と同じリズムがかえってきた。おや、とトゥーリが思って、もう一度、ばちゃ、ばちゃ。


ぱしゃ、ぱしゃ。


ばちゃばちゃ。


ぱしゃぱしゃ。


次のしゅんかん、トゥーリはラースにだきかかえられ、ラースは雨の中を走りはじめた。トゥーリがびっくりしていると、急に、あたりの空気が冷たくなった。


トゥーリのうでに、ぞ、ととりはだが立った。

走るラースのかたごしにうしろをふりかえると、黒いかげをカーテンのようにかぶった何かが、ぱしゃ、ぱしゃ、ぱしゃ、と、雨をけちらしてせまってくる。


ノーチだ。


ラースが舌打ちをした。ぐるりとふりかえりざまにリュックをぬぎすて、トゥーリをおろして背にかばうと、剣をさやばしらせた。


雨の糸をきりさいて銀色の刃がにぶくきらめく。

ノーチがせまってきた。


トゥーリは、いつも言われている通り、目をまんまるにひらいて、ノーチの方をよくかんさつしながら、ラースのかげにかくれた。


ラースがいかくするように剣をひとふりすると、ノーチは走るのをやめて、じ、と、こちらを「見る」ようなしぐさをした。カーテン状の影のあいまに、白く光る穴のようなものがあるのを、トゥーリは見た。きっとあれがノーチの目だ。


ゴロゴロ、と頭上でかみなりがうなる。それをまねたのか、ノーチの影のすきまからも、ゴロゴロ、という音がした。


ラースがもう一度剣をふった。するとこんどは、ノーチがラースめがけてとびかかってきた。トゥーリはさけびそうになって、ぎりぎりで目をあけたままあとずさった。ラースはノーチの頭上からのうてんめがけて剣をふりおろした。しかしノーチはするりとそれをさけて、むくむくとふくらみ、大人の2倍くらいの大きさになった。


ノーチをたおすすべはだれにもわかっていなかった。ノーチは気まぐれにあらわれて、気まぐれにきえた。人やどうぶつを「喰う」ときもあったし、そうしないときもあった。しかし今はどう見ても、ただで見のがしてくれそうにはなかった。


トゥーリは手足が冷えていくのをかんじていた。

ラースは大きくふみこみながら、ノーチをきりさこうとする。ノーチはぱちゃ、ぱちゃ、と水たまりから水たまりへとんでそれをよける。まるであそんでいるみたいだ。ラースの表じょうがけわしくなる。


あたりはいっそう暗くなっており、ノーチの白い空きょな目がまがまがしい星みたいにかがやいていた。ラースは雨合羽の下にすばやく手をもぐりこませて小がたのナイフをつかむとノーチめがけてなげつけた。星と星のあいだ、みけんらしいところにナイフはあたり、バリバリとおどろくほど大きな音をたてて影がやぶれた。


ギィィィ、と、金ぞくのこすれあうような不快な音をたててノーチがのたうちまわる。きいた。トゥーリはノーチとラースから目をはなさずにこぶしをにぎった。


ぱちゃ。


はいごから、トゥーリのうなじに、冷気がかかった。


トゥーリ!


ラースがさけんだ気がしたけれど、トゥーリにはその声がとおくとおくにきこえた。さむい。


すう、と、眠りにおちるようにトゥーリがいしきを手放そうとしたしゅんかん、はいごでまた、ギィィィ、と、金ぞく音がして、冷気がはなれていくけはいがした。


ふわりと花のような香りがした。


あたたかなうでにだき上げられて、トゥーリはハッといしきをとりもどした。ジェンさんだった。


ジェンさんはすばやくラースにトゥーリをたくすと、スラリと二ふりの剣をぬいてまうようにふるった。二体のノーチが、ギィィ、ギィィ、とうめきながら、その剣をよけてはジェンさんにおおいかぶさろうとする。ジェンさんは二ふりの剣をすばやくさやに収めると、両手で二体のノーチのみぞおちあたりに手のひらを打ちこんだ。するとまるでとうめいなガラスに細かなヒビが入って白っぽくなるように、影のようだったノーチが一気に実体を持ったものになったように見えた。


そのとき、馬のいななきと、はげしくどろをはねて地をける音がしてきた。ヒュンヒュン、と、空気をさく音が立てつづけにきこえて、二体のノーチのあたまがガシャンと音を立ててくずれた。あたまをなくしたノーチたちはバシャバシャとあわてたように走り出し、そして、見えないすきまにすいこまれるように消えた。


トゥーリ!ラース!


聞きなれた声がして、馬が二とう、だれかをのせてかけよってきた。そのうちの一人ががいとうのフードをぬぎはらっていそいで馬からとびおりてきた。ウィルだった。


大丈夫か!?


ウィルの声でハッとしたように、ラースがトゥーリのほほやあたま、かたをなんどもさする。トゥーリは、ふるえそうになるのをなんとかこらえて、目をあけて、だいじょうぶ、と言った。ウィルとラースがどうじにほっと息をついた。


もう一とうの馬はしゅういをぐるりと一周してから、ウィルの馬のとなりにとまった。もう一人の人はヘンリさんだった。弓に矢をつがえたまま、いつもとはちがう、きびしい表じょうをして、あたりをけいかいしている。


一行はみちばたの木の下にいどうして、雨をしのぐことにした。ウィルが小さな火をたいてくれて、トゥーリはあたたかなおんどがじわじわと体をめぐって、ふるえを止めてくれる気がした。

ウィルとヘンリさんはちょうど、いつものアカラしゅうへんのパトロールをしているところだったのだ。


本当に助かった、と、ラースは二人にあたまを下げた。よくもちこたえてくれた、とヘンリさんがねぎらうと、ラースは、ジェンが、と言いかけてあたりを見まわした。トゥーリも気がつかなかったが、そこにジェンさんのすがたはなかった。グオ・ジェン?とウィルがヘンリさんに、見たか?と問うようにめくばせしたが、ヘンリさんは、見ていないよ、と答えた。


トゥーリはたしかにジェンさんに助けられたのだ。ジェンさんの花の香りと、あたたかいうでのかんしょくをおぼえているし、ラースもあのたたかいぶりを目にしていた。このまたたくまにウィルとヘンリさんに見られずにいなくなるなんてふかのうだった。


トゥーリが、ゆめだったのかしらと思ったとき、ふと、自分が何かをにぎっていることに気づいた。トゥーリの手の中にあったのは、ジェンさんがいつもつけていた、しんじゅのあしらわれたかみかざりだった。

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