後編
「ヴィヴィアンさん、カーテン閉めますよ。ちょっとどいてください」
カウダの閉店の時間になったので、僕がほぼ一日、商店街側の窓辺に座っているヴィヴィアンさんにそう話しかけた。しかし、彼女はその特徴的なかぎしっぽをうるさそうに動かすだけで、銅像のように動かない。
僕は苦笑しつつ、今のヴィヴィアンさんにとって、一番指摘されたくないところをつついてみる。
「もしかして、和沙さんのことを待っています?」
返事はない。しっぽも動かない。だけどその沈黙が、僕の推測を肯定していた。
和沙さんから、誰かと同一視されたくないけれど、それとは別に、和沙さんの不安定さを心配している。きっとヴィヴィアンさんは、そんな矛盾した気持ちを抱えているのだろう。
「和沙さんは、今、修学旅行に行っているだけですよ。来週には帰ってきますから」
ヴィヴィアンさんにそう言い聞かせているとき、僕の背後でドアが勢いよく開く音がした。
「すみません、今日は閉店で……」
振り返って、驚いた。ことよ商店街の北口の方にある靴屋・常深靴屋の娘で、高校三年生の由々菜さんが、息を切らせて立っていた。顔は氷点下にいるときのように真っ青で、只事ではないことが分かる。
「一体どうしたんですか、そんなに慌てて」
脱走防止用の柵の前まで、由々菜さんに近付いてみる。彼女の取り乱した姿が気になったのか、ヴィヴィアンさん以外の他の猫たちも、僕の後ろに集まった。
「竹久さん、大変。和沙ちゃんが、いなくなっちゃったの」
息を整えた由々菜さんは、一気に喋る。僕と同じように、猫たちも衝撃を受けたのか、後ろがざわついた。
僕は努めて冷静に尋ねる。
「何があったのですか?」
「修学旅行先の、北海道のスキー場で和沙ちゃんたちは実習していたんだけど、雪が降り始めたから、みんな今回は切り上げることになって……。でも、集合をかけたら、和沙ちゃんだけがいなかったって」
「それは、今の話ですか?」
「うん。まだ見つかっていないって、和沙ちゃんの家に連絡が来ていた」
そこまで教えてくれた由々菜ちゃんは、唇を嚙みながら、下を向いた。
「助けてあげたんだけど、そこは私の範囲外だから……」
「分かりました。ここの猫たちの力を借りたんですね?」
僕の言葉に彼女は頷く。
「もちろんです。何か好転したら、連絡をしますね」
「はい。お願いします」
由々菜さんは深々と頭を下げて、カウダを出ていった。
さて、彼女の頼みを請け負ったけれど、正直不安なところがある。和沙さんを助けるのにぴったりな彼女は、何せ気まぐれ屋だから……。
そう思って振り返ると、いつの間にかヴィヴィアンさんが、僕の真後ろに立っていた。
かぎしっぽをピンと真っ直ぐに立てて、何か決意した表情で、僕を見上げている。
「……分かりました。ヴィヴィアンさん、和沙さんを頼みましたよ」
僕は、さっきまでヴィヴィアンさんが座っていた窓辺の窓を開けた。他の猫たちが固唾を飲んで見守る中、ヴィヴィアンさんがぴょんと、その窓辺に飛び乗る。
そのまま、商店街の通路に飛び降りたヴィヴィアンさんが、一瞬でその姿を消した。その直前、かぎしっぽが二つになっていたのを、僕だけが見ている。
彼女のもう一つのしっぽには、妖力宿っている。多頭飼育崩壊した家の、小さな檻の中で、乳離れしてから数年間、瀕死になるまで過ごしていたからこそ、目覚めた力だ。
今のヴィヴィアンさんは、どこにも行ける。彼女だったら、すぐに、和沙さんの元へ辿り着けるだろう……。
〇
目の前は、真っ白だ。日が沈んでしまっているはずなのに、雪だけが光って、斜めに降り続いているように見える。目が可笑しくなったのかもしれない。
私は、大きな木の下でうずくまっていた。スキー板を履いて、スキーストックをそばにおいて、両手を合わせたまま、ガタガタ震えている。
スキー場のコースから外れて、すぐそばの森の中に迷い込んでしまった。スキーが得意だったから、調子に乗ってしまったんだ。その後から雪も降りだして、道が分からなくなった。
こういう時は、じっとその場で動かずに、救助を待った方がいい。そう思って、ここにいるんだけど、私のことを誰か探しているのだろうか? そんな不安が、絶えず襲ってきて、くじけそうになる。
希望も尽きて、気も遠くなりそうになった時——視界の奥で、何か黒いものが動いた。
はっと目を開ける。こちらに向かって、かぎしっぽを振りながら歩いてくる、猫のシルエット、あれは——
——ヴィヴィアン?
心の中でそう話しかけていて、自分で驚いた。ずっとシルエットがキリンとそっくりだと思っていたのに、なんで見分けがついたんだろう。
私の心の声に反応するように、猫のシルエットから、「ひゃー」という控えめな鳴き声が聞こえた。今のはキリンの鳴き声じゃない。初めて聞く、ヴィヴィアンの鳴き声だ。
ヴィヴィアンが、私の目の前まで来た。今は、そのキジトラの模様もはっきりと見える。この時初めて、キリンと目や鼻の形が全然違うと、気が付いた。
またヴィヴィアンが、「ひゃー」と鳴く。心の底から搾ったかのような、寂しそうなその声に、私はたまらなくなって、彼女を震える腕で抱き上げた。
大人しく、ヴィヴィアンは私の膝とおなかの間に納まった。その体はとても温かい。だけど、熱だけじゃないものが、私に伝わってくる。
「寂しい、寂しい」と、ヴィヴィアンは繰り返していた。キリンは、私たち家族に愛された一生を送ったから、この寂しさはヴィヴィアンだけのものだ。そう確信して、彼女をぎゅっと抱きしめる。
でも、ヴィヴィアンと似た寂しさは、私もずっと感じていた。キリンが亡くなってから、ずっと心の中で鳴り続けている。
私たちは、きっと、寂しさの形が似ていたから、出会ったんだ。だから、ヴィヴィアンは、最初に私に撫でられてくれたんだね。
——大丈夫。あなたはあなたなんだよ。キリンの代わりじゃない——
遠くで、私のことを呼ぶ声を微かに聞きながら、ヴィヴィアンと一緒に、ぎゅっと目を閉じた。
〇
「ここの猫たちは、元猫又なんです」
スキー場での遭難から生還後、一日入院して、大きな異常がなかった私は、他の同級生よりも早めに家に帰り、その翌日にカウダへ行った。そこで、自分の体験を話すと、竹久さんがニコニコしながらとんでもないことを教えてくれた。
私以外のお客さんがいないお店を、思わず見回してしまう。猫たちは、接客から開放されているからか、みんなそれぞれリラックスムードだった。
「長生きした猫が、猫又に化けることがありますが、ここの子たちは、人間に酷いことをされて、死にかけたために、妖力を得ました。その時の生死の瞬間に関する、力を持つんです。例えば……」
竹久さんは、この前ブラッシングしていた三毛猫を手のひらで示した。
「あそこにいるマチ子さんは、自分の周りの気温を自由に操れます。それから……」
次に、竹久さんは、この前ヴィヴィアンと遊んでいた白猫を示した。
「あのガンノスケさんは、自分の目の前に、食べたい魚を手レポートさせます。そんな風に、すごい力を持っていた猫たちですから、人間に危害を加えないように、ここに集めていたんです」
「あの、元猫又ってことは、もう力を使えないのですか?」
私が尋ねてみると、竹久さんは、笑顔のままで目を伏せた。
「……はい。八年前、大きな災害を止めるために、皆さんがもう一つのしっぽを差し出しました。そのため、妖力は殆どなりましたが、賢さはそのままなんです」
そう言われて、竹久さんが時々猫たちを放っておいて大丈夫なのも、特殊な保護猫と説明していたのも、全部納得がいった。ただ、それ以上に竹久さんのことが気になってくる。
「竹久さんは、何者なんですか?」
「僕は天使です」
またにこにこしながら、意外な返答をされたので、私は座ったまま、「天使!」と仰け反ってしまった。
「はい。人間を恨む猫又と優しい人間たちの橋渡しをして、皆さんの恨みを解くお手伝いをしていました。僕には、自分のいる空間内では他の能力を無効化する、という能力を持っているので、こういう猫カフェ経営という形がピッタリなんです」
ははあ、と感心している私の膝上に、竹久さんはその青い瞳を向けた。
「ヴィヴィアンさんは、この中で唯一、五年前にやってきた猫なので、妖力が残っています。だから、どこへでも行けるという能力を駆使して、和沙さんを探しに行きました」
「そうだったの?」
私は、自分の膝の上で丸くなっているヴィヴィアンの頭を撫でた。彼女は嬉しそうに、ゴロゴロと喉を鳴らす。
遭難している私が発見された時、気を失った私のところから、ヴィヴィアンは消えていた。だけど、捜索隊から、急に現れた猫を追いかけていたら、私を見つけたと言っていたので、もしかしたらと、カウダに確かめに来たのだ。
「本当にありがとう」
そう言いながら、ヴィヴィアンの喉元をくすぐると、彼女は上機嫌に、喉のゴロゴロを大きくさせる。
それを眺める竹久さんが、嬉しそうに言った。
「ヴィヴィアンさん、もうすっかり和沙さんに懐いていますね」
「どうでしょう。彼女、気まぐれ屋ですから、週末に来たら、また冷たい反応をされるかもしれません」
そんなところも好きだけど。苦笑しながら、心の中でそう付け加える。
私の独り言が伝わったのか、ヴィヴィアンはそのかぎしっぽを、心地よさそうに揺らした。
かぎしっぽは気まぐれ屋 夢月七海 @yumetuki-773
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