藤泉都理




 おまえの本音が分からなかった。

 完全に分からなくなってしまった。


 どうせ任務でわたしの傍に居るだけだろう。

 いいやわたしと同じ気持ちだからこそ傍に居てくれているのだ。


 信じられない気持ちと信じたい気持ち。

 せめぎ合っていた相反する気持ちが大きく傾いてしまったのは。

 おまえが女子おなごを抱擁している場面を目撃してしまったから。

 わたしが部屋から一歩も出ないので見られる事はないと思っていたのだろうか。

 それとも、見られていても構わないと思っていたのだろうか。


 大きく大きく、気持ちは傾く。











 おまえの本音を知りたくなったわたしは、部屋に戻って来たおまえに命令を下した。

 城下で流行り始めた奇妙奇天烈な病。

 花吐病に罹っている者を連れて来い。




 嘔吐中枢花被性疾患。

 通称、花吐き病。

 片想いを拗らせると口から花を吐き出すようになる。

 吐き出された花に接触すると感染する。

 根本的な治療法は未だ見つかっていない。

 両想いになると白銀の百合が吐き出されて完治する。






 連れて来ました。

 一国の城主である白埴しらはには片手に持っていた書物から、命を下した忍びである野分のわきへと視線を移したが、そこには野分一人しか居なかった。


「花吐き病の患者はどこですか?」

「ここに居ります」

「わたしの目にはおまえしか映らないのですが」

「ええ。下名が花吐き病の患者です」


 白埴はひそやかに眉根を寄せた。


「おまえが? 花吐き病の患者だと言うのですか?」

「はい。こちらが下名が吐き出した花でございます」


 暗くならないよう、畳の上、棚の上、卓の上にと部屋中に立てられた和蝋燭のおかげで、白埴は野分が両の掌に乗せる花がよく見えた。


「桜ですか?」

「いいえ。李でございます」

「李、ですか」

「はい」


 黒が濃い一枝に五枚の白い花びらを持つ花が三輪から五輪ほど固まって、三か所に点在して満開の花を咲かせていた。


「おまえが本当にこれを吐いたのですか?」

「はい」

「………そうですか。では、それをわたしに寄こしなさい」

「っは」


 野分は白埴ににじり寄りと、一枝の李を差し出した。

 白埴は一枝の李を凝視した。


(花吐き病が本当だとすれば。っは。これがおまえの本音、というわけですね。花吐き病は片想いを拗らせた者が罹る病。両想いの者に罹りようがない。つまり、おまえが房事で囁く言葉はすべて嘘という事になる………分かっていた事ではないですか。忍びが本音を語るわけがないと。戯れのままにしておけばよかった。熱を上げたわたしが莫迦だった)


「白埴様がこの李にお触れになって花吐き病にならなければ、白埴様は片想いではないという事でございまする」

「そうですね」


 一枝の李に全神経を注いでいた白埴は気が付かなかった。

 野分が焦がれる視線を注いでいる事に。


(最初は任務だった。白埴様が城主として役立たずか否かを調査する為に、募っていた情男になり、白埴様に近づいた。白埴様はほとんど部屋から出てこず、書物をつまらなそうな顔で読むだけの御方だった。退屈です。この言葉が口癖。政は家臣に任せきり。噂に違わず城主として役立たず。情報はもう雇い主に伝えてある。任務完了だ。白埴様とはもう会う必要はなかった。けれど下名はこうして未だ白埴様の元へと通い、肉体を繋げている。精神的、肉体的疲労のはけ口に丁度良かった。白埴様に会う目的はそれだけだった。まことに、それだけだったのだ。花吐き病に罹るまでは、それだけだと信じて疑わなかった)


 満開の花がいくつか咲く李の一枝は、一日に一回だけ吐き出た。

 今のところ、任務に支障はないが、いつどうなるかは分からなかった。

 花吐き病に罹った者は両想いになり完治できなければいつか、花に埋もれて死ぬと言われていた。

 埋もれて死ぬ、というのがどのような状況なのかは分からなかった。

 花を吐き出す事ができず窒息して死ぬのか。

 想像もできないほどに花を吐き出し過ぎて言葉通り埋もれて窒息して死ぬのか。

 それでもいいかと思うようになった。

 花に埋もれて死ぬなど、血に埋もれて死ぬより、土に埋もれて死ぬよりよほどいいと思ったのだ。思っていたはずだったのだ。


 誤解が生じてしまったのだ。

 戯れだと、捌け口だと、認識していたにもかかわらず。

 好いている。

 戯れの言葉に縋りつきたくなってしまった。

 戯れではないのだと信じてしまいたかった。


 互いに一人。

 この命が確かに存在するのだと、この肉体が確かに存在するのだと気付かせてくれる唯一無二の存在だった。

 お互いしか存在しなかったのだ。

 ゆえに。

 好いている。

 この言葉に言葉通りの意味は含んではないのかもしれない。含まなくてよかったのかもしれない。

 ただ、楔にする為の言葉だったのかもしれない。

 己をこの地に繋ぎ止める為の楔。

 しかし果たして、この現世にそれほど未練があったのか。

 己に問うて、返る言葉は否だった。

 この現世に未練はない。

 未練があるとすれば。




「下名は白埴様を利用していました。今も利用しているだけかもしれませぬ。この現世に留まりたいが為に利用している。この現世に留まりたい理由は未だ分からず。未練などないにもかかわらず。正直に申せば、好いている。この言葉には最初何も含んではいませんでした。ただ、何か言葉を吐き出したかっただけ。白埴様を好いてはいなかった。けれど、いつしか………いつしか、変わってしまったのでしょう。いえ。言葉に漸く追いついたと言えばいいのでしょうか。塗り替えられたと言えばいいのでしょうか。好いている。この言葉に肉体が、精神が、魂が誤解してしまったのかもしれない。それでもいいと。下名は思ってしまいました。白埴様は、いかがでしょうか?」

「………わたしはおまえを好いていました。おまえもそうだと思っていた。おまえはそうではないと思っていた。どちらか分からなかった。どちらか分からない事に耐えられなくなった。ゆえに、花吐き病に罹った者を連れて来るように命じたのです。花吐き病に罹った者の吐いた花に触れて、わたしも花吐き病に罹れば、おまえの言葉が嘘だという事が分かる。もしも、花吐き病に罹らなければ、おまえの言葉は本当だと分かる。おまえが花吐き病に罹っているという事は、おまえの言葉は嘘だという事」

「白埴様。花吐き病に罹りませんね」

「………ああ」


 白埴が一枝の李を手に掴んで数十分は経つ。

 けれども、白埴は花を吐く事はなかった。

 代わりに、野分が花を吐いた。

 一枝の李ではない。

 一輪の白銀の百合である。


「何か、目を引いたものがあると、白埴様に伝えたいと思うようになりました。伝えないまま死ぬのは嫌だと思うようになりました。白埴様に下名が命絶えた事を知られないままなのは嫌だと思うようになりました」


 御免。

 野分は断りを入れてのち、白埴の肩頬にそっと包帯が巻かれている手を添えては、僅かに押し付けた。


「好いている。この期に及んで、この言葉にこの言葉通りの意味は含んでいるのかどうか。下名は未だ分かりませぬ。けれど、下名には白埴様以外、房事を為すつもりはございません。命じられても断りまする。そも房事に関しては、白埴様以外、すべてが使い物になりませぬゆえ」

「………そうですか」

「はい」

「………では、使い物になって下さい。すべて。わたしに使って下さい。今。わたしは、わたしにしか使い物にならないおまえがほしい」

「………好いています。白埴様」

「わたしも、好いている」


 一輪の白銀の百合を吐き出す際に口布をずらしていたままだった野分。白埴に浅く口づけながら、好いていると言い続ける中。

 いつの間にか、一枝の白の李と、一輪の白銀の百合は姿を消していたという。






「いつまで浅い口づけだけを続けるつもりなのですか?」

「今日は浅い口づけのみでございまする。白埴様」

「………今日だけですよ」

「それは分かりませぬ」

「おまえ。城主のわたしの命が聞けないのですか?」

「城主の白埴様の命は聞きますが、好いている白埴様の命は聞きませぬ」

「………お願いだったら聞くのですか?」

「さて。どうでしょうか」


 野分は白埴の色素の薄い長髪をひと房掬い上げると、強く唇を押し付けてのち、目を細めたのであった。











「参照文献 : ピクシブ百科事典 原作『花吐き乙女(松田奈緒子)』」











(2025.2.22)



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