仏のタブーと宇宙人

宇宙人について調べていくうちに、「仏も宇宙人だ」と書いたら、ブログが大荒れになった。

「こんな耳たぶが長いやつ、いないだろ」と批判された。

しかし、そういう特徴を持つ宇宙人がいて、空海に光明が差し、崖から落ちて助かったという話は、宇宙人との交流があったからではないか。

そういう説を立てると、宗教的な問題からタブー視されてしまう。


人間は「欲をなくせ」と言うくせに、自分たちの宗教が脅かされそうになると、すぐに反発して叩く。

そのため、釈迦(ジッダルダ)をはじめとする仏陀たちは、特定の個人としてではなく、集合意識として描かれている。

宇宙人を善人として描くと、少しでも意見が食い違えば、人々は偶像崇拝に走り、争いを始めてしまう。

だからこそ、宇宙人は悪役として描かれ続けているのだ。


もし宇宙人が善人として描かれると、人々は怠惰になる。

「自分がやらなくても、宇宙人がやってくれるだろう」

「宇宙人が助けてくれるはずだ」

これが「他力本願」の考え方だ。

「自力本願」と「他力本願」のバランスが重要なのである。


宇宙人にも感謝し、自分自身にも感謝する。

他人の仕事にいちいち口を出す必要はない。

自分のやるべきことに集中すればいい。

宇宙人には宇宙人の役割があり、私には私の役割がある。

必要以上に情報を探る必要はない。

向こうから必要な情報が伝えられるようになっている。


もちろん、こちらからアクセスすることは可能だが、相手の自由意志を無視して立ち入るべきではない。

私たちの想像を超えるようなフリーズ(混乱)を引き起こす可能性がある。

特に、蛇の巣を突っつくような真似はしない方がいい。

蛇は冷酷で、舐められることを嫌う。

しかし、尊重すれば、意外と締め付けを緩めてくれる。

抵抗する者には毒を吐くが、抵抗しない者には何の力も加えない。


そっと、優しく見守ってあげよう。

お互いのタイミングが合えば、その存在の話を聞くことができるだろう。

今や、時間と空間の扉を飛び越えることが可能になりつつあるのだから

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誰も教えてくれない戦争の仕組み @ashika1124

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