2/3 発狂

 狂気予報が途絶えた。

 テレビ局がただ放送を休止するだけで止まるとは思っていなかっただけに、拍子抜けしてしまった。


「狂気予報が止まるとどうなるんだ?」


 SNSはその疑問であふれていた。


「誰が狂うかわからなくなるだろ」

「放送されなかったら狂わなくなるんじゃねえの?」

「もし狂気予報の奴らがヒトを狂わせる犯人なら、放送が止まろうと発狂させるんじゃないか?」

「予報してから狂わせることに重きを置いてる可能性もあるだろ。そういう自作自演が好きなタイプかもしれん」


 無駄な会話を省いて要点だけを抜き出してみると、主にこんな感じだ。


 交流があってから、俺とバナ子はアカウントを互いにフォローして、情報共有をしていた。

 といっても大した情報は無い。名前を出された人間がニュースになるような事件を起こしていた場合、それを報告するぐらいだ。


「バナ子さん、お祭りもこれで終わりですかね」

「不謹慎ですよ。まあ、たしかにお祭りみたいでしたけど。でも、まだ一日つぶれただけでしょ?」

「つっても、ほかの局で放送しても同じ手を使うだけでは」

「ですよね。もうじき犯人も捕まるかな」


 中身もなく、祭りの終わりを寂しがるような会話をしただけだった。

 バナ子からしたら、一躍有名人からスグに一般人に逆戻りしたのだから、モヤモヤも強いだろう。

 まさしく邯鄲之夢かんたんのゆめ



 そろそろ深夜三時になろうという頃。

 狂気予報が続いていたら、いまもこれぐらいの時間に放送しているのかなぁ。なんて思いながら、テレビを眺める。


 件のチャンネルはまだ放送を休止しているが、じきに放送を再開するだろう。


 それにしても、こういう対策を取られるぐらい考えられなかったのだろうか。


「俺だったら、邪魔されないところで放送するけどなあ」


 うわごとのようにつぶやき、ネットサーフィンしていると、


「…………」


 手が止まった。

 突然やってきた直感に、這い上がるような寒気を覚えた。


 まさか……。


 慌ててスマホを取り出して、ユーチューブのアプリを開いた。

 三時になると同時に、狂気予報で検索をして、


「…………」


 ひゅ……と、喉から空気が抜ける音を聞いた。


【ライブ】きょうの狂気予報 20〇〇年〇月〇日(天野京子キャスター)


 これがタイトル。

 そして、サムネイル構成はユーチューブ上でも活動をおこなっているお天気ニュース番組を丸パクリしていた。デカデカと映された天野京子の横に、日本地図が出ている。


 誰かのイタズラであってくれ、と思いながら動画のサムネイルをクリックする。


「では、きょうの狂気予報のお時間です。天野京子がお送りします」


 聞き覚えのある落ち着いた口調。滑らかなイントネーション。

 特徴らしい特徴のない、印象の薄い顔立ち。

 本物だ。

 本物の狂気予報だ……。


 天野京子は指し棒を背後にある日本地図にあてた。選ばれたのは北海道だった。


「きょうの北海道の発狂確率は三十パーセントです。昼から夜にかけて、強い狂気が襲うでしょう。しっかりと発狂対策をして、自我を保ってください。精神的に不安定な方は自殺を図ってしまわないようにご注意を」


「……ハハッ」


 俺の口から乾いた笑いがこぼれた。

 相変わらずのふざけた解説をしている。そういうジョーク番組だったらよかったのに。

 視聴人数を確認すると、どうやら配信を見ているのは俺だけらしい。


 共有タブからSNSに、この生放送のリンクを張った。


「みんな、狂気予報は終わってなかったぞ」



 その投稿は、深夜にも拘らず瞬く間に拡散された。

 トレンドに上り、六万を超えるイイネがついた。フォロワーもそれなりに増えた。一日たっても通知は鳴りやまず、オフにするしかなかった。


 独り言としか思えない返信が無数についていくのを眺めていると、だんだん感情が無になってきた。これがお祭りの渦中の人間の心境か。



 その日中に、狂気予報の被害者――そして、罪を犯してしまった加害者――がニュースで報道された。

 しかも今回は五人もいる。


 テレビではコメンテーターが「狂気予報こそが原因だ」と怒り混じりで語り、周囲が困惑していた。

 因果関係といえば予報したから以外にないが、それでも事件になんらかの関わりがあることは間違いない。周囲はそれを頭で分かっていても、コメンテーターのように根拠なく断言することはできないのだ。


「放送できればどこでもいいのか……?」

「そうみたいですね」


 バナ子はほかにも配信してはいないかと探っていたようだが、どうやらユーチューブでしか放送はなかったようだった。


 生放送のコメント欄は案の定、荒れに荒れた。

 興味本位で書き込む者、やめるよう説得し始める者、自分の名前を出してほしいと頼むバカに、天野京子ファンらしき者たちのコメント。

 言ってはなんだが、大した美人でもない……どこにでもいそうな女性の、しかもかなり危ない犯罪者のファンになるなんてイカれている。


 ユーチューブ側は事態の重さを受け止めて、狂気予報のアカウントを即日BANしたと報告した。


 が……


「きょうの狂気予報です」


 大方の予想どおり、あっさりと復活して、淡々と予報をはじめていた。

 BANされたことになんのコメントも出さない。いつもと変わりなさすぎて、これは録画を流しているだけなのではないか? という気分になってくる。


「たしかに、録画なら事前準備できますね。発狂者を選ぶことだってできる。そのために大勢の候補を名前で出しておいて、発狂確率なんて言い方をしたのかも。もし失敗してもいいように……」


 バナ子は俺の予想に肯定的のようだ。

 発狂が人為的ならば、その方法がなんなのかという疑問が出てくるが、解決の足掛かりにはなるだろう。

 こっそりヒトを狂わせる注射をするとか、やばい映像を見せるとか……だろうか。荒唐無稽だが、間違いなく被害者は犯人たちと接触があるはずだ。


 狂気予報がやれ発狂パーセントがどうこう言っているのを見ながら、バナ子と会話する。


「それにしても、警察は何してんでしょうね」

「私、警察に知り合いがいるんで話は聞いているんですが、捜査はしているらしいですよ。名前を出された人間の監視もしています」

「へえ、一週間ていどでその対応は早いですね。自分はもっと後になるもんだと思ってましたけど」

「警察のえらいヒトの名前が出たらしいですよ」

「あぁなるほど……それで」

「そのえらいヒトは発狂したのか、していないのか……そこまでは判明してませんが、大騒ぎだったらしいです」

「でも聞く話ですよね。警察はケンカを売ってきた相手を許さないっていうのは」

「警察が舐められたら国は終わりですからね~。あ、そろそろ本日の犠牲者たちの名前出そうですよ」

「犠牲者ってひどっ。まあ犠牲者なんですけども」


 などと笑っていると、


「……ん?」


 画面に見慣れた……いや、もう人生に染みついている文字列があった。

 上昇していく名前を目で追っていき、それが画面外に消えた後も、俺はしばらく硬直していた。


「ウソだろ」


 慌てて録画を見返して、該当箇所で一時停止する。

 なにかの間違いであってくれ、と願いながら二度見、三度見するも、その名前と年齢、性別は間違いなく、


「俺じゃん……」


 自分自身だ。


「俺の名前がありました」


 バナ子にSNSで報告すると、びっくりしているアニメキャラの画像とともにすぐに返信コメントが来た。


「マジですか!?」

「マジです。名前ありました」

「最近誰かに注射されたりとか、薬飲まされたりとかしました?」

「いや、ないです。あんま外出ないし。医者にもかかってないです。ってことは、なにかされるなら今日ですかね」

「狂気予報がなにをしてくるのか気になりますけど、危険ですから絶対に家から出ないでくださいね!」

「出ませんよ~。家に閉じこもります」


 当然。自分が害されるとわかっていて出たがる人間などいない。なにを言われようと、なにをされようと絶対に外に出てやるものか。

 食事は配達でも頼もう。サイフに痛いが、命には代えられない。


「え、でも仕事はどうされるんですか?」


 バナ子に心配そうな声で問われて、俺は笑いながらチャットを打った。


「いやいや、きょう祝日じゃないですか。二月三十日でしょ」

「あぁ~そうでしたそうでした」

「バナ子さんは仕事あるんですか?」


 俺が首をかしげて言うと、バナ子はケラケラ笑いながら手を振った。


「ないですよ~ハハハ。実家に帰るんです。これから」

「もうそんな時間ですか? 深夜の三時ですもんね」

「カラス鳴いてますよ」

「実家って家族いるんですか?」

「決まってるじゃないですか~。親も兄弟もみんな死んでますよ」

「まあ、そうですよね。いたら帰りませんもんね」

「カラス鳴いてますよ」

「おかーさーん!」


 呼んだのに、母が部屋に来ない。どうなっているんだろう。


「おかーさーん!! おかーさーん!!!! おかーさーん!!!!! かーさーん!!!!!!! かーさーん!!!!!!!!!!!!」

「このバット高そうですね」

「中学時代、野球部だったんですよ」

「アウトドア派ですか?」

「やっぱ人間は外に出るべきですよね」

「そうですよ! こんなに暗いんだし外で遊びましょ」


 バナ子に手を引っ張られて、家を出る。手からぶら下げたバットが床に当たっては跳ねて、カツンカツンと音を立てた。

 外は夜だった。

 おかーさーん!

 あれは月だ。

 いや、ボールじゃん。

 え?

 どうかされましたか?

 おまえ、なに見てんだよ。

 待て、おまえボールじゃね?

 ボールですよ。




「どうしてこんなことしたか、わかる?」


 怖いおじさんが困惑した表情で俺のカオを覗いていた。


 気分が悪い。

 手のひらがズキズキと痛む。皮膚がざっくりと裂けて、流れ出たであろう血が固まっていた。

 それだけじゃない。全身のいろんなところにも強く打ったような痛みがあった。


「ボールが……」

「通行人の頭をいきなりバットで殴り始めたんだけど、覚えてる?」

「覚えてません……」

「キミのおかあさんが通報してくれたんだ。急に息子がカーカー絶叫しながらマンションから飛び出していったって」

「はぁ……」


 取調室か、ここは。

 殺風景な室内に、男が三人いる。ひとりはテーブルを挟んで向かい側に座っているヒト。もうひとりは出口をふさぐように立っているヒト。

 俺は警察に捕まったのか。


「狂気予報に名前が出てたんでしょ?」

「えぇ……まあ、はい……」

「意味ないと思うけど、精神鑑定もしてもらわないといけないから」

「あの、釈放って……」

「申し訳ないけど、時間かかるだろうね」

「どれくらい……」

「一週間……かなあ。最低でも。取り調べと、精神鑑定……起訴するかどうかも上は判断しかねるだろうし」

「はぁ……」


 現実感がないままに三日が過ぎ、ようやく事態を把握できてからさらに三日がたち、もう一生拘留されたままなんじゃないかと焦り始めた三日後、


「不起訴……」


 罪には問えないという判断を下され、留置所から解放された。


 被害者に謝罪したいと言ったが、断られた。発狂して、また殴りかかってしまうかもしれないのに、会えるわけないか。


 逮捕されたことで、俺にとって面倒な問題が山のように降って湧いてきたが、そんなことよりも狂気予報について話したほうがいいだろう。


 結論から言って、彼らはこの十日間のあいだに、世界進出していた。

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