第2話【オンロードから】

 土曜日。社会人藤宮ふじみやりょうの休日は、高校生ぶりに…否、恐らくは小学生以来の活気に満ちていた。

 いつもは布団に入ったまままた出勤日を迎える休日が、今日に限っては早起きをした。

 まだ早朝。スタンドに立てかけられているブラックのジャズベースを手に取り、ケースに入れる。

 スーツに着替えて家を出て、駐車場にいる黒いレヴォーグに向かってキーのエンブレムのボタンを押す。

 ハッチを開けてベースを積み、閉める。

 愛車の周りを1周。4年前、免許取得と同時に中古で買った2015年式レヴォーグ 1.6 GT-S クリスタルブラックシリカ。改めて自分のクルマを格好良いと思う。特に今日は、いつも以上に、レヴォーグのフロントフェイスがやる気に満ちているような気がした。

 運転席のドアを開け、乗り込むと同時にドアを閉め、スマホに充電器を挿してシートベルトを締める。ルームミラーの角度はしっかりリアガラスの先が見える角度。エンジンスタートスイッチを押す。メーターが振り切って戻る演出と共にエンジン始動。音楽配信アプリを開き、そこでふと風音かざねの乗っていたクルマが思い浮かんだ。

「XV《エックスブイ》…か」

 あのクルマのCMソングを思い出す。確か───。

「……よし」

 『[Alexandros]』で検索をかけ、『風になって』を再生する。

 電動パーキングブレーキを解除、シフトを引いてDドライブレンジに入れる。

「行くかレヴォーグ!」

 天気は晴れ。朝焼けは終わり爽やかな蒼空がビルと雲の奥に見える。休日の早朝は車通りも人通りも少なく走りやすい。気分がいいからか、はたまた調子がいいからか。いつもより少しスピードが出てしまう。勿論バカな運転をしている訳ではなく、常に安全運転だ。クルマは同じにも関わらずいつも以上に視野が広いような気がするし、いつも以上に運転に集中できている実感がある。

 アクセルを踏む度、ステアリングを切る度、動作の一つ一つを重ねる度に、湧き上がってくる愉しさがある。

「…なんか……忘れてた。お前…めっちゃ良いクルマじゃねぇか」

 そうだ。忘れていた。運転の愉しさも、相棒と目的地を目指す冒険心も。

 ただのさびれた会社員だった藤宮ふじみやりょうは、今だけは1人のドライバーとして生きている。

 今、本当に、大人でありながら、少年の心を取り戻しているように感じていた。

 セルフのガソリンスタンドでガソリンを満タンにしたのち、首都高に乗り、いつもの場所を目指す。

 いつものパーキングエリア。明るい時間帯で来ることは中々ないので新鮮な景色だ。車はまばらに止まっている。

 適当な所に車を停め、自動販売機に向かう。

 ポケットから取り出した長財布の中の百円玉2枚を突っ込み、缶コーヒーのホットを買う。栓を開けて口をつけ、そして白い息を吐く。聞こえる音は、深夜と変わらない。ただ、走り去る車のロードノイズを聴きながら、休憩ていしゃ中のレヴォーグを眺める。

「…かっけぇな」

 親バカと言えばそれまで。だがそれでいい。車好きなんてそんなもんだ。自分が1番かっこいいと思うクルマを自分で選んで買ったのだ。当たり前のことである。

 ──だが、俺はまだこのクルマを使いこなせてはいない。

 何も無かった、スカスカの人生に、ひとつ転機が訪れている。首都高深夜2時、1人の女性との出会いによって、今まで低回転のまま死んでいた心のターボが動き出した。

 俺は、人生のギアを下げたのだ。

 燃費なんてクソ喰らえ。そんな少年の心を、取り戻しつつある。

「………」

 気がつけば缶がからになっていた。

 空き缶をゴミ箱に放り込む。

 相変わらず吐く息は白いが、地味な肌寒さは幾分かマシになっていた。しかしながら、いつまでも外にいると風邪を引きかねないし、特になにか暇を潰すようなこともできない。暇潰しも兼ねて小さな娯楽としてもう1本缶コーヒーを購入し、その栓を開けようとした時、見覚えのあるクールグレーカーキのXVがパーキングエリアに入ってきた。窓からチラリとプラチナブロンドの髪が見える。レヴォーグの隣に停まり、中から風音が降りてきた。

「早いね藤宮ふじみや。まだ6時だよ」

風音かざねもな。……ほい」

 開けようとして止めた缶コーヒーを差し出す。

「んぇ?」

「やるよ。2本目だし」

「どいこっちゃ」

 風音は不思議そうな顔をしながらも、遼が差し出した缶コーヒーを遠慮なく受け取る。

「いただきまーす」

「あいよ」

 栓を開け口をつける風音に適当な相槌を打つ。

「……。藤宮ぁ」

「何だ?」

「今気づいたんだけどさ。なんでスーツ?」

「ぁえ?」

 風音に言われて下を向く。仕事で着ているのと同じスーツ。

「……あぁ…」

 何故なぜだろう。なんでスーツかと言われてもよく分からない。なんとなくとも違う。

なんでなんだろうな……」

 と呟いて視線を風音に戻した時、遼もまたひとつツッコミどころを見つけた。

「…って、風音もスーツじゃねーか」

「ほぇ?」

 風音も驚いたような顔をして自分の格好を見る。

「……あはは……毒されてるね」

 苦笑い……ともちょっと違うのだろうか。無理して笑ったような気がした。

 2人とも同じ、何でと言われても説明出来そうにないが、少なくとも、スーツを着ようと思ってスーツを着てきた訳では無いことは確かで、それと同時に、他の服を着ようという思考回路すら、家を出てここに来て2人で会うまで消え去っていたということも今になって理解した。

「服……持ってたっけ……」

 風音は両手で缶を持ちながら蒼と白半分ずつの空を見上げる。

「……買いに行くか」

 遼がそう言うと、風音は少しきょとんとした顔をした後、口角を上げた。

「いいね。そうしよう。ってか、そうするしかないよ。私ら、今日は“冒険”に出かけるんだもんね!」


 ──そう。俺たちは冒険に出かけるために今日ここに集合したのだ。まあ、冒険と言っても、必要なものを買い揃えて、静岡県のとあるキャンプ場にキャンプをしに行くだけなのだが。


 風音はコーヒーを飲み干し、缶をゴミ箱に捨てる。

「ご馳走様。っじゃ、レッツツーリングと行きますか!」

「おう。で、行き先はどうする?」

「青山?AOKI?」

「スーツじゃねぇよ」

「じゃあワークマンとか」

「皮肉が効いてて大変よろしい」

うそうそ、冗談だって!」

「適当に決めるぞ」

「いいよ。服にこだわりないし」

「休日知り合いと会うのにスーツで来る奴に服のこだわりがあったら怖いわ」

「ね。私も思った」

「ショッピングモールにするぞ。他の用事も一気に済ませられる」

「異議なーし」

 行き先を決めて共有すると、2人は車に向かう。

 解錠、クルマの運転席のドアを開ける。

「藤宮前走ってよ。私付いてく」

「分かった」

 乗り込み、ドアを閉める。

 エンジンを始動し、先程新たにできた目的地を目指して走り出す。マニュアルモードに入れて本線に合流する。

 なんとなく、今日は長い一日になってしまいそうな気がする。いや、どうだろう。もしかしたら、一瞬のように感じてしまうかもしれない。

 そんな、後になってみないと分からないことを考えながら走る。

 だんだんと空が晴れてくる。蒼空の割合が高くなるにつれてテンションも上がってくる。

 なんだかよく分からない気分になる。と言っても、とても良い気分だ。後ろに風音のXVがいて一緒に走っているというのもあるだろうが、それだけじゃない。やはり今日はレヴォーグの機嫌も良いみたいだ。

 そして改めて実感する、自分はクルマの運転が好きなのだということ。

 本当に、勿体ない生き方をしていたと後悔しつつ、遼はレヴォーグと風音のXVと共に未知の道を駆けていく。

 少し遠くまで。時間はかかれどその道中は愛車との僅かなひとときに過ぎず、2人のドライバーにとってはまだ満足できない距離だった。

 辿り着いたのは無難なショッピングモール。服屋をはじめその他もろもろ、とりあえず必要なものは大体揃う。立体駐車場の看板を頼りに、とりあえずファッション・アパレルの近くに出るであろう入口付近に車を停める。

 エンジンを切って車から降り、軽く背伸びをする。

「ねぇ、なんかドキドキしない?」

 風音はXVのボンネットを挟んだ向こう側から遼に語りかける。

「ドキドキ…ね。どうしてそう思う?」

「全く知らない場所に、大して知らない人と一緒に来てる。よくよく考えたらだいぶ変だよ」

「そうだな、確かに。どういう状況だよ」

「ね。意味わかんないや」

「……ま、知らないなら知らないで今はそれを楽しめばいいんじゃないか?冒険ってそういうもんだろ」

「お、なんか良いフレーズだね」

「そりゃどうも。作詞の才能はあると思うか?」

「まだ評価するには藤宮のこと知らなすぎるかな。今後の伸び代を考慮して30点としておこう」

「良いのか悪いのか分からん」

「ね。私も分かんない」

 そう、少しずつ打ち解けながら、2人は車から離れて店の中へと入っていった。




◇◇◇




 風音との服選びは、なんというか楽しかった。彼女の無邪気な一面がよく見れて、こちらの気分も無意識に上がっていく。畔風音は、例えるならターボチャージャーみたいな存在なのかもしれない。生きる力が1.5倍くらいは上がるような気がする。

 2人してスーツからアウトドア色の強い服装へと様変わりし、その流れでキャンプ用品を物色しにいく。


「風音はキャンプ経験どのくらいなんだ?」

「子供の頃はよく家族で行ってたよ。小学の時とかは年に2、3回は行ってた」

「割とあんだな」

「まぁね。でも中学を最後に行ってないな。ま、だからこそ、今になってキャンプやろうって思うわけよ。大人になればなるほど、楽しいことなんて減って……ううん、違うね。何かを楽しもうとする心の余裕が無くなっていくんだ。だから、子供の頃楽しかったことに手を伸ばして、すがりたくなるんだ。……藤宮は?キャンプ、どのくらいやってた?」

「ほんと片手で数えれるくらいだ。家族で行ってた。中学ん時が最後かな」

「じゃあブランクは同じくらいだ」

「だな。…まあ、今回はあんまり本格的にやるつもりじゃないからな。リハビリには丁度いいだろ」

「ね。…あ、私これがいい!」

 そう言って風音が目をやった先にあるのは、カーサイドタープ。

「…へぇ、いいじゃん。XVには良く似合いそうだ」

「でしょ?これの下に焚き火台置いてギター弾くだけでもう私の夢に見る世界だよ」

「あーあー風音さんよ、お前さてはロマンの方向性が俺とドンピシャだな?」

「うわ、分かる!?やっぱ類は友を呼ぶってやつなのかな?」

「だな。疲れきった社会人同士」

「もう、せっかくそこから解放されようとしてたのに現実に引き戻さないでよ」

「悪い悪い。冗談だよ」

「事実だから刺さってるんですけど?」


 そう冗談を交えつつ、今まで引きこもっていて勝手に溜まっていった分の手取りをはたいて目当てのものを買い揃える。


「…っし!それじゃ行くか」

「うん。行こう!」


 2人はハッチを閉め、運転席に乗り込み、エンジンを始動、遼は音楽配信アプリでOasisの1stアルバムの1曲目をタップし、そして2台の車は、目的地を目指して走り出す。

 目指すのは富士山麓のキャンプ場。近すぎず遠すぎずのちょうどいい道のり。途中途中でソフトクリームとコーヒーを補給しながら、レヴォーグとXVはこのドライブの目的地へと辿り着いた。


「…いい所だ」

「ね」

 季節は冬。あまり混んでおらず広々使える。


「タープ付けるの手伝ってよ」

「はいよ」

 いち車乗りとしては、自分の愛車が近くにあるかないかは死ぬほど重要。車での乗り入れが可能なキャンプ場しか愛せない。

 2人で強力しながら、風音のXVの助手席側にサイドタープを取り付ける。

「うっはぁ~!うわ!私のXVかっこよ!!SUVらしくなりやがって!このこの!」

 ウキウキでXVのボンネットをぺちぺちと叩く風音を見て、遼は思わず笑ってしまう。

「…なんだよう藤宮」

「いや、可愛い奴だなと」

「え?そう?」

「子供っぽいんだよな。なんか、元気出るよ、風音といると」

「なに、褒めてるのかバカにしてるのかわかんないけど」

「半々だな」

「もう!」

 風音に思いっきり背中を叩かれる。

「痛い痛い!ごめんって!」

「謝罪なら火起こしで」

「あいよ、仰せのままに。ま、着火剤とチャッカマンでやっちまうけどな」

「えー!ロマンに欠ける!木の枝に摩擦で!」

「それは勘弁してくれ……疲れきった社会人にそんな体力は無い」

「今の藤宮はいちキャンパー!できる!」

「こういうのは徐々にランクアップしていくもんだろ。まずは初心者らしくだな」

「最初から便利な道具で楽をすると道具のありがたさを身に染みて感じられないのですよ藤宮君」

「鬼かお前は」

「何言ってんの、その辺の疲れた社会人だよ」

「こいつ……」

 と、文句を言いながらも遼は着火剤をレヴォーグの荷室に置いてくる。

「そもそも良い感じの木の枝がないからな。着火剤は封印してやるから許してくれ」

「しょーがないなぁ」

「しょうがないのはどっちだよ」

 と、ため息をつきつつ、頬が緩んだのを自覚して、お互いに冗談を言い合える関係になっていることに気付いた。

 ……いや、そんなもんか。別に普通のことだ。たった2回会っただけだが、例え初対面でもそれなりに会話はできるだろう。人間関係なんて、意外とあっさり進む所まで進むものだ。趣味の合うもの同士なら、特に。


 仰いで、薪をくべて、焚き火が安定したのを見届ける。

「…良いね。火があるともう全然違う」

「だな」

「…よし、それじゃあ、やりたかったことやりますか」

 風音はキャンプ椅子から立ち上がり、XVのハッチを開けるとアコースティックギターを持って戻ってくる。

「どう?」

 ギターを抱えて座った風音はドヤ顔を披露。

「良いな。様になってる」

「でしょ。藤宮もベース持ってきなよ」

「ああ、そうする」

 遼もまたレヴォーグのハッチを開け、荷室にあるケースからベースを取り出し、電池で動く小型の携帯アンプを共に抱えて焚き火の前に戻る。

「お、エレキベース。良いねぇ」

「どうも。…どうする?とりあえず何か弾いてみるか?何かお互い分かる曲があればいいが…」

「ん~……じゃあまずはお互いの好きな音楽の話でもしようよ」

「…確かにそうだな。それがいい」

「私は基本的に日本のロックそこそこって感じ。エルレとか、ドラゴンアッシュとか」

「良いセンスだな。アレキとかはどうなんだ?」

「アレキも好きだよ。めっちゃ好き。藤宮は?」

「…そうだな、日本ロックなら、個人的にはサザンを推したいな」

「うわ!良いよねサザン!!マジでそういうの大歓迎なんですけど!?」

「あとは洋楽…というかイギリスロックだな。オアシスとかクイーンとか」

「あぁ~!めっちゃ良い趣味してるじゃん!」

「分かってくれるか!」

「当たり前!いやというか義務教育みたいなもんじゃん?」

「どうやら音楽の趣味も合いそうだな。安心した」

「ほんとだよ。ねぇ、サザン分かるならさ、あれやろうよ!東京VICTORY!私この曲めちゃくちゃ好きでさ!分かる!?フォレスターのCMソング!」

「分かるに決まってんだろ!それにしようぜ!二人しかいねーけど」

「いーじゃん!2人でもリズムさえ抑えれば何とかなるって!」

「無茶言うぜこの」

「えっへへ」


 そして2人は演奏に移る。ベース&ボーカルと、ギター。2人だけによる即興のカバー。それでも、2人とも曲を覚えていたおかげで思っていたよりも圧倒的に上手くいく。

 見知らぬ土地、外の空気と焚き火の暖かさ、つい最近知り合ったばかりの人。共有した趣味、車と音楽で繋がった確かな絆のようなもの。なんとなく、今はまだなんとなくでしか感じられないが、それでも期待できる。期待してしまう。俺たちはきっと、この出会いによってこの先の人生が大きく変わることになった。ひたすらに普通の人生を、疲弊した人生を、捨てられるだけの魅力的な夢が、ここに確立されていく。

 ロックだ。ロックで生きよう。普通とは言えない。目的と手段が逆になって疲弊するようなこともない。アルコールとシガレットとドラッグを抱えて中指を立てる、そんな心意気で人生に臨んでやろう。普通ならこんなリスクしかない、採算度外視な生き方はしない。これは冒険であり、ある種の自暴自棄であり、博打であり、言ってしまえば人生を賭けたギャンブル。だが、だからこそ、これを当てれば藤宮遼は神とやらに一矢報いることが出来る。普通の生き方を強要する教育という名の洗脳にも、ふんぞり返っている偉いヤツらも、洗脳されている会社員たちにも。「人生ってやつは面白いんだぞ」と。


「……決めた」

「何を?」

 曲を弾き終わって呟いた言葉に、風音がニコニコしながら反応した。

「バンドやろうぜ」

「…良いね、やろうよ。目標は、クルマのCMソングと、日本一周。文字通りの全国ツアーとしておこうよ」

「文句なしだ」

「うん。面白そうじゃん。俺らも仲間に入れてもらっていいかな?」

「いいよ────って誰!?」

 風音と遼、2人で囲んでいたはずの焚き火に、もう1人暖を取りに来ている者がいた。茶髪の、そう年の離れていない男性。

「バンドやるんなら、2人じゃきついだろ。力になるぜ。ギターとドラムスはご所望じゃぁない?」

 そして、1人かと思っていたが、その後ろにもう1人。白い肌と白銀の髪が綺麗な、まるで人形のような外国人の少女がいた。





……To be continued

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