レヴォーグと風の音

連星霊

1stシングル【首都高深夜2時】

第1話【首都高深夜2時】

 空は真っ暗闇。足取りは重い。腕時計は1時をしている。

 会社の駐車場で、愛車は主の帰りを待っていた。

 ポケットからキーを取り出し、六連星むつらぼしのエンブレムのボタンを押す。「ピー!ピー!」と可愛い声を出してウインカーが点滅し、コの字のヘッドライトのポジションランプが点灯。

「…お前に乗ってわざわざ家まで帰ってもさ。また明日仕事だぜ。帰る意味あるか?」

 そう愛車に語りかけながらドアを開け、運転席に座る。

「…でもまぁ、お前との時間が好きなんだよな。…たとえ通勤退勤の間だけだとしても」

 ブレーキペダルを踏み、エンジンスタートボタンを押す。

 水平対向エンジン特有のセル音と共に青く光るメーター板の上を白く光る針が振り切って戻る。

 USBポートから伸びた充電器を携帯に突き刺し、指紋認証でロックを解除。音楽配信アプリを開き、90年代のUKロックを流す。

「……ちょっと寄り道してくか」

 シフトをDドライブレンジに入れ、パーキングブレーキのスイッチを下に押し込む。

「…頼むぞレヴォーグ」

 ブレーキペダルから右足を離しアクセルへ移動、踏み込み、出発。

 深夜の東京を走る。標識と信号に従い、自分に与えられた選択肢の中から道を選んで進む。

 首都高に乗り、アテもなくただ環状線に沿って回る。

 適当に走って、適当なパーキングエリアに入り、適当な場所に車を停めて降りる。

 聴こえるのは本線を走り去る車の音だけ。

 都会の闇の中で光を放つ自動販売機。小銭を入れて、缶コーヒーのパッケージの下で赤く光る「あったか~い」のボタンを押す。

「……」

 人生なんて何も無い。空っぽな時間が過ぎていく。そんな毎日の中に、ほんの小さな、何気ない一瞬がある。それに満足するしかない。

 子供の頃は、“明日”が好きだった。来る日々に心を躍らせて、1年生になったら、とか、大人になったら、とか、夢と希望に満ち溢れていた。胸いっぱいに明日を思い描いて、描ききれないくらいに、頭の中にはやりたいことが溢れていた。それが、今はこんな、小さな時間で、缶コーヒーを飲むことくらいしか、自分にできることは思い浮かばない。

 愛車を眺めながら思う。この車に出会った時は、一瞬だけ、子供の頃に戻ったような気がした。どこへだって行けると思った。旅に出て、自由を手に入れられる気がしていた。それが、結局、こんなスカスカな毎日を過ごしている。仕事するために生きている。

「……。……ん?」

 いつの間にか、自分のレヴォーグの隣、1枠開けたところに、クールグレーカーキのXVが止まっていた。

 ここでよく見る気がするXV。しかしながら、ナンバーまでは覚えていないのでたまたま同じ色なだけで別の個体である可能性もあるだろうし、あまり気にしない。目を離して、星の見えない夜空を見上げて白い息を吐く。駐車場を照らす照明と自動販売機だけが光っていた。

 すぐ後ろで小銭を入れる音がする。ボタンを押す音に続いて、液体の入ったスチール缶が吐き出される音がする。

「……」

 いつの間にか、隣に誰かいた。

「……!」

 プラチナブロンドのショートカットが視界に入る。

「………」

 スーツ姿の彼女は疲れた目をしながら、ブラックの缶コーヒーの栓を開けて口をつける。

「…はぁ……」

 白いため息が暗い空に上っていく。

「……レヴォーグの人?」

 彼女は目も合わせないまま、真っ黒の空を見上げて、そう聞いてきた。

「ん?……あぁ、そうだが」

「そっか」

「……あんたはXVの?」

「うん」

 彼女は小さな返事をして、また缶コーヒーに口をつける。

 目線を彼女のXVに移す。樹脂製のオーバーフェンダーやバンパー下部がワイルドでありながら全体的に清潔感あるデザイン。都会もオフロードもしっかり似合う、行き先を選ばない万能のクルマ。夜で汚れが分かりにくいからかもしれないが、かなり綺麗だ。大切に乗っているのだろう。

「…いい車乗ってんじゃん」

「そっちこそ」

「…まったく使いこなせてないけどな」

「私もだよ。…なんでも積めて、どこへでも行ける車なのにさ。乗るのは私と鞄だけ、行先は会社だけ。残業終わりに首都高に寄り道。休日は無気力で引きこもり。…申し訳なくなるよ」

「…そうだな。俺も同じ」

「やっぱり社会人なんてそんなもんだよね……悲しくなるわ」

 彼女はまた白いため息を空へ飛ばす。

「……ここにはよく来るのか?」

「週に3回は来るかな」

「そうか。俺も週3は来る」

「だよね。知ってた」

 彼女は目を瞑って小さく笑う。

 今まで見てきたクールグレーカーキのXVはたまたま同じ色だったという訳ではなく、全て同一のものだった。

「よく見るXVだと思った」

「よく見るレヴォーグだもん」

 2人してコーヒーを飲み干す。

「…同じ境遇だから、こうやってここに来てるんだよな」

「そうだね。……大人になっちゃったなって思うよ。お酒もタバコも無理なままなのにさ」

 彼女の言うことは分かる。

 何も変わらないまま、体だけが大人になって、それにつられて、心も大人になってしまって行くのが怖い。

「…会社辞めて遊んで暮らしたい」

「あはは、全人類思ってるよ」

「旅に出たい」

「いいね。私も旅したいなぁ」

「一緒に行くか?」

「いいね。一緒に。……ん?」

「……悪い。死ぬ程変なこと言ったわ。疲れてんだ」

「……いいよ。一緒に旅に出ちゃおうよ」

「……正気か」

「正気じゃいられないでしょ。こんな電気とビルの間に挟まれて人工的な人生送ってたらさ。…私はさ。畦道に乗り出していくような人生を夢に見てたんだよね」

「……畦道に乗り出していく……か。XVオーナーらしい良いフレーズだと思うよ」

 そう。畦道に乗り出していくような人生。憧れない訳が無い。誰もがそれを、そんな大人を夢に見ていたはずだった。けれど実際は、敷かれたレールとまでは言わないが、それでも人間は、義務感のある人生を送らされている。保育所に行きなさい。学校に行きなさい。勉強しなさい。就職しなさい。働きなさい。アスファルトで作られた道路の上を、車線と標識と信号に従って、交通を乱さず、周りに合わせて生きている。車を運転するというのは人生によく似ている。自分が通る道はある程度自由に選べるが、目的地が定まらない間はただ途方もなく彷徨うしかない。決められたルールに従いながら。けれど、畦道なら。舗装も信号も何もない、自分の意思だけで突き進めるような道。そう。冒険だ。誰もが夢に見た、ロマンだ。

「……私、小さい頃に見た夢があってさ。ちょっと聞いてよ」

「ああ」

「ミュージシャンになって、日本中を旅しながらギター弾き語る、みたいな。素敵じゃない?」

「ああ。最高」

「でしょ」

「ギター弾けんの?」

「まあ、プロには遠く及ばないけど、素人ではないよ。でも致命的なのが、弾きながら歌えないんだよね。シングルタスクだからさ」

「ふーん。じゃあ、ボーカルとギターどっちかだったらどっちやりたいの?」

「ん~………ギター優先かな。即興で歌とか歌えないけど、ギターなら適当にコード鳴らすだけでも様になるし?」

「なるほど。俺もそんな上手い訳じゃないけど、ベース弾けるんだ。…多分、歌いながらでも弾ける」

「………マジ?」

 静かに頷いて、車を見る。

「……なあ。このまま一生会社員やって死ぬのと、人生かけてミュージシャン目指すのだったらどっちがいいかな」

「………決まってるくない?」

 プラチナブロンドの髪を揺らして、彼女はこちらを見つめる。

「………あぜ風音かざね。22歳だよ」

 彼女はそう言って手を差し出す。

「…藤宮ふじみやりょう。22歳」

 自分も名乗って、握手を交わした。

「わあ、同い年だ」

「だな」

「藤宮って呼ぶね。私は風音でいいから」

「名前でいいのか?」

「まあ、苗字呼びの方が距離感的にいいけどさ。畔ってなんか呼び辛くない?」

「そうか?」

「少なくとも私はそう思ってる」

「…じゃあ、風音。よろしく」

「よろしく、藤宮」

 にいっと笑った風音に釣られて笑う。


 そう、ここから始まる。世間に推奨された正しい生き方に中指を立て、藤宮遼はアスファルトから抜け出し畦道に乗り出していく。畔風音という女性に、ステアリングを握られながら───。




……To be continued

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