第25話 やっと本当に、笑えたんだと思う。
「ボール、投げたーい」
「駄ー目ー」
思ったようにボールを蹴ることができない。
足の内側
足の先
親指の根本
薬指の根本
ボールの下、中央、右、左
止まっているボールのどこに、足のどこを当てて、狙った距離、狙った方向に、狙った強さでボールを飛ばす。必要に応じて、時にはカーブさせたり、急降下させたり。回転させないというのもある。
サッカー選手って、エスパーじゃないとできないに違いない。
まぁ、わたしは、まだ止まっているボールに足のどこかを当てられるかどうかのレベル。うまく蹴れないのは足が長すぎるからなんんだろう、そうだ、そうだ。
……ちきしょう!
「無理!!」
「無理じゃなーい」
練習中のニシザーは、口調は優しいものの、練習には手厳しい。
足の内側でボールを蹴って数メートル前に立っているニシザーの足元に転がす。それだけだ。しかし、ひたすら、それを繰り返す。わたしが無理だと何度叫ぼうと。
そして、さっきからニシザーばかりが動き回っている。
わたしの蹴るボールがあちこちに転がるからだ。遠かったり近かったり、明後日の方向だったりするのだが、ニシザーはそれを軽々と足で止め、地面にぽとんと落としては、ひょいっとわたしの足元に蹴り返す。逆にニシザーから返ってくるボールはほぼ一定なので、わたしはほとんど動かずに済んでいる。悔しい……。
「同じボールだよねえ」
転がってきたボールを足の裏で止めることすら失敗するわたしにしてみれば、ひょいひょいとボールを自由に扱うニシザーが信じられない。足だけでない。頭も腰も肩も、腕以外の部位を器用に使う。
「だいたい、右足も左足も同じように使えるってどういうこと?」
「努力の賜物デス」
わたしがぼやくと、どうということもない、という顔でニシザーが答える。
「あーもー、憎たらしい!!」
でも、絶対に諦めない。初日からパスし合えるようになりたい。土踏まずの横、右足の内側をボールに当てる。無理に勢いをつける必要はない。
たぃん
「ナイスキック!」
きれいにニシザーの足元ににボールが届く。
「はい、もー1回」
反復するしかない。
運動能力とか体格とか、それが人より恵まれているけど、それは、学校の体育の授業で褒められるレベルでしかない。授業以外で人から巧いと言われるには努力が必要だ。バスケで人に認められるには5年くらいかかった。
サッカーは、どれくらい時間がかかる?
認められなくとも、せめて
「まだ、1日目だ!」
大声を出す。
「そーだねー♪ 」
ゴトゥーがくるくる回りながら、しかもリフティングをしながら、器用にボールを弄びながらわたしに近寄ってきた。
「ろーまはいちんちにしてならず♪ 」
「そんなん分かってるわ、ゴトゥーのくせにうるさいわ!」
「ゴトゥー、ハセガーの邪魔しないのー」
「だってー、あたしのパス練の相手、ハセガーが盗ったんだもーん」
練習相手のニシザーをわたしに取られてゴトゥーは拗ねているらしい。
「ゴトゥー、こっちおいでー」
「ぎゃ」
主将の原先輩がゴトゥーの耳を引っ張った。
「邪魔しないー。あと、お前、ちょっと巧いからって調子乗んな。こっちで
「にゃあああ」
ゴトゥーはレギュラー陣の練習しているところへと連行されて行った。
「ニシザー、原先輩って怖い人?」
「わたしは怖くないよ」
「わたし、は?」
「ゴトゥー、は、怖がっているかも、あはは」
そんなニシザーの笑い顔は可愛い、けれど、どこか底知れない……。
その後の練習はポジションごとに別れたので、わたしは、3年の正キーパーの宮本先輩と2年の林先輩と一緒に練習した。監督の大久保先生も初日のわたしを気にして見に来てくれていた。宮本先輩はにこにこしていて、林先輩は穏やかに微笑んでいる。
「ハセガーは、キャッチングだけは、そんなに上級生と見劣りしないね」
「ありがとうございますっ!!」
先生が褒めてくれたので、気を付けの姿勢からの直角のお辞儀をすると、先輩たちが目を丸くする。
「いや、そんなに褒めてないし。長谷川、いい加減にそのお辞儀はやめようか」
やめたいんだけど、できないんです!
去年の3年生が夏に部活を引退してから、ずっと宮本先輩と林先輩は二人で練習してきたという。
「いやあ、3人になると練習でやれることが増えるんだよね」
「よく入ってくれたね、ハセガー」
二人の先輩の笑顔にぞっとした。
それは5月のある日曜日。サッカー部入部初日から、同級生と先輩たちにしごかれた。
練習終了の挨拶が終わり、2年生と3年生は部室に着替えに戻っていく。1年生は残って片付けだ。
挨拶が終わった瞬間、わたしはかくんと膝が抜けるように、正座するように座り込んだ。
「……きつい」
そんなわたしを見て1年生みんなが笑った。
「ハセガー、休んでなよ。片付けはうちらでやるから」
誰かがわたしに声を掛けると、周りがそれに頷くように、休んでな、いいよいいよ、などと声を掛けてくれる。同級生の中で労られる側になるのは初めてだ。申し訳ないような場違いなような気持ちになって、慌てて立ち上がった。
「やる、片付けもやるから」
「負けず嫌い」
ニシザーがからかう。
「無理しないほうがよくね♪ 」
ゴトゥーが畳み掛ける。
「あんたたち、うるさい!」
わたしは、ふらふらしながら、ボールを集め始めた。
しかし、さすがに居残り練習には付き合えなかった。練習はできなくても、写真だけは、と思ったが、カメラを構えようとしたけれど、手が震えてできなかった。
翌日の月曜日。
基礎練習だけの朝練の後、教室に戻ったわたしを訪ねてきたのはバスケ部の1年生たちだった。その中には、しばらく前にバスケ部に入らないかと声を掛けてきた子が混ざっていた。
「長谷川さん、サッカー部に入ったって本当?」
「おはよう。昨日からね」
「故障でバスケ部に入らなかったんじゃないの?」
「故障してるともバスケ部に入るとも言ってない」
「どういうこと?」
「サッカーがやりたい、それだけ」
自分でもびっくりするくらい穏やかな気持ちで言い切った。
「なんで、バスケじゃないの!?」
「バスケはもうやらない。わたしのやりたいことはわたしが決める」
あ、これ、ニシザーの受け売りだ。
そんなわたしの表情がバスケ部員を苛立たせたみたいだった。
「なんでバスケじゃなくてサッカーなの?」
「あなたが、サッカーじゃなくてバスケをやってるのと同じような理由だと思うけど」
「あの長谷川
「期待してくれてありがとう。でも、もうサッカー部に入ったから」
「ありがとうって、バカにしてんの?」
「してない。一緒にやりたいと言ってくれたことはありがたいと思うからお礼を言っただけ。誘ってくれてありがとう。その気持ちは本当にありがたいと思うよ。でも、……無駄だから」
落ち着いて、相手の申し出をはっきりと断る。少しだけ顎を上げた。
なにかを言いたげな者を諦めた者がいさめて、バスケ部員たちが教室から出ていった。
バスケはいつまでわたしを追い掛けてくるのかなあ
緊張しながらわたしたちを遠巻きに見ていた同級生たちが安堵して、それぞれの席に戻っていく。
「ごめんね、騒がしくして」
教室にいたみんなに声を掛けると、大丈夫だよとかカッコ良かったとか声が戻ってきた。
逆に一人の男子が話し掛けられた。
「長谷川、サッカー部入ったのかよ?」
「うん!!」
バスケをやめてから、ようやく本当に笑えた気がした。
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