第14話 恋しつつ

 試合が始まった。

 今日のニシザーは、大声で応援するより、ルールやプレイの解説の方に力を入れてくれていた。何度聞いても、よく分からないのがオフサイドというルールだったりする。

「つまり、オフェンスが敵ゴールの前で待ち伏せして、そこにディフェンスがボールを一気に渡すのは、ダメってこと??」

「だいたい、そんな感じ」

 話を聞いてはいるけれど、ニシザーのことが気になる。気になって仕方がない。バスでくっつかれたり、何度も「カッコいい」と褒めてもらえたり。意識するなという方が無理だと思う。

 ニシザーの貸してくれてたライトグリーンの帽子のつばの下から、ピッチを見る横顔を盗み見る。

 真面目に試合を見ているニシザーに比べて自分が恥ずかしくなって、帽子のつばの角度を合わせる振りをしながら目を逸らした。



 ああ、ダメだ。

 もう認めよう。




 ニシザーが好き


「やったああぁ!!」


 え?何も言ってないよ!??




 ニシザーの雄叫びと同時に、スタンドの観客席からもゴール前の応援団からもわっという歓声が上がった。

「ただいまのゴールは……」

 場内アナウンスが入って、地元のチームが先制点を決めたことが分かった。


 ニシザーがわたしの片手をしっかりと握り締めてぴょんぴょんとジャンプする。

「ぅあ……」

 腕と肩を揺らされながら、ニシザーの手の熱さと力のせいで心臓もばくばくと揺れる。

「遠くてよく見えなかったけど、今の良かったよねっ」

 なにが良かったのか、さっぱり分からないが、うんうんと頷いた。


 自分たちが今いる側のゴールは、前半は、地元のチームが守っている。つまり、今、地元のチームが決めたゴールは100m以上離れている。


 100m向こうで決まった得点が、わたしの背中を押した。




 長いホイッスルが鳴って、前半が終わった。

 1ー0で地元チームがリードしているせいか、芝生席のざわめきは明るい雰囲気だった。

 ニシザーは水筒に入れてきた麦茶を紙コップに入れて渡してくれて、水筒をすぐにトートバッグにしまった。

「ニシザーって本当に準備いいね。ありがと」

「慣れてるから」


 わたしは、麦茶を2、3口飲んで唇を湿らせてから話し掛けた。

「ねえ、ニシザー」

 ん?という顔。


「ニシザー、彼氏いる?」


 ニシザーが、顔から目玉が落ちるんじゃないか、と思うくらい目を見開いてわたしを見た。

「え?ええ?ハセガー、何、何いきなり」

 ニシザーは、ぶんっと首を振って目を逸らすと、帽子を深く被って目を隠す。

「ハセガー、遠回ししないで言いたいこと言えば。言いたいことはそーじゃないしょ? まあ、えと、彼氏なんていない、いたことない……」

 ニシザーの声がだんだん小さくなってしまう。

「あはは、ごめん、急に変なこと言って」

「……いや、いいけどさ」

 帽子の上から、タオルマフラーを掛けて、ニシザーは完全に顔を隠してしまった。


 わたしは、ごくっと唾を飲み込む。


「ニシザー」


「うん」


 ニシザーはわたしを見ない。それはちょっとありがたかった。





長谷川はせがわすずは、西澤雅にしざわまさに……」


「私に?」




「……恋をしつつあります」




 ぶんっと音がするかと思うくらい、ニシザーが首を横に回してわたしを見た。


 目が真ん丸い。

 頭からかぶっていたタオルマフラーが落ちる。


「……なんでっ!?」


 ぷはっと吹き出した。前も写真を撮らせてと言った時も、ニシザーは「なんで?」と何度も聞き返してきた。


「なんでだか分かんないけど、好きだなあーと思って」

 半ば開き直って、半笑いしながら伝える。


「だだだ、だから、なんで?」

 ニシザーは困惑を通り越して混乱している。


「そんなの自分でも分っかんないんだってー」

 競技場の上に広がる空を見上げた。

 春らしく空の水色が少し霞んでいた。


 前半と後半の間、ハーフタイムという時間。

 競技場に流されている音楽と、観客のざわめき。

 フィールドでは、芝生に水が撒かれてる。


「ごめんね、ニシザー。せっかく友達になってくれたのに」


「え……」


「ニシザーが、わたしのこと嫌になったとか、気持ち悪かったなら、もう近寄らないから。今すぐ帰るし」

 今なら、諦められる。多分。


「え?なんで」


「だって、女同士だし」




 審判のホイッスルが鳴って、後半が始まった。


 でも、ニシザーは、フィールドではなく、わたしを見つめたままで、その大きな目がじっとわたしの目を捕らえている。


「びっくりはしたけど嫌じゃない。あと、友達もやめない」


 一呼吸して落ち着きを取り戻して、ゆっくり静かに言った。そして、1回瞬きする。


 目が大きいと、乾きやすいのかな、と関係のないことを思った。


「わたし、二シザーのこと、好きでいてもいいかな?」


「……いいよ。ハセガーに好かれてるのはうれしいよ。でも、私、他人に対する肯定的感情って、友情と尊敬以外はよく分からないん」

 その言葉に少しだけ安心する。


「私、サッカーのことばっか考えてて、いわゆる恋はしたことない、と思う」

 ニシザーは少しだけ眉を下げる。


「それは、置いといて。私は、今はハセガーと友達でいたいよ。……で、これからのことは、これから自分で体験して自分で考えて、私が決める」


 その言葉にうなずくと、ニシザーは続ける。


「友達がいいのか、他人がいいのか、……それ以外、なのか」


 他人という言葉に震えたが、次の、それ以外、という言葉の指すものに胸が踊る。


「ハセガーの気持ちが変わったら教えて。私、ただのサッカー小猿で、ハセガーみたいなカッコいい人に、そんな好かれるようなこと何もしてなくて、正直、何バカなこと言ってんだよハセガー、って気分なん」


「わたしの気持ちは変わらないと思う」

 わたしはそう言いながら、変わるとしたら、もっと本気になる方向しかない、と思う。



 そのとき、二人の前の方の観客席がざわめいた。

 応援している地元チームが攻めている。

 地元チームが敵陣からカウンターで一気に攻めあげて、蹴ったシュートがポストに弾かれ、弾かれたボールをまたシュートして、それを敵ディフェンスがなんとか防いだものの、ボールはゴールラインの後ろに転がったのだ。

 今、芝生席の目の前のゴールに選手たちが集まってきていた。コーナーキックだ。


 ニシザーがばっと顔を挙げた。

 ニシザーの推しの17番がコーナーキックを蹴る。


 ボールに集中する。



 速いボールが上に上がり、キーパーが両手の拳でボールを弾いた。跳ね返ったボールのところにいたライトグリーンのユニフォームの選手がそのままボールを蹴った。

 その素早い動きに、キーパーも敵守備も反応できず、選手たちの隙間を突き刺すようにボールがネットに飛び込んでいく。



「「決まったああ!」」

 ニシザーもわたしも叫んだ。

 思わず両腕を高く上げたわたしの腰に、ニシザーが抱き付いた。


 え?


「2点目入った、やったあ!!」

 ニシザーの指がわたしの脇腹に食い込んで、二人の体が密着する。


 うわ、ちょっと、え?ニシザー、それ、ヤバい!


 わたしは、上げた両腕を下ろすことができず、ひたすら顔を赤くしていた。



 わたしがニシザーに告白した日、地元チームは、結局3ー0で圧勝した。

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