【2】
F駅は、昔からの駅舎らしく、天井の骨組みが古めかしい。プラットフォームから階段を上り、天井の広い改札口に出る。マンションの最寄り駅のT駅の、急ごしらえな感じとは違う。駅の南口から少し歩くと、時計屋はすぐにみつかった。
「時計屋さんならいいでしょう。修理が要るみたいだし、見てもらってきてよ」
「どうせ安物だ」
「当時の箱に入っているし、値打ちがあるかもしれないよ」
外国メーカーではないし、よくて一万円というところだろう、と思ったが、形だけでも妻に従うことにしたのだった。
縦に細長いビルの一階。店内の壁は掛け時計でいっぱい、鳩時計もあった。古いカウンター横の床には、雑然と時計の入った紙袋が積まれている。
しばらく待っていると、奥から店主らしい男が現れた。私と同じ位の年齢か。髪が少し白くなっており、強い眼鏡をかけている。カウンターに置いた時計の箱を手に取り、保証書を確かめた。
「うちで買ったみたいですね」
「やはり、そうですか」
「とっくに保障切れだけれど。きれいだな。錆びてはいないし、ずっと仕舞ってあったのかな。
「動かないようなので」
店主はルーペで時計を調べ、竜頭を動かした。
「使ってなくとも、油が古くなるから。修理しないとだめです。でも、この頃の時計は、きちんと直せば、何十年でも動きますよ」
「父のものらしいです」
「前のオリンピックの時のです。防水で、自動巻き。大人気で、若者がとびついて。もっとも、会社の月給の半分くらいの値段だったんですが」
そう話す店主も、当時は生まれていたかどうか、という所だろう。
時計を見ながら、店主が続ける。
「分解修理で二万円くらいかな。1月いただきます。ガラスはきれいだから、このままで良いと思うけれど。開けてみて状態によっては、もう少しかかるかもしれない。その時には、連絡します」
店主が顔をあげる。
「どうしますか?」
二万円という料金が相場なのかどうかわからない。
「1ヶ月ですか」
「早くてね。技能者が少なくなっているから。でも、長持ちさせたいなら、ちゃんと修理できるところに頼んでほしいな」
預かり票を受け取り、店の外に出た。通学路なのだろうか。灰色の制服姿の、高校生が、歩道いっぱいに広がり、駅へ歩いてゆく。ここは昔の街道で江ノ島詣での道だったんです、という店主の言葉を思い出した。
やっと洗濯機と冷蔵庫が設置され、リビングに妻のためのデスクも届いた。
帰宅した妻が言う。
「戸籍に載っていたのは、工場の住所らしいわね」
いつもより遅く帰宅した妻が言った。
「届出人は、R産業の取締役の人。F工場の責任者ということかしら」
「調べていたのか」
「そう、F市の市役所に問い合わせたり、図書館で聞いたり」
そう言いながら、妻は新しいデスクに、書類のファイルを置いた。
「工場の本社にも電子メールを送ったけれど、返事はまだ無いわ」
あなたの叔父さんのことよ、という妻の言葉にはさからえず、それからは、妻が新しい発見をするたびに、調査報告を聞くのが日課になった。
「プロジェクト進捗の報告よ」と妻は冗談めかして言った。もはや父の相続などとは関係なく、私の叔父について調べることが面白くなってしまったようだった。
土曜日、妻は朝から外出していた。
「新聞を調べたわ」
Y市の中央図書館で、昭和三十年代の神奈川の新聞を調べていたらしい。
「新聞の博物館もあるんだけれど、そんな昔のはT区の倉庫だって。手続きが面倒くさいみたい。でも、神奈川の新聞だけなら、Y市の図書館でも用は足りたわ」
K新聞、Y新聞、A新聞。事故の日付は分かっているので、その日の夕刊や翌日の長官の地方版を調べたのだと言う。
「千トンプレスで工員が頭をはさまれ即死」
妻が見出しを読み上げる。
「ショッキングな見出しね」
「そんな事故だったんだ」
新聞記事には、工場の名前、叔父の名前と年齢、住所も書かれていた。
「戸籍の住所とは違うわね、叔父さんが住んでいた場所みたい。でも、面白いわね、新聞それぞれ、書いてあることが違うの」
「違うって、何が?」
「名字も名前も、住所も番地も、みんな違っていて、どの新聞も、どこか間違っている。林さんが森さんとか、正次さんが丈二さんとか。番地はどれが正解か分からないわ」
さきほど妻が読み上げた内容が気になる。
「工員、と言った?」
「そう書いてあるわね。叔父さん、高卒だったのかな」
父が言ったのは、このことだったのか。
次の週末。
「新聞の住所、正体がわかったわ。R産業の社史に『第2独身寮』ってあった。その後、他にも大きな寮ができて廃止されたらしいわ」
妻がA3のコピー用紙をデスクに広げた。手書きの文字が印刷された、古い住宅地図だった。
「F市図書館でコピーしてきたわ。昭和四十年のF市。ほら、ここに『R産業寮』と書いてあるでしょう?これで決まりね。それでね、ここは今でもアパートらしいわ」
ディスプレイ画面でインターネット地図の画像を示した。
「そうそう、それから葉書があったの。『ご令弟の復学について』と書いてある。T大学の先生から。お兄様が心配なさらずとも大丈夫です、来週の教授会で話しますって。学科の主任教授みたい。叔父さん、T大学の出身みたいね」
「どうかな、卒業はしたのかな」
「そうだ、隠し子が居るかもしれないわよ。叔父さん、いい年だったじゃない、三十才を過ぎていたんだし、誰かいないほうが不自然よ」
「それは、きみの想像だろう?」
「ほら、どう、ますます興味が湧いたでしょう?」
「どうして、そこまで面白がれるのかな」
何気ない風を装ったが、学校の成績が悪くて、危険な仕事について、あっ気なく死んだ、それだけで片付けては仕舞えない気分にはなっていた。
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