第22話 本当の気持ち

 放課後、真百合はいつものように胡桃と一緒に帰ろうと下駄箱へ向かっていた。リリィティアの運命の日までまだ猶予はあるので道中にでも胡桃と作戦会議でもしようかとぼんやり考えていた。

 そんな折、靴箱を開けた胡桃が「え?」と声を上げる。そこには手紙があったのだ。今どきはスマホのアプリで連絡は済ませることが多いが、告白に至っては手紙の方が想いが伝わりやすいと原点回帰していたのだ。単純に連絡先を知らない相手に対する連絡手段としても重宝されていた。


「ラブレター? やるじゃん胡桃」


「違うよー!」


 真百合に隠しながら内容を確認した胡桃は「先に帰ってて」と言い残して階段を駆け上っていってしまった。


「誰からなんだろう? まぁ胡桃もモテるからね。全然彼氏とか作らないけど……」


 真百合は胡桃が自分の知らない誰かと談笑する光景を思い浮かべた。すると胸の奥がチクリと傷んだ。胡桃がラブレターを貰うことなど中学から頻繁にあったはずだが別に真百合はモテるなぁとしか思わなかった。だから胸の痛みも錯覚か勘違いだと思うことにした。


「少し気になるけど……覗き見は駄目だよね。リリィティアの件は一人で一度整理してみるか……」


 真百合は先に帰ることにした。


 幼馴染が大人しく帰ったのを確認した後、胡桃は目的地を目指した。

差し出し人は不明だったが「お前の秘密を暴露されたくなければ教室に来い」という脅迫文を無視できなかったからだ。


「来たようね」


 そこには見慣れた金髪の少女がいた。


「リリィティアさんだったんだ。真百合ちゃんに内緒で来てって書いてあったけど、いったい何の用事かな?」


「リリィティアじゃなくてリリィって呼んでいいよ。親しい人からはそう呼ばれてるわ。文乃も……真百合も」


 リリィティアの口から出た親しい人の名前に胡桃は思わず眉を動かした。


「胡桃、あなたは私との間に距離を開けてるでしょ?」


「へ? そんなことないよ?」


ドキリとした胡桃は自身の心中を悟られまいと平静を保つように心がける。そんな態度にリリィティアは「ふーん……」という冷たい視線を向けてきた。


「さっきからリリィティアさんおかしいよ?」


「ほーらまた。私を愛称では呼びたくない?」


 胡桃は激しく狼狽した。確かにリリィティアを胡桃だけは愛称で呼ばなかった。そこに他意はなかったはずだと自分に言い聞かせる。


「た……たまたまだよ」


「いいえ。胡桃は私に敵意を抱いてる。理由は分かってるわ」


 まるで心の内側を弄られる感覚だった。

 恐怖さえ感じて胡桃は教室から出ようとするが、鍵が開かない。外側から鍵がかけられているようだ。


「ごめんね。文乃に頼んで外から鍵をかけてもらったの。あなたとゆっくりお話するためよ」


「え?」


「胡桃、……私に嫉妬してるんでしょ?」


「そんな……。ちがう、やめて!」


 確信を突かれて耳を塞ぐ胡桃。

 だがリリィティアは胡桃の手を取って耳元で囁いた。


「あなた、真百合のことが好きなんでしょう?」


 唐突に指摘された言葉に胡桃は困惑した。

 それは誰かに知られてはいけない想いだった。ずっと幼いころから淡く抱いていた感情。しかし隠していくしかなかった。――真百合も胡桃も女の子だから。


「貴女は真百合が好きだから私に嫉妬して敵意を向けていた。違う?」


「ち、違う! 違うよ!」


 指摘された事実を否定するしかない。だが強く否定することが図星であることを物語ってしまう。そんな胡桃の頬を撫でてリリィティアはさらに追及する。

 逃げ場のない閉鎖空間で退路を断って真剣な眼差しで問いかける。


「自分に正直になったら?」


 下手な誤魔化しは効かないだろうことは追及の苛烈さから推察できる。

 観念した胡桃は蚊の鳴くような声で呟いた。


「……好きだよ」


 

「聞こえないわ。もっと大きな声で言ってくれないと」


「私だって! 真百合ちゃんが好きだよ! 大好きだよ!」


挑発するような態度で言われたら感情を押えることはできなかった。笑われても馬鹿にされてもこの感情を嘘だとは言いたくはなかった。

胡桃の回答にリリィティアは満足気に頷く。


「やっと正直になったのね。……だったら何で想いを伝えないの?」


「簡単に言わないでよ! 真百合ちゃんにもし拒絶されたら今まで積み重ねてきた友達としての関係も信頼も潰れちゃうんだよ!?」


「踏み越える勇気も必要よ。真百合なら受け入れてくれるんじゃない?」


 驚いたことにリリィティアは胡桃の想いを笑わないどころか激励にも似た言葉を言った。だがそんな態度が彼女の余裕に見えてしまう。

胡桃は知っていた。リリィティアの死を誰より悲しんだのは真百合だと。そしてそんな未来を変えようと何度失敗しても挑み続けるのは真百合がリリィティアに友情以上の感情を抱いているに他ならなかった。だからこそ憤った。


「あなたは知らないだろうけど! あなたが死ぬとき! 真百合ちゃんは絶望してたの! あれは好きな人が死んだときの顔だった! あなたはそれだけ真百合ちゃんに想われてるの! 何度やり直しても助けたいと思うくらいに!」


 胡桃も夢を通して並行世界の出来事を見ている。リリィティアが死ぬ場面もその時の真百合の表情も見ているのだ。だからこそ真百合のリリィティアへの想いの強さに気づいていた。


「ふふ、あなたは気付いてないのね。真百合が悩んだ時、いつも相談するのが胡桃……あなたよ」


「それは幼馴染だから……」


「幼馴染だからって自分の感情を誤魔化してるのは貴方だけじゃないと思うけどね」


「それはどういう……?」


「答えが知りたいのなら真百合とデートをすることね」


「で、デートぉ?」


 困惑する胡桃を後目にリリィティアは教室の扉を開ける。どうやら解放してくれるようだ。訳が分からず胡桃は呆然と立ち尽くすしかなかった。

 リリィティアは自分の気持ちを諦めさせられる相手、即ち真百合の恋人に足りえる宿敵に胡桃を選んだのだ。



 一方の真百合は忘れ物をしてしまったので教室に取りに帰っていた。


「はぁ~ 胡桃の相手が気になるなぁ。誰からだろ」


 やはり長年過ごした幼馴染の恋の行く末は気になるようで、何度も見知らぬ誰かが胡桃とデートしている姿を想像してしまう。自分が誠也への片思いを断ち切ったから恋話に飢えているのかもしれない。


「まぁ、変な男だったらぶっ飛ばしてやるわ」


教室につくと、担任の香織がまだ作業をしていた。

 気にせず自分の机の中を探っていると、先生が声をかけてきた。


「そうそう。園崎さんとオルドリッジさんのおかげで実家の家業も軌道に乗ったわ。ありがとう」


「出資したのはリリィのお父さんで私は何もしてないと思いますけど?」


「何言ってるの。あなたが橋渡ししてくれたじゃない。それにもしオルドリッジさんの出資がなくても園崎さんならお見合いを潰しに乗り込んでたと思うわ」


(うぅ……否定できない……)


 実際に違う世界では乗り込んでしまっているのだ。生徒の行動パターンが分かるなんて流石は担任だった。


「ふふふ、そんなカッコイイことされたら先生、園崎さんに惚れていたかも」


「あはは……面白い冗談ですね」


 何にしても上手くやれているようだ。これで真百合の懸念はリリィティアの命運のみになった。だが心の奥で胡桃のラブレターの件が引っかかってしまう。胡桃はどんな返事を出したのだろうか。


(駄目だ駄目だ。今はリリィティアを死なせないことに集中すべき時なんだ)


 真百合は頭を抱えた。

 しかし思い返してみれば、タイムリープという現象に遭遇してからいつも真百合の悩みの相談相手になってくれていたのが胡桃である。


(リリィティアの件で胡桃のコトほったらかしだったなぁ。私の話ばかり聞いてもらって……新しい彼氏ができたら、その人は私より胡桃を大事にしてくれるかなぁ)


 真百合の葛藤を見た香織が苦笑した。


「園崎さん、今恋してるのね」


「はぁっ!? 何言ってんですか!?」


「今の貴女は、気になる子が二人できてどちらに告白するべきか悩んでいる学生時代の私にそっくりですよ」


 真百合は言葉を失った。「先生もそんな経験があるんですね」とか「私は恋しているなんてないですよ」とか咄嗟に突っ込めなかった。


「恋がいつ訪れるかは本人にも分からないわ。自覚したときには恋心は育っているものよ」


 先生はどこか達観したように言った。

今はリリィティアを助けなければならない。だが胡桃のことも気になる。変な男に騙されてないか気がかりだった。そもそもリリィティアを死なせないためには真百合が関わらない方がいいのかもしれない。思い出を作ってしまえば好意を持たれるきっかけを作ってしまう。

 真百合は今すべきことを自覚した。


「園崎さん、後悔のないようにね」


いつか好きだった人も同じことを言った。「後悔しないように」と。その人が生きている間に自分が幸せになったと言いたかった。自分の幸せを見せたかった。それが彼の生きた証にもなるのだから。


「ありがと先生。何か吹っ切れた感じがする」


「どういたしまして。生徒の悩みを聞くのが教師の務めよ」


真百合は先生に背中を押されたように感じた。

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