降臨するトリと世間知らずの魔法の油絵

長月瓦礫

降臨するトリと世間知らずの魔法の油絵


雨上がりの空、白い雲がぽつぽつと浮かんでいる。ぐんぐんと高く、広くなる大空に心が躍る。

太陽の光を浴びて輝く街を見下ろして、トリは飛んでいく。


行くあてもない、ただの気まぐれな旅だ。


トリはトリだ。名前のない茶色の鳥だ。

それ以外、何もない。


「ああ、ようやく見つけました」


トリはゆっくりと降下し、少年の肩にとまる。

手紙を渡せば、これで終わる。


「鳥さん、どうしたの?」


「ごきげんよう、トリの降臨です。あなたにお届け物ですよ」


彼から少年の部屋を満たしていた画材と同じ匂いがする。

白黒でがたがたした影、人間でないことはすぐにわかった。

少年の言っていた通りだ。絵が自由自在に動いている。


「え? 手紙もう返ってきたん? いくらなんでも早すぎない?」


「トリはその手紙は知りません。

あなたのそっくりさんから渡すように言われたんです。

同じ画材の匂いもしますしねえ、まちがってないと思います」


トリはえずきながら、画用紙を吐き出した。

トリの胃袋は4次元だから、どこにでも繋がっている。


綺麗に丸められた画用紙を受け取り、少年は広げる。


「え、ニケの絵やん! なんでなん? 

だって、アイツが死んだから俺がいるようなもんやのに……おかしいやん、そういう話は聞いてないで?」


それにしても、何もかもが違う。トリの予感は当たってしまった。

絵の少年は元気いっぱいではつらつと喋る。

地方特有の訛りもあの少年にはなかった。


「トリはトリですよ。ちょっと雨宿りさせてもらっただけです」


「せや、悪魔さんに見てもらお! なんかのまちがいかも分からんし!」


トリを抱えて少年はばたばたとマンションの階段を駆け上がる。

足は急いでいるが、抱えている手は優しい。

そういったところはよく似ている。


マンションの扉を叩くと、背の高い男がものぐさそうに扉を開ける。

綺麗に整えられた金髪や服、絵を描く人には見えなかった。


「悪魔さん、ちょっとこの鳥さん見てや!

ニケから手紙を預かったって言うんやけど」


「おや、あなたがあの少年の先生ですか?」


「ちゃうで。悪魔さんは先生の先生! この人、すごい魔法使いなんよ!」


悪魔と呼ばれた髪の長い男は頭を抱える。

長身で部屋の奥が見えない。


「ニコ、どこから拾ってきたの? 元の場所に戻してきなさい」


「本物かどうか調べもせんで追い返すの?」


「トリもそれはちょっと困ります。

せっかく手紙を預かってきたというのに」


髪の長い男はトリを無造作に掴み、翼をめいっぱいに広げ、無防備な姿を晒される。

こんなふうに触るのは人間じゃない。悪魔の所業だ。


「なにするんですかぁ、トリは手紙を届けるように言われただけなのに!」


「何言ってんの。鳥じゃないくせに。

どこから来た、刺し身にされたくなかったら主人の居場所を吐け」


主人という単語を聞いて、背筋が凍った。

顔も名前も知らないのに、その存在感だけは記憶に残っている。どうしようもない邪悪だ。


「なあ、さすがにかわいそうやん。話くらい聞いてもええんちゃうか?」


「君はこれが小鳥に見えるの? 私には異形にしか見えないけど」


「トリはトリですので大丈夫ですってば!」


「答えになってない! 話聞いてたか、このずんぐりむっくり!」


「ずんぐり……トリはちょっとふっくらしているだけなのに」


「別にそんな変わらんやろ。

なあ、鳥さん。ニケに会ったのは本当なん?」


悪魔は虫かごを持ってきて、トリを無理やり押し込んだ。

鳥かごですらない。トリはしょんぼりと頭を下げ、部屋の中に連れて行かれた。


少年の名前は聞き忘れてしまった。

代わりに、トリはつい先程までのできごとを話した。


大雨が降りそうだったので、病弱な少年の部屋に避難した。

彼は死ぬ前の姿を絵に遺すことになっていた。


白黒で描かれた少年を探し、ここまで飛んできた。


「鳥さんの言ってることはまちがいないんやけど、俺が知らないことがあるのはおかしくない?」


白黒の少年の名前は『ニケ少年の肖像画』で、男はニコと呼んでいる。

絵画の作品名はあっても、彼そのものに名前はない。


ニコはテーブルに両肘をついて、虫かごのトリを観察している。

男は少し離れたところでコーヒーを飲んでいる。


「君の魔法が動く前に、この鳥とニケは出会ったんだろう。

それを誰にも話していないのであれば、話の筋は通る。

鳥の言うことが真実であるならば、の話だけど」


「トリは嘘はつきません! いい加減、ここから出してください!

トリは何もしてないじゃないですかぁ!」


どれだけ鳴いても冷たい視線が返ってくるだけだ。

本当に何もしていないのに、どうしてこんな目にあうのか。


「君は存在自体が邪悪だからね。

無害でも放置はできないんだ。自分が何者か、本当に分からないの?」


「それは悪魔さんも同じやないの? 魔界でブイブイ言わせてたんやろ?」


「人のこと言えないじゃないですか! 

よくトリをバケモノみたいに扱えますね!」


見かねたニコが虫かごを開けて、トリを解放した。

トリは泣きながら、少年の頭に乗る。


「なあ、鳥さん。確かに、この描き方っていうのかな。

ニケが描いたっていうのは分かるんやけどさ。

なんか変じゃない? 俺とニケと、この髪が長いのは悪魔さんか? 

ニケは悪魔さんのこと、知らないはずなんやけどな」


ニコはトリから受け取った絵を広げる。

柔らかい色鉛筆の絵で、ニケとよく似た白黒の少年が手をつないで、笑いあっている。その後ろをぞろぞろといろんな人がついて歩いている。


「いや、この人たち誰? 知り合いなの?」


男が後ろから覗き込み、声を上げる。


「あ、この学生さんを見たことがあります。あの人も絵描きでしたね」


「じゃあ、みんな鳥さんの知り合いなんか?」


「うーむ……他の方は存じ上げませんねえ。

ただ、なんだか楽しそうじゃないですか? あの少年も笑っていますし」


「せやねえ。友達がいっぱいいるみたいで、なんかええな」


これからどこかに向かうのだろうか。

妖精みたいに現れた小鳥を見て、何を思って描いたのか。

死ぬ前に話を聞いてみたかった。


「この少年、ニケとおっしゃいましたか。

あの子は俺じゃないから、自由に生きてほしいと言っていましたよ」


「自由かあ。ニケはずっとそう言ってたんよな。

うん、それならまちがいはなさそう。

ごめんな、いろいろひどい目にあわせて」


「本当に死ぬかと思いましたよ」


「ニケから手紙をもらうとは思わんかったなあ。これは大事にしないと」


ニコははにかみながら、絵を額縁に入れた。

男はため息をついた。


「君は悪さをしに来たわけじゃないみたいだし、今回は許す。

ただし、変なことをしたらタダじゃおかないからな」


「何もしませんよ。トリは悪いトリじゃありませんので」


トリは窓辺に止まると、ニコが開けてくれた。


「鳥さんはこれからどこに行くの?」


「そうですねえ、特に決まってないんですよ。

なんせ行く当てがありませんから」


「それなら、一緒に来ない? 俺たちも次の場所が決まってないんや」


「トリをバケモノ扱いする人とは一緒にいたくはありませんが……世界をひと周りした後、覚えていたら考えます」


「実際、バケモノにしか見えないんだよ。

本当に何者なの、君は」


「さあ、トリはトリですので。

なんともカンとも言えないんです」


絵に描かれていた、まだ見ぬ人たちもどこかで会うのだろうか。

全員で会うことがあったら、どんなに楽しいだろう。


「気をつけるんやで。いってらっしゃい」


「いってきます」


ニコはトリの背中が見えなくなるまで、手を振っていた。

トリは飛び立ち、次の世界へ向かった。


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