サラ・コナーによろしく
廉価簾
1
憂葉 1
「これで完成じゃないの?」
私は迷花のタブレットに表示されたイラストを見て言った。
「これはまだカラーラフだから」
迷花はそう言って、クリスタのファイル管理画面に移動した。クリスタとは絵師界隈で主流のお絵かきソフトのこと。そこにはイラストの各段階のファイルがサムネイルとして並んでいた。落書きのようなラフもあれば、線画と陰影だけのモノクロの段階のもの、彩色済みで完成間近のような絵もある。サムネだけで訴求力があり、それがSNSで評価を伸ばすために必要なのだと彼女は言う。確かに、彼女の絵につく数万の〝いいね〟のうち相当数がスマホの小さな画面を持つ指によって押されたものかもしれない。戦略は、技法にも影響していく。
「カラーラフで止めてあるものもあるし、複数を同時進行で描き込んでいくこともある」
駅から私の大学方面へ向かうバスの中で、イラストについて語る迷花は昔のように饒舌で、自慢げだ。高校時代との違いといえば、カラーラフという言葉を彼女は知らなかったはずだし、ipadも持っていなかったし、クリスタも安価版だった。SNSでのフォロワーも今の100分の1の人数だった。
「じゃあカラーラフって、小説で言うプロットみたいなものだね」
私は類比を行った。
「そうかも?」
迷花の語尾が完全に同意とは言えなかったので、私は補足した。
「プロットと言っても、完成してから要約したものじゃなくて。私なんかは、ログライン――全体的な流れを決めてから小説を書き始める。設計図、予定書」
「予定......そうかも」
迷花は同意したようだ。私はこのように、絵の言葉を小説のそれに翻訳するのが好きだったし、迷花も同様だった。迷花は正確な翻訳を好んだ。
「憂葉とのこういう会話、懐かしいな」
迷花は少し安心したように言った。
高校時代に同人誌を作っていて、私が話を作って、迷花が作画した。絵と小説の創作技法の相互翻訳は、そのころからの私の癖だった。お互いに、小説を書くもの同士の友達や、絵を描くもの同士の友達がいなかった私達は、さらなる上達のためには、きっとそうした同ジャンルのライバルが必要だと気づいていた。漫画家を目指すペアが主人公のアニメで見たような関係性に憧れた。でも私達は、クラスに創作をやろうとする人間が二人しかいなかったので仕方なく手を組んだ、いわば消極的な同志だった。そこで私はこう考えざるを得なかった。もし創作論が別ジャンル間でも共通していたら?私達はノウハウを共有できる。翻訳された形で。例えば、全体像を先に掴んだほうがいいとか。創作であるならどんなに形が違っても共通する心得的なものがあってもいいはずだ。
「憂葉の文章が上手くなると、なぜか私の絵も上手くなる」
迷花がそう言ったとき、私の試みはなぜか機能したのだと思った。小説と絵の相互翻訳という企みが。大学で言語学を専攻する私が、今も考え続けているテーマの実践が。
とはいえ、翻訳不可能な部分があることは知っていた。絵では表現できない概念があるから文章を書いているのだし、文章では表現できない機微を伝えるのが絵で、そのように私達の漫画は補いあっていた。
そのような共同作業も、私が隣県の普通大学へ、迷花が京都の美術系大学へ行ったことで終わった。今回三年越しで再会したのは、とある施設が日本にできて、迷花がそこに行きたいと言ったことが理由だった。その施設は、迷花のいる京都ではなく、まさに私がいる地方都市にある、とある美術工芸大学近くの山の中に建造された。京都では山間部とはいえ十分な土地が確保できなかったのだろう。
だから迷花は休みを利用して私の下宿に泊まって、その施設を訪れることにした。
その施設の名前は〈アンフィテアタ〉、古代の円形闘技場を意味する名を冠したそれは、実際にそのような見た目をしている。そのデザインは、芸術の競技性を守るための象徴的な意味合いがあると同時に、ネット通信を制限するための閉鎖性を作り出すという目的を持っていた。彼らが象徴的にも物理的にも壁を作ってまで遮断しようとしているのは、生成AIだった。正確には、生成AIが行う創作物の無断学習。それは、〝人間のアーティスト〟の聖域と自称していた。
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