いがらし

 雨の夜、殺すことにした。

 あの男は、毎晩自宅近くの古い神社に通っていた。

 俺は傘をたたみ、参道わきの杉の木のそばに立つ。

しばらく待つと、石段を上るかすかな足音。

そして、土の参道に人影が見えた。あいつのようだ。

大勢の人を騙してきた詐欺師が神社に足を運ぶとは、

罪滅ぼしのつもりなのだろうか。もう遅い。

 男は、社殿の少し前で立ち止まると、頭を下げた。

俺は、ゆっくり相手に近づく。そして声をかけた。

「やあ」「あ、久しぶりですね」こいつだ。間違いない。

 俺は、どこでも買える安物の包丁を男の腹に突き刺した。

相手は、腹を手でおさえ、うめきながら膝をつく。

 もし月の輝く夜なら、ここに誰かがいたかもしれない。

体を鍛えるため石段を駆け上がる人さえいたかもしれない。

 しかし、雨が降る暗い夜だ。周囲に人影はない。

 たとえ泣き叫んでも、助けはない。男は、濡れた地面に

顔を突っ込んだ。ぺちゃ、と泥が情けない音をたてる。

 うずくまった体勢で、男は痙攣する。

見ようによっては、敬虔な宗教家が大地にくちづけし

祈りを捧げる姿に似ていた。


 しばらくして、痙攣が止まる。顔は泥につけたまま。

これでは呼吸もできまい。闇の中で完全に死んだようだ。

 俺は傘をさして、その場を離れる。地面を見ると、

自分の足跡が雨で少しずつ崩れていくのがわかった。

これなら大丈夫、証拠は何も残らない。雨で流れていく。

 ただ最近は、街のどこに防犯カメラがあるかわからない。

黒い服を着た俺は、顔を傘で覆い隠しながら歩く。

 俺はアパートに帰りつくと、すぐに着替えた。

 さて、傘や靴や手袋、黒い服は捨ててしまおう。

血がついている可能性、防犯カメラに映っている可能性を

考えたら、切り刻んで川へ捨ててしまうべきだ。

川は、雨で水量が増している。遠くへ流してくれるはずだ。

 俺は、大きなハサミをつかんだ。


 そして数日後、驚いたことに、アパートへ

刑事がやってきた。「沖靖治さんですね、調べはついてます。

自供するなら今ですよ。あなたは運が悪かった」

 どういうことだ。なぜ俺の名前がばれたのか。

 俺は何か見落としたのか。運が悪いとはどういうことだ……。



「沖さん、あなた大事なことを忘れてますよ。

あの夜は雨が降っていて、地面が柔らかくなってました。

もうおわかりですね。被害者は指で地面に

名前を書き残したんです。ダイイングメッセージですよ。

その文字が彼の体で隠れていたとはいえ、

見えなかったんですねえ」

 俺は降参した。投げやりな口調で刑事に説明する。

「暗かったんだよ、あの場所は。しかし、あいつは

あの体勢でそんなことをしてたんだな」

「まあ、あなたは運が悪かったんです」

「どういうことだ?」

「あなたの姓ですよ、沖さん。短い姓だし、

『沖』という漢字は画数が少ない。

だから、被害者は死の瀬戸際に数回書き残すことができたし

我々も読み取ることができたんです」

「短い姓? 数回?」

「数回書き残してました。それも、漢字とカタカナで。

『沖 オキ オキ』と。短い姓だからできたんですね」

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