女神様と言われましても!?〜二百年ぶりに目覚めたら教え子に婚姻紋をつけられました〜

月白セブン

第一部

第1話 目覚め


「な、にをしたの……っ」



 私の手首に、ぐるりと蔦のような紋様が浮かんでる。

 その瞬間身体が燃えるように熱くなり急速に鼓動が速く、呼吸が浅くなる。

 触れる空気が、彼の声が、私の身体をぞくりと粟立あわだたせた。



「なにって……『いっしょのおまじない』だってさっき言ったじゃないですか。リリアーヌ先生がいつも僕たちにしてくれていたでしょう?」

「あれはこんなのじゃ……、っ」



 彼の指先が、私の手の甲をかするようにするりと滑った。

 身体が飛び跳ねてしまうほどの感覚に、咄嗟に目をぎゅっと強くつぶる。



「これは、あのおまじないの完成形なのです。今では婚姻の際にこの魔術を施す人もいるのですよ。まぁ今回は少しアレンジしてますけど」



 私の手の甲に口づけを落とした彼は、琥珀色の瞳でこちらをジッと見つめていた。有無を言わせぬ力強さのあるその瞳は、しばらくするととろりと揺らいだ。

 両手で私の手を大事そうに包み込み、彼自身の額にあて、懇願するように呟く。



「もう、いなくならないでください。二百年ずっと──待っていたのです」

「……っっ」



 小刻みに震える彼のこの姿を──他の人は知っているのだろうか。

 世界の中心とも呼ばれる大公国を二百年統治し続ける彼の、この弱い部分を癒してくれた人はいたのだろうか。

 それとも、ずっと一人で孤独を耐えたのだろうか。


 私の知らない二百年。

 すべてははるか遠い昔に失われ、私を知る人物は彼だけ。

 美しい青年となった彼はもう泣いていた小さな子供ではないけれど──この手を拒絶することなど、私にできるのだろうか。


 モヤのかかったあの世界の声が、聞こえる。

 閉じ込められたあの世界。

 しばらくしてからなぜか何も思い出せなくなっていて。


 でも今──確かに聞こえた。



『リリアーヌ……外に出たら』



 これは、誰の声だったのだろう。


(考えなきゃいけないことが多すぎる。でもそれより今は)


 自分の手をさっと引き抜き、その手首を見せつけるように彼の目の前に出した。

 いつまで経っても胸の高鳴りも身体の粟立ちも、身体の熱も一向に収まらないけれど。

 身体の奥が、ずくずく疼くけど!


 私は彼をキッと睨みつけた。



「だからっ! そのおまじないに一体何のアレンジをしたのよっ!?」



 すでに顔は真っ赤なのが自分で分かるし、息も上がっている。

 のぼせてしまったような感覚で、もしかしてこれは──とは思っていた。

 フェリクスは美麗な顔できょとんと私を見つめた後、ゆっくりと口角をあげた。



「感覚増幅の効果です。──感じちゃいました?」

「──…………なんてものをアレンジしてるのよっ!?」



 くすっと笑い声を漏らしたフェリクスに、私は大声をあげた。




◆◆◆◆



 ぽろぽろと自分にまとわりついていた何かが剥がれ落ちていくのを感じる。


(え、出られる!? ほんとに!? 二年ぶりだわー! 養護院のみんな、元気にしてるかしら。心配かけてるだろうな。実家は……まぁどうでもいいけど)


 私、リリアーヌが修道院の養護院で働き始めて七年が経ったとき。

 ちょっと運悪く、クリスタルに閉じ込められてしまった。


 ──クリスタル・グリードっていうのは、突如地中から生えてくるクリスタルのこと。

 ごくまれに人を飲み込むと言われてるんだけど、私は見たことなかった。

 長い間研究が進められてきたが、いまだにクリスタル・グリードがなんなのかすら不明。


 私が突如、地中から生えてきたソレに運悪く飲み込まれて早二年。

 多分。


 同じくクリスタルの中に閉じ込められている人たちと、会話ができた。

 私たちは試行錯誤を繰り返し、なんとかクリスタルから脱出しようとしていた。


 結局一番遅く閉じ込められたのに、一番早くクリスタルから出ることができたのが私。


 ぽろぽろと身体を覆っていたクリスタルがはがれていき、空気を感じた。

 肌に触れる空気は快適な温度で、かすかに風の流れがある。


「……っ!?」


 ごくりと喉を鳴らす音が外から聞こえた。

 近くに誰かいたらしい。

 その人物がパタパタと足早に走り去っていく音が聞こえる。


 しばらくして、ようやく全身のクリスタルが剥がれ落ちたのだろう。

 今なら目を開けられる気がして──ゆっくりと瞼を開いた。


 ここで私は『やったーーー!!出られたーーーー!!!』って歓喜の雄叫びを上げて拳を単に突き上げる予定だったんだけど。



「…………ここ、どこ?」


 足元はふわふわで毛足の長い絨毯。

 かなりの高級品だ。

 目の前には紺色のベッドカバーがかけられた大きな天蓋ベッド。調度品もシックながらどれも最高級品であることが見てとれる。


 ふと窓の外を見れば太陽が高く登っていて、正午ごろであることが分かった。


「ここ、どこ?」


 もう一度呟き、きょろきょろとあたりを見回す。


 おかしい。

 なぜ室内にいるんだろう。


 私がクリスタルに閉じ込められたのは、外出時で外だった。

 クリスタル・グリードは地中から深く生え、決して移動させることはできなかったはず。

 それなのに、ここは室内。


 パラパラと私から剥がれ落ちたクリスタルは私の足元に溜まっていたのだけど──私が身体を動かすと、最後まで張り付いていた一つが落ちたみたいで。

 その後クリスタルの破片はすべてスウッと消えてしまった。


「え、消えるの!?」


 慌ててクリスタルに手を伸ばすけど、もう遅い。


「……だめだめ。こういう時は冷静にならなきゃ。周囲をよく観察するのよ」


 大きく深呼吸をし、何とか落ち着きを取り戻そうとした。

 歓喜より戸惑い。

 どう考えてもここは……最上級のお高い部屋。


「お城みたい……」


 きょろきょろとしていると、ふと違和感に気づいた。


「……待って? ここにベッドがあって、ここにクリスタルだった私がいて……。──これ、もしかして……寝ながら眺められてない?」


 すっごく恐ろしい考えが浮かび、ぞくぞくっと背筋に悪寒が走った。

 どうやってクリスタルになった私を動かしたのかは知らないけど、もしかしたらここは……。


「変態の屋敷かも……!?」


 冷や汗をかいていると、バタバタと複数の足音が外から聞こえてきた。


 変態集団や犯罪集団だったらどうしよう。

 心臓がバクバクと急速に音を立て、呼吸が浅くなっていく。

 窓を背に、これから入って来るであろう入り口に向け、手をかざした。

 もしおかしな人たちだったら、魔術をぶっ放して逃げよう。


 これでも王立魔術学院に通っていた。

 家族に無理矢理退学させられる一年間だけだけど、隙くらい作れるはず。



 ガチャッ!


 ──最初に飛び込んできたのは、二十代後半に見える男性。


 青みがかった黒髪は長めのセンター分けで、毛先が緩やかにカーブしている。

 琥珀色の瞳を持った、とんでもなく端整な顔の人。目の下に二連の泣きぼくろがある。


 ……すっごいイケメンが来た。

 彫刻みたい。


 いや、イケメンだからと言って良い人だとは限らないから、攻撃解除の要因にはならない。

 けれど彼は──困惑と焦りと疑惑が入り混じった表情で現れたあと、私を見て目を大きく見開く。



「──リリアーヌ先生」



 震える声で瞳を滲ませた彼はしばらく私を凝視し続け……そのあと、心底安堵したようにくしゃりと笑みを浮かべた。


 私は『誰?』と訝しげに彼を見つめた。


 だって、こんな知り合い──いない。

 さすがにこの顔に会ってたら、絶対覚えてる。


 ましてや私を「先生」と呼ぶ養護院の子供たちは、二年経とうとも二十代後半になるはずがない。


 ジッと観察をすると目の下の泣きぼくろや、よく見ると片方だけ耳がちょびっと尖っていることに気づいた。


 ふと脳裏に、一人の少年の顔が浮かんだ。

 泣き叫んだその少年の前で、私はクリスタルの中に閉じ込められたのだけど、そういえばあの子も同じ特徴を持っていた。


 彼の耳や泣きぼくろで私は当時「特徴的で覚えやすいわね」と言ったのだけど──。



「…………フェリ?」



 首を傾げて、言葉を発した。


 脳裏に浮かんだ少年の名は、フェリクス。

 養護院にいた子にとてもよく似ている。

 顔立ちの整ったとても可愛らしい子で、十数年経てば確かにこんな感じになりそうだった。


「先生……っ!!」


 彼は瞳をキラキラとさせ私に駆け寄り、ぎゅっと私の身体を抱きしめてきた。


「え、本当にフェリクスなの? なんで二年でそんなに大きくなったの?」


 抱きしめられた腕からプハッと顔をあげて、彼をまじまじと見た。


 整った顔立ちの中で輝く琥珀色の瞳が、異様な魅力を放っている。

 でも、とても二年でここまで成長するとは思えず──。



「……もしかして、二年じゃなくて十年くらい経ってしまったの?」



 恐る恐る尋ねてみると、彼は困ったように笑った。


 そのとき、彼の後ろからメイドらしき女性が。

「大公様」

と彼を呼んだ。


 彼と女性は何か言葉を交わし、メイドは頭を下げ、また部屋から出て行った。

 私は、彼女が彼に向って呼びかけた言葉に、きょとんとしている。 


(たいこうさま……ってなに? ──もしかして大公様?)


 そんな地位は、このルクサード王国に存在しない。

 一体何がどうなってしまったのか。


 抱きしめられた腕はきつくはないにしろ、すっぽりと私を腕に包んだまま決して放そうとはしない。


 彼は私を見つめる。

 そして困ったような笑みを浮かべた。



「おっしゃる通り、僕はフェリクスです。すぐに分かってくれて、本当に嬉しいです。ただ一点だけ間違いが」



 私が首を傾げると、申し訳なそうに眉を下げたフェリクスがとんでもないことを言った。



「先生がこのクリスタルに閉じ込められてから──すでに二百年が経過しました」


「………………は?」



 ちょっと、言われたことの意味が理解できなかった。




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