プロローグ④

「じゃあ普通に良いニュースから。アタシの親父が小説家だからネタ欲しいって、杏音に町の噂について尋ねたら、まずどんな作家かどんな作品を書いてたか根掘り葉掘り聞かれてその結果、」

「はい」

「杏音、親父の作品の大ファンだった」

「マジで!?」

 思わず虚空に向かってガッツポーズをした。まさか娘の親友が俺のファンだったとは。世間というのは狭いが嬉しいことには変わりない。崇拝対象だ何だとさっきは語ってしまったが、申し訳ないが今だけ手のひらを返させて頂きたい。

「え、作品ってことはデビュー作以外も!?」

「本になってない、雑誌に載ってるだけのもスクラップして保管してるって」

「筋金入りじゃねえか! 有難い!」

「今連載してるのもどんなトリックか楽しみって言ってた」

「ごめんトリックゼロで登場人物全員死ぬ話で!」

 今後によっては悪い話に変化しそうだが、めちゃくちゃ良いニュースが残っている。

 いや、これ以上にいいニュースって存在するのか?

「……めちゃくちゃ良いニュースって?」

「ファンだから親父に是非協力したいってことで、この町の噂に詳しい家族を紹介したいってさ」

「……いいんですか……?」

 急展開に思わず敬語になってしまった。そんな都合が良いことが存在して良いのだろうか。人間万事塞翁が馬。悪いことばかりでは無いということだろう。

「杏音も一限で終わりだから、この後ファミレスかどっかで落ち合ってもいいって。アタシはノート写したいからどっちみち会うけど」

「ぜ、是非是非! そっちが良ければ!」

 あまりにも必死な俺にやや引きながらも、娘は「親父も会いたいってさ」と素早くフリックで入力して送信した。

「……というか、親友なのに杏音ちゃんに俺が小説家って言ってなかったんだ? こっちも隠してるつもりは全く無かったんだけど」

「親友だからこそ、全部腹割って話せるけど、その分全部話さなくていいかなってなるんだよ」

 そういうものなのか、と首を捻りながらも納得する。親友とまで言える存在が無い俺にはなかなか想像がつかない。

「あ、場所駅前のファミレスだってさ。先行って席取っとこうぜ。朝飯食ってないし腹減ってんだろ」

 そう言われると、先程から腹の虫が情けなく鳴いている。じゃあ行くか、と自宅への道を反対に、駅方面へと二人歩いていった。

◆◆◆

「今って食うべきは朝食? それとも昼食?」

「自分で考えろよ。食うのも金払うのも親父だし」

 平日午前のファミリーレストランは当然空いていて、あっさりとボックス席に通される。「四人で。後で二人来ます」と栞が言っていたから、杏音ちゃんが連れてくる家族は一人だけなのだろう。

「いやー……今なら滅多に食う機会がないモーニングが食える時間帯だけど、ガッツリ食いたいし……朝十時からハンバーグってアリ?」

「だから好きにしろって」

 そんなやりとりをしていると店の扉が開き、視線を遣った栞が手を挙げる。どうやら到着したらしい。

「お待たせ栞ちゃん! 大変だったね!」

「いや全然。この通りピンピンしてるし」

 ふわりと長い二本の黒い三つ編みが揺れ、ロングスカートの端がひらりと舞う。世間が想像する文学少女、といった趣の少女が、娘の友人、橘杏音だった。ハニーブロンドの髪を短く切り、制服以外でスカートを履いたところを見たことがない我が娘とは、対極の位置に居るような存在だ。

「どうも、改めて、栞の父の六菱要です」

「ひ、ひぇぇぇあああありがとうございます!!!」

 何もしていないのに感謝された。初めての経験だ。

「い、いつも作品拝見して、おりまふ! まさか、栞ちゃんのお父様とは、つゆ知らず……! 著作は全て初版で、雑誌掲載作品も全て保管していましゅ!!」

「噛んでる噛んでる、落ち着いて。小さい頃から会ってたでしょ」

「知ってしまったからにはもうあの頃と同じ目では見られませんっ!」

「ほら杏音、彼に話があるのは私の方だから、ひとまず呼吸を整えなさい」

 と、ここで初めて、俺でも娘でもその親友でもない声が聞こえる。やや高い、変声期を迎えていない少年の声。杏音ちゃんの後ろからゆっくりと現れたその姿は——

「お、お祖父様……!」

「お、お祖父様……!?」

 声の印象そのままの、十歳ほどの少年だった。

 紺色の着流しを纏った、細身で小柄な少年。灰色、というより白に近い髪はベリーショートで、顔にはやたらと大きくて目立つ、丸いフレームの眼鏡がひっついていた。

 杏音ちゃんより、頭ひとつ分更に小さく見える。成程、最初に姿が見えなかったのはそのせいか。

「えっと…………弟さん、かな?」

 杏音ちゃんがぽかんと口を開けるのと、栞からのパンチが左肩に命中したのは、ほぼ同時のことだった。

◆◆◆

「成程ね、暦町の噂を元にしてホラー小説を執筆したいと。話はおおよそ理解したよ」

 注文したブラックコーヒーに口を付け、少年はそう言った。

 橘百たちばなもも、と彼は言った。今年で七十歳。息子が一人居てその娘が杏音。杏音も一人っ子だからきょうだいは居ないよ、とまで語ってくれたが、それでも俺は目の前に座る白髪の少年が、齢七十の老人には到底見えなかった。目を擦っても瞬きをしても、見える姿は残念ながら同じだ。

「——そう言っても、その様子では君は信じてくれなさそうだね」

 俺と彼の隣に座る栞と杏音ちゃんは、ノートの写しと宿題に集中してもらっている。そもそも俺に対しての役目は引き合わせるだけだ。あまり仕事に首を突っ込むものじゃない、というのを二人とも理解してくれているのは有難いが、今は心細くて仕方がない。

「今君には、私がどんな風に見えてしまっているんだい?」

 ぐい、と顔を近付けて、百さんは俺の表情を正面から捉える。俺が頼んだハンバーグステーキのソースが袂に付着しそうなぐらいの近さだ。

「……子供です。十歳ぐらいの」

「へぇ。それは面白い」

 心底面白そうににやりと笑って席に着き、再度彼はブラックコーヒーを啜る。苦くないのか、と心配するが、七十の老人であると思い直す。

「本題に入る前に、君が夜に出くわしたというモノについて、話してくれるかい?」

「はい。……確か——」

 瓦礫のようにボロボロな社。そこから出てきた巨大な手。狐の手の形。そんな荒唐無稽な話を、彼はうんうんと相槌を打ちながらメモを取り、同時に袂から取り出した黒革の分厚い手帳を取り出してペラペラと捲り始めた。

「それの近くに、お地蔵さんか道祖神のような石がなかったかい?」

「あ、ありました。ボウリングのピンみたいに転がされてたんで、重いけど何とか起き上がらせて……」

 腕だけでジェスチャーをすると、彼は「あー」と笑いながら呆れたような声を出した。

「それはね、社のモノの罠だよ」

「わ、罠!?」

「そう。罠だから誰も手を付けない。誰も近付かない。手を触れたが最後、頂上にいるモノに死ぬまで気に入られてしまうから。自分の子供を助けられたんだから、愛してしまうのは当然とも言えるけどね」

「ちょ、ちょっと待って」

 あまりの情報量の多さに思わず彼の言葉を片手で制止する。話がやや飛躍している気がしてならない。

「さっきから話が、全く訳がわかんないんですけど」

「そうかい。でもこれは事実なんだよ」

 手帳に何やら書き込んで閉じると、ぱん、と表紙を叩いてこちらに見せる。

「これは私が四十年研究したものを記した、暦町の怪奇現象手帳だ。——ここに君が遭遇したモノも載っているからね」

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