第2話 ユユ
森に一人の影が舞う。炎を操る少年の姿は活発で見ているだけでも元気を分け与えてもらえそう。実際、そんな少年が光に照らされて緑の光沢を帯びた灰色の髪を揺らしながら駆ける姿に見蕩れる少女もすぐそこにいた。
森に入った目的はそこにて普通の生活を送る獣たち、それらとは異なる気配を持つものを探すこと、そしてそんな有害な生物を倒すことだった。
見付けるべきモノ、視界を巡らせてもしっかりと見定める事が出来ないそれはしかし、目の内のどこかで判別がついてしまう。どこで見れば良いのだろう。まさに人が心の目や霊感と呼んで片付けてしまうもの、異なる世界にすら思えてくる話。
「キタキター、見付けたー」
叫ぶ様子はまさに遊び相手を待つ少年。年齢に相応しい様子を見せつけていた。
他の少年二人は別の依頼をこなすために湿地帯へと足を踏み入れているらしい。湿地帯の歩き心地の悪さはキールもしっかりと理解していた。
「ミューザもコウも大変だろうな」
湿地帯に住まうトカゲを三匹狩って来て欲しいという依頼、そこに狩人の少女ユユから森にいる魔獣を一頭でいいから倒すべしという依頼が被ってしまい、湿地帯で炎を上手く操る事の出来ないキールは森の方へと向かったのだった。
「キール、頑張って」
飛んでくる声援は確実にキールを森へと向かわせた少女のものだった。気が付けば橙にも見える茶髪を炎のように揺らめかせながら隣を走っていた。恐らく魔法の使えないユユでは活発な魔獣が現れた時に狩りを進められないのだろう。仕方のないこと。仕方なくはあったのだが。
「なんで来てるんだ、危険だろ」
仕方がないでは片付けられない状況もまたそこには在った。
オオカミのような姿をした苔の生えた石を思わせる毛並みと色を持ち合わせたそれはユユの方へと向かって駆け始めた。犬の仲間が持つ嗅覚は魔力の量をも嗅ぎ取ってみせるものだろう。
「待てよ」
叫びながら木の枝を構えて指で真横に一度線を引き、中心点を定める。それから様々な角度から中心点へと向けて幾つもの線を結んで祈りを捧げた。
「火炎の天上加護よ、ユラユラユレシアンテイモタザルゲンソヲカシテヨコシタマエ、ワガミタマノカケラトトモニコノヨニケンゲンスルコトヲユルシタマエ」
途端に現れる炎。これは仕事を増やす余計な力でありながら余計な冒険を楽しむ権利を得た力、少年の心を充たすものは確実に隣の世界にあった。
炎は魔獣を追いかける。空気を掻き分けるように焼きながら進むそれは扱いに気を付けなければならない。うっかり森を焼いてしまえば緑の消失へと繋がってしまう。特に樹液を重宝しているハイイロハカザリノキの仲間たちはよく燃えてしまうのだから。
魔獣へと到達するとき、ユユの姿が無い事に気付かされた。果たして彼女はどこへと消えてしまったことだろう。
「まさか食われて」
そうであれば間違いなく魔法使いであるキールの実力不足。周囲は危険な場所だからと言って慰め終わりにすることだろう。しかし責任はあまりにも重たいもの。知り合いになってしまうと言うことがそれ程までに重たいものなのだということを実感していた。
「ユユ」
思わず叫ばずにはいられなかった。
炎は容赦なく魔獣を焼き払う。どのような作りをしているのか、全く以て痕跡を残さずに消え去ってしまった。あの身体はきっと全てが魔力で作られていたことだろう。
「ユユ、ユユ、頼むから」
「死んでないよ」
声が届いたのは間違いない。空から降ってきているようだ。もしかするとまだ死の自覚が無いのかも知れなかった。
「天からの声」
「違うってば」
その返事から間を置くことすら無く影が降ってきた、否、降ってきたのは女の子だった。
「慌てて木に登ったんだよ」
ユユの姿を目にするだけ、ただそれだけで表情を明るみの中に現す。
「あの魔獣は登って来れないから」
「よかった」
ユユはすぐさまキールの唇を唇で塞ぐ。
「ありがと、心配してくれて」
挨拶の一つ、この国の文化として他の部分に触れずに行われるキスなど異性への感謝、それ以上の意味は持たないはずなのに何故だか温かで。
「キールって凄く頼りになるね」
きっと頼りにしているのはキールではなく魔法だろう、きっとそう、きっと。
否定を重ねてみたものの、実際にユユが思っていることとしてはと疑問を放り込んでみてはどうにもキールの方を大切に思っている節があった。ミューザの力でも構わないはず、彼の魔法は非常に優れていて、キールと違って危険に巻き込む可能性すらないはず。
それでもユユはキールの方に寄っていくものだからやはり人柄。
「二歳下の子に頼るなんて私、情けないね」
そんなことを呟く彼女に向けてキールは優しい言葉をとびきりの笑顔でかけていた。
「魔法も使えないのによく無事でいれるよな」
普段から明るく振る舞うユユの弱々しい顔など見たくも無かった。
「ユユは情けなくなんかないぜ」
そうしてもう一頭オオカミの魔獣を倒して森を後にした。
森を抜けて多少地面をならした町が広がる。木々で骨組みされて樹液の混ざった土が塗り込まれたそこ、それこそがキールの故郷。
キールの母はユユの姿を見るなりキールの手を引いて強引にさよならを告げる。
「あの子はダメ」
どうしてだろう、ぽかんと口を開いて黙っているキールの沈黙の疑問に答えてみせる。
「あの子は女の子なのに働き者でしょう」
「それじゃダメなのか」
キールの疑問は人のあるべき姿なのかも知れない。一方でただの考え無しかも知れないとも言えたものだが。
「働き者の女はダメ、当たり前でしょ」
この町では常識なのだろうか、それとも世界中で当たり前のことなのだろうか。キールの想像は膨らむ一方、母は子を想ってしっかりと教えてみせる。
「女は町の子を産み町の命を繋ぐために生きろ、昔からずっと言われてる」
それは初めて聞いた、そんな様子を態度に示すキール、神妙な少年の目を見つめながら言葉を繋ぐ。
「あの歳から働き者だと将来にまで影響するからね、一人ぼっちにして正しくないって示すのも優しさよ」
キールの脳裏を過るのは笑顔の少女、彼女が誰からも相手にされずただ孤独を貪りながら生きていく姿。好きなことすら許されずに顔を暗くしてしまう未来。
あの輝く花が枯れていく姿など見たくもない。
「いやだ、どうしても働くんだったら子が成長してからまた働けばいいんじゃねえの」
「あなたって子は」
続きが出て来ない。唇を噛み締め震わせる姿がキールを刺す。大切な母が悲しむことになろうとは、想像すらしていなかった。
キールもまた、黙っていることしか出来ずに空気は白んでいく。太陽は沈み黒々としていく景色とは反対側、しかしながら同じ虚しさを感じずにはいられなかった。
ユユは歩いて帰っていた。同じ時とは思えない空気感、明るみを増した表情は素直な子どもそのものだ。
家に帰り着くや否や父がその明るみに触れて言葉を捻り出す。
「どうしたんだ、随分元気だな」
そんな様子を茶化すこと無く素直に訊ねてくれる父に友だちにも似た感情を抱いていた。同じ言葉で異なる感情をぶつけてからかってくる人物は幾らでもいるのだから。
「最近仲良くしてくれる人がいてね、年下の男の子なんだけど」
「そうか。働き者の女はって言葉に惑わされない優しい子なんだな」
偏見に囚われる人物がこの町では当たり前の像。ユユに優しく接してくれる人物がどのような心の持ち主なのか、一つの側面は容易く見えていた。
「でも女の子が働くのってそんなに悪いのかな」
疑問を口にするユユの顔はあまりにも純粋で、世間の濁りなど知らない。
この時代の中ではほんの一部の人間しか疑問を出さない部分。
「確かに女は何人も子どもを産むのが当たり前って言われてるな」
子どもを産み、町を栄えさせることが使命、そんな考えが根付いていつまでも腐り果てる気配が無い。土壌をも汚染する勢いで広がってく様を見ていることしか出来なかった。
「妻は昔お前を産んで死んでったからな、そんな事情でユユを連れ回すことになってしまって」
そこから先の言葉など容易に想像がついてしまう。
「ごめんな、もっと世間に合わせるべきだった」
そんな言葉はもはや力を持たないのだろうか、ユユの顔色一つ変えることなく、明るさは保たれたまま。
「いいよ、楽しいし、キールに出会えたから」
「町の魔法使いか」
考え無しのキール、楽しいこと大好きな男の子、魔法の力を持ってしまっているがために普通の男の子として生きていても目立ってしまう。それはおめでたいとも哀れだとも言える。
しかし今は状況が状況、父は心配が絶えなかった。
ユユまで目立ってしまって誰も彼もが今までの印象を変えてしまうのではないだろうか。言葉にすら表し難い悪い空気が流れ込んでしまうのではないだろうかということ。やはり大人の目からすれば心配の種に他ならなかった。
☆
時は戻り夕方の話、湿地帯でのこと。二人の少年が歩く地面は湿り気に塗れて非常に居心地が悪かった。
「気持ち悪い」
「ほんとそう」
ミューザはコウの足がよく泥濘に嵌まってしまう様を見てため息をつく。
「もっと分厚くて広い靴がいいのかな」
誰も訪れないそこ、町からは少し遠いそこ、隣町の方が近いのでは無いだろうかとまで言われている湿地帯で何を探しているのか、記憶の中に無くしてしまいそうだった。
「どうすればいいんだよ、っていうかシメリオオトカゲ捕まえられるのか」
湿地帯に住むトカゲを狩って来ること、湿地帯で育った少し大きめのトカゲの肉は他では味わうことの出来ない癖ある味わいと食感を持ち合わせているらしい。絶品というよりは珍味と呼ぶに相応しいちょっとした贅沢品、皮は幾つも集め加工を施すことで作業用の手袋になる。
「ミューザはなんで泥濘に嵌まらないのかな」
コウの質問に対してミューザは微笑みながら答えてみせる。
「そりゃあ水の天上加護を受けてるからね」
ある程度希少な魔法使い、その殆どは七つの天上属性の内の六つから一つか二つの加護を受けているのだという。炎、水、土、風、光、闇。残す一つは無とも天上そのものだとも言われており、遠い国では神として崇められていることもあるのだという。
コウの生き生きとした説明を聞きながらミューザは疑問を応えとした。
「泥は水と土だしコウは土使いなのに無理なのか」
コウは湿地を見下ろす。人の足を奪おうと画策する忌々しいそれはどこまでも苛立たしい存在、水を多く含んでいることは確かだろう。しかしながら泥は飽くまでも土の要素も持っている。
「そうだね、やってみる」
ミューザは近くに半分埋もれた木の枝を手にしてコウの手に移して促す。
無言の催促を受けてコウの手は動き始める。
湿り気最大の居心地の悪い地面、腐り果てた自然を彷彿とさせるにおいに鼻を突かれつつ枝を地に差し込み削り取るように陣を描いて。
地を囲む円は世界そのもの。引かれた線は地面の脈。書かれた記号の集まりは地面の上にあるもの、この世界の中に存在するもの全てを簡単な言葉に纏めただけのもの。
世界とは地面の上にて展開されるもの。地属性だけは天上加護でありながらも地の加護にも錯覚してしまう不思議な属性だった。
「大地の天上加護を受けるよ」
そう告げながら天上加護と直接呼ばない祈りがそのまま展開される。
「大地よ我が身を窮屈から解放したまえ」
ただそれだけのこと。天上加護を詠唱の中に含まないただの願いを告げるだけでコウは浮かび始める。泥に嵌まっていた長い靴は汚れの一つも残さず新品そのもののような有り様で現れた。
先程までの不安定な地盤が嘘のように固く感じられた。
「よし、これで歩いてける」
それからは早い、速い。景色の流れは変わり果て、世界が姿を変えてしまったように思えてしまう。
水と地の混ざり合った不思議な床を駆けるという演目の中で遂にトカゲの姿を見付けるに至った。
「キールも一緒が良かったね」
「キールは絶対沈むから。でも面白そう」
明らかに人が悩む姿を楽しもうとしていた。存在しない時空の話、キールが妙に騒いで二人を笑わせながら歩みを進められずに置いて行かれる様が当たり前のように思い描けた。
シメリオオトカゲ、泥を被って溶け込むような色合いを施している為に肉眼では発見しがたい。本来は木の皮のような黒みがかった灰色をしている。
「身体を掴むんだ」
「尻尾切って逃げるし尻尾も動くんだよね」
見るからに子どもの手のひらに納まるサイズではないものの、担ぐほどのサイズでも無く、腹に腕を回して抱きかかえる形がちょうど良いといえた。
「檻を作ろうかな、ネコみたいに抱えたくないからね」
コウの語るとおり、この生き物を抱え歩くことに抵抗感を、強めの嫌悪感を獲得せずにはいられなかった。
コウは木の枝で地を軽く抉るように印を付け、手を着いて唱える。
「地の天上加護よ、柔らかな大地を固め獲物を閉じ込めろ」
キールの詠唱と異なり余計な言葉を含まない命令、恐らくはそれがコウの魔法の起動に最適な言葉なのだろう。性格や幼少の環境から魔法を上手く扱える詠唱の種類が異なってくるのは人が人という生き物を逸脱出来ないが為だろうか。
トカゲが逃げる。走る先に突然固い地が現れて。トカゲが乗った途端に勢いよく天へと上る地の柱、それが天井を作り上げ天上への道の繋がりを塞いでしまう。そうして動きを封じられたトカゲは檻の中を回り駆け巡り、万策尽きたことをいつまでも悟ること無く。
続いて二匹、抱えるように持ち上げて檻の方へと放り投げる。檻はトカゲが入ることを歓迎しているようで抵抗の一つもなくただすっと入れ込んで、脱出を許さない。
「よし、後はこれを持って帰るだけだよ」
背負っている鞄を前に回して紐を取り出し柵に括り付ける。
「行くよ」
「もちろんだな」
二人で引っ張る。抵抗感は一切無く、トカゲの重みとちょっとしたぬめりがあるだけ。ぬめりがある分進みやすさが増しているのだということにただただ感謝の想いを抱えるだけ。
進み続けて引き摺った跡が二人の力で進んだ軌跡となる。今日は労働と呼ぶに相応しい活動は行えたものだろうか。
やがて湿地帯を抜け出して、草原をそのまま突き進む。
違和感に塗れた光景はそこにあり。
日頃は見かけない異物。草木を支える地面とはまた異なる色の土は周りにて駆け回る獣たちの視線を集めてしまう。
これからどのように進むのだろう。どこから持ってきたものだろう。獣たちの好奇心は抑えることが出来ずに、共に湧いてくる衝動も留まることが出来なかったそう。獣の内の一頭が駆けて来た。
当然の流れとでも言ったところだろうか。
襲いかかってくるのは茶色と黄緑色のしましま模様で構成されたシマウマを思わせる姿の獣だった。
「来ちゃったよ」
コウは弱気を顔に出して動けない。足が竦んで感情に支配されてしまっていた。
「任せろ……魔獣め」
ミューザは天へと右手を掲げて堂々と胸を張る。
「水の天上加護よ」
「危ない」
コウの言葉と共に草原の草がシマウマのような魔獣に絡みつく。一瞬動きを止めただけ、ただのそれだけで草は妨害をやめてしまう。咄嗟の判断で扱う魔法など所詮はその程度の力を持つことしか出来ないのだろう。
コウの助けに感謝の言葉を述べる余裕すら残さないミューザはただ詠唱を続ける。
「流れ、恵み、水害、息を奪う、やってしまえ」
どこから湧いてきたものだろうか、そんな短い言葉を並べるだけで水が空中から一本の手となって魔獣めがけて突き進む。
魔獣はそれでも構うこと無く突き進む、たかだか水、いつも飲み物にしている命の恵み、祝福の証など恐れるに足らず、そう顔に書いてあるように思えた。しかしその顔はすぐさま変わり果てることとなる。
魔獣の首を締め付け始め、そこでようやくいつもの水の様子とは異なるものだと思い知らされる。
しかし、気が付いたところでもう遅い。
ミューザの顔は邪悪を顕現させていた。殺意に満ちあふれた顔、過去に魔獣を恨むような出来事でもあったのだろうか。両親は健在、五体満足で送る人生、友はいつでもすぐ傍に。一見すると恨むような事はないように思えた。
「魔獣め、こいつらだけは、お前らだけは」
キールの前では決して浮かべることの無い表情に恐怖を覚えつつも共感を添えてしまうコウだったが為に今の行動も心情も否定することなどありはしない。
この友人間では二人だけしか知らない秘密、ミューザの両親を含めてもそう多くは知らない秘密だった。
やがて魔獣は息絶え空気中へと散っていく。決して人類へ恩恵をもたらすことの無いモノはただただ死しては消えるのみ。体毛も毛皮も肉も血も骨も、何も残すこと無く。
残すものと言えば狩る事による苦労の残響と疲れ、被害の痕跡のみ。不思議な力を持ち合わせている種も多い為に飼い慣らそうにも一般人では命を奪われてしまうというのが現実で一切恩恵をもたらすことの無いモノという認識は世界共通、コウの勉強によってそんな事実を確かめてしまっていた。
「あれは一体なんなんだろうな」
きっとその問いが解消される日など来ないものだろう。会話によって保たれていた空気を突き破って襲いかかってくるシマウマは草を従えていた。
「アイツの習性は」
「食べた草を魔法にして扱える」
ミューザに訊ねられて咄嗟に答えるコウ。学ぶことによって知識を広げて生き抜く様はまさに文字の旅人だった。
「そっか」
ミューザは短い応答と共に再び水を呼び起こす。
「殺す、全員だ、魔物なんて一頭たりとも残さずだ」
そこからの言葉は早かった。口は速かった。紡ぎ出す呪文はあまりにも単純で、起動までに時間が掛からない。
「水の天上加護よ、滅ぼせ、消し去れ」
ただの命令、憎悪は暴れるほどに増幅されてまさに恐ろしさの塊。かつて魔獣の手によって苦しめられたコウでさえもそこまで深い憎悪は抱けなかった。
「コウの……」
行き場の無い恨みはどれだけ大きくなっても虚しさしか生まない。分かっていたものの、抑えきれるものでは無い、抑えて良いものでもない。今という時を生きる中で手放してはならない感情、ミューザの中ではそう決められていた。
「頑張って」
それをただ応援するコウの目には色が宿っていない。この世界では起きてもおかしくないこと、この世界に生きている限りはゼロになど出来ない出来事はただ恨みを持ってきては永遠に仲良くなれない存在なのだと強く語っていた。
次から次へと魔獣を死へと至らしめる。
一頭二頭三頭、次から次へと命を消し去っては骸すら遺さぬ相手の不確かな存在の痕跡を恨み続ける。
「ミューザ、もう帰ろう」
コウの言葉にはっとしてようやく帰路の続きを歩み始める。森と比べて遠いそこはやはり時間を奪ってしまう。夕空はとっくの昔に顔を隠してしまっていて、辺りに広がるモノは黒々とした闇のみ。小さな輝きは多く在れどもそのどれもが触れられないほどに遠い場所に在って。
「妹みたいだよ」
コウの言葉に頷く。
「確かにそうだ」
きっとミューザ程の魔法の力をもってしても届かない、それ程までに遠いところにいる。コウの方へと顔を向けてミューザは誓いを立てる。
「大丈夫、絶対にコウを妹のところにまで連れて行くから」
ひたすら勉学を貪るコウ、魔法を磨きつつ夜は程々に勉強を頑張るミューザ、二人の命はこの町に永遠に納まるつもりなど無かった。
「だから、今日は早く帰ろう」
キールの前では読み書きは出来ないフリ、いつも同じ舞台で踊り続けているという仕草だけを見せつけているミューザ。彼はそっと呟いた。
「キールは連れて行けないからな」
「そうだね、町のみんなを守ってもらわなきゃ」
コウもまた同意を掲げてみせる。きっと三人揃ってでは誰もが反対意見を述べることだろう。結局の所、人類が魔獣と肩を並べるだけの実力を持つには魔法は不可欠で魔法を持つことの出来る人物はほんの一握りなのだから。
広がる草原は勉強の時間を奪い続ける。それ程までに遠い所まで来てしまっていたのかとため息をつきながら歩き続ける。
しばらく歩き続けてようやく見えてきた微かな明かり。ハイイロハカザリノキの樹液で濡らした木材の破片を砂の上で燃やすことで灯すそれは周囲に燃え移るものを置かないように細心の注意を払った上で配置されていた。
「やっと帰ってきた」
「学校や大きな病院のある都市では電気っていうものが明かりを点けるらしいな」
ミューザはもちろんのこと、コウも知識の上でしか知らないそれに対して大きな憧れを持つと共に目指さなければならない場所としてしっかりと頭の中に焼き付いていた。
その様は目の前で揺れる灯りよりもずっと明るくて熱いものだった。
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