第2話
いや、それでも愛はわかる。愛については。俺にわかるのは愛だけだ。彼女を愛していた。いや、今でもまだ俺は彼女を愛している。故に俺は愛は、愛だけは、わかる、わかっているつもりだ。が、我に返って、俺は「愛」というものの真理と真実を、理解しているのかと、疑った結果、「愛」の説明ができなくなってくる。いや、説明ができるのならば、本当に説明できるのならば、俺はこんなことをしていない。わからなかったからこそ、俺と彼女の道は分かたれたのだ。それは、間違いない。彼女も俺も、何もしちゃいない。外的要因でもない。ただ、別れなければならなかっただけなのだ。だからこそ、「愛」とは、なんだ。「愛」の持つ意味、意義、定義、事実、現実、行為、現象、その、全てが、「それが愛を表すのか」と問われれば、わからないとするしかない。故に俺は愛すらわかっていない。
それでも、それでも、俺は、彼女を愛している。愛の全てがわからないが、愛と名付けられるもの全てをもってして、いやこの世界の認識全てを愛として語るのであるならば、俺はそれら全てに当てはまる全ての愛を彼女へ向けている。故に、彼女の幻影を追いかけ続けている。俺と共にあった彼女の、俺の愛した彼女の日々が幸福であったのか。また、今彼女は幸福であるのか。それが知りたかった。のだ。もしそうでなかったとしたら、俺は彼女の幸福のために祈りたかった。
のだが、幸福とは、なんだ。誰がそう名付けるのだ。名付けたのだ。その意味も、定義も、行為も、現象も、形而も、わからない。いや本当の意味での幸福とはわからないが、その本当の意味というものすら俺にはわからない。いや、わからないという言葉の意味すら俺は本当にわかっているのか。いや、わかっていねえだろうな。そのうちに現象、現実、実体、存在、その他、あらゆるものがわからなくなってくる。わからないからわからないという一文に帰結する。故に、俺は祈るしかない。「祈り」なんていうもともと得体の知れない言葉でならば、得体の知れない現象を表せるかもしれず、俺はそこに賭けるしかない。
しかし俺の祈りなぞ、なんの足しにもなりゃしねえことは、俺が、俺自身がよくわかっている。のだが、それでも、祈ることしかできぬのだ。俺は無神論者だが、祈ることしかできぬ。いや、無神論者が故に神やら仏に祈るのではなく、純粋に彼女の幸福を願っている。願い過ぎて、同時にその行為が無力極まる実感がある故に、血反吐はきそうになるほど対象不在のなにかに祈り、願っている。
とにかく、俺はそれらの思考を、訳もわからず、答えも出ねえ思考を引きずりながら、歩いて行く。引きずってでも進まなければ、俺は一生この場所で考え続けてのたれ死にそうになる。だからこそ、引きずって、歩いて行く。
俺の、原罪である、性欲を引きずって、な。ゴルゴタの丘を歩けば救世主にでもなれるのやもしれぬが、俺の罪は何にも、どこにも、道は繋がっていない、のだ。が、それがどうした。俺は救世主になんぞなりたくはねえ。が、やはりそれすらも感傷であり、俺は、何かを得なければならぬ。とすれば、俺はこんなことをしている場合ではない。帰らなければ。とにかく、今は帰路につき、冷静になるべきだろう。
そうやって、また俺は歩いて行く。踏切を越え、山の登山口に繋がる駐車場を抜け、俺の意識の中では蝉の声も虫のすだきも遠のいていくのを感じる。俺の感覚そのものが、現実と隔絶されていく感覚。雑草だらけの畑、そのうちに見えてくる古い住宅街。そういうものから、現実感が遠のいていく。
遠のいていくうちに、俺と彼女の過去も、あの過去すら、本当に現実であったのかわからなくなって、くるが、それを現実だと強制的に認識することで手一杯になり、俺の現実は全て空想になり、妄想になってくる。故に、俺は現実がわからず、現実が現実として認識できぬということはつまり俺と彼女の過去という現実すらもわからなくなるということ。俺にはもう何もかもがわからぬ。
ポケットからたばこの箱とライターを取り出し、一本に火を着ける。煙を吸い込み、吐き出す。西日は落ちかけている。俺は現実という、いや、現象というものを確かめるために、ある程度吸い終わったたばこの火を掌で握り潰す。熱さという実感ではなく、何かを突き刺す時の強い痛みの感覚。それによって俺は現実と現象というものを認識しようと試みた。が、結果、強い痛みの衝撃により夢から引き戻される感じはする。感じはするのだが、全てがわからないから全てがわからないという言葉の幻影が消え去りはしなかった。
家まで歩くのも面倒になり、俺は来た道を引き返し、タクシーを捕まえる。車が走り出すとまた、遠ざかっていく。あらゆる一切が。景色だけではない。エアコンの効いた車内では、体が楽になり、思考が俺の下に戻って来る。が、幻影のような現実は、景色と共に遠ざかっていく。比喩ではなく、いや、比喩としての距離と共に、遠ざかっていく。車内の土足用マットの上で足を動かす度に伝わってくるけば立ったどうでもいい感触のみが、なぜか俺の現実感であった。
このあたりでは一番安い薄汚れたアパートで車を降りる。俺はそのアパートの中へ入って行き、急かされてでもいるみてえに、汗にまみれた体を速足で進め、扇風機の電源を強に入れ、首の向きを直撃にし、布団の上でオナニーする。
俺が今日すれ違ってきた人間どもの顔が思い浮かぶ。いや、知らねえやつらばかりだから思い浮かぶ筈もねえのだが、脳内で無理やり思い浮かばせ、顔をでっち上げ、ると、皆彼女の顔になる。いや、そんな筈はねえのだが、似ても似つかねえ、知らねえ奴らの「存在」なんていうものが、彼女と同一化する。しちまう。「彼女」は「人類」のうちの一人であり、ならば彼女もまた人類なんぞという意味と同義であるからやもしれぬ。いや、間違いなく、な。
俺の、俺という存在の愛を彼女へ向けることが不可能なのであれば、許されぬのであれば、俺は全人類を愛するしかない。許されぬ故、不可能である故、それでも彼女を愛するのであれば、俺は人類全てを慈しむべきなのだ。彼女もまた人類のうちの一人であるのならば、全人類を愛することは彼女を愛することも含むだろう。いやまて、本来はそれこそが「愛」なるものの本質ではないか。美徳ではないか。ないのか。
いや、違う。違うのだ。本質的には、な。俺のすれ違ってきた人間どもその全てに、愛し愛されている人間がいる。俺が彼女を愛するように。そう思考した時、俺には全ての人類が愛しく思える。のだが。
彼女の幻影を思い浮かべながらオナニーしつつ、俺は思考する。お前は「愛」という概念を愛しているだけではないのか。お前の愛は、彼女を愛するものであった筈だ。不可能である故に妥協策として人類を愛しているなぞとのたまっているだけに過ぎぬのではないのか。ないのか。正直に彼女を愛していると、何故考えぬ。考えぬのだ。
俺はオナニーどころではなくなり、下半身を風に晒したままで仰臥する。寝返りをうちながら思考する。擦り切れて黄ばんだ畳の目が、なぜか現実感を持って迫って来る。
ならば俺は、俺は何故、愛しているとのたまいながら、性欲という、反吐が出そうになるような欲望の対象に彼女を置くのか。性犯罪の、いや法律はどうでもいい。性的暴力、罪、その元凶と同じ要因である性欲を、なぜ愛している人間に向ける。お前は、何故。
お前は彼女を愛しているのならば、性欲を向けるべきではなかった筈だ。そうだ。俺は何故、彼女の妄想をしながら自慰なんぞをしているのか。するべきでない、のではなく、できないはずだ。そうでなければ、お前の理論は通らぬ。いや、お前の理論ではない、人類の普遍的な理論からいっても、まかり通らぬ。筈だ。
だが。しかし。それならば、奴らはわかっているのか。「愛」と「性欲」の境界が。差異が。違いが。いや、全く持って違うことはわかるのだが、奴らは理解できているのか。
俺には全く持って理解不能なのだがな。いや、理解不能ということもないが、完全に理解しているとは言えぬ故、理解していると断言するのは、してしまうのは、あまりに不誠実ではないか。故に断言できぬのだが、ならば奴らは。奴らは皆理解しているのだろうな。俺が今日すれ違ってきた奴ら。俺が今まですれ違ってきた奴ら。俺がこれからすれ違うであろうお前ら。いや、全人類。全人類が、愛と性欲には折り合いをつけて何事もなく生きている。ように思える。ように見える。感ぜられる。
奴らは、お前らは、なぜ割り切れるのか。いや、割り切れていないのか。いや、割り切れているのだろうな。なんせお前らというやつはこんなにも何事もなく生きているのだからな。奴らは自己の加害性を考えていないのか。自己の中に巣くう加害性。それが意識的にせよ無意識的にせよ、お前らは考えていないのか。と、考えるが、いや、いるのだろうな。と、また思考がめぐる。なんせ奴らときたら、お前らときたら、何事もなく人の営みとやらを続けているのだからな。しかもそれによって問題が起きることはない。
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