第6話

「神木さん、なんだかずっとご機嫌よね」


 神木はなるべく受付に座るようにしているが、それ以外の業務もしなければならない。今日の神木は居住区で仕事をしている。その合間に話しかけてきたのは小川幸乃であった。


「え、そうですか?」

「いつも気を張り詰めたような顔をしてたのに、ここ最近はニコニコしてるから」


 神木が蓮司と付き合い始めてから二ヶ月ほど経つ。神木の休みが変則的なのでデートらしいことは数えるほどしかできていないが、仕事終わりによく食事をするようになった。あまり友達が多くない身としては非常に珍しいことだ。

 毎日べったりというほどではないものの、適度にメッセージのやり取りもしている。それが良い息抜きになっているらしく、ここしばらくの神木は周りにも分かりやすいほど機嫌良く過ごせていた。


「実は恋人ができまして」

「あら! おめでとう! 神木さんのお眼鏡に適うなんて、よほど素敵な人なのね」


 幸乃にいつこのことを伝えるべきか、神木はずっと機会を窺っていた。急に蓮司の名前を出せば面会するように勧められていると感じるかもしれない。蓮司が幸乃を傷つけることなど有り得ないと分かっているが、無理に会わせたいわけではない。むしろ二人の付き合いと親子の面会は切り分けて考えてもらいたいと思っている。

 だから、幸乃の方から話題が振られた今がチャンスだった。


「ありがとうございます。それでその恋人というのは、小川さんの息子さんなんです」

「え?」


 きょとんとした顔を向けられて神木は苦笑する。急に「あなたの息子と付き合っています」なんて言われたら理解が追い付かないのも当然だ。


「二月の下旬に面会希望でいらっしゃった、御堂蓮司さんです。いつも手紙を持ってきてくれる」

「え、ええ、もちろん知ってるけど」

「最近は小川さんに手紙をお渡しする頻度以上に会っているんです。いつの間にか僕の方が仲良くなってしまいました」

「そうだったの……あの子が神木さんと……」


 幸乃の表情は何かを懐かしむようで、そこに恐怖は感じられない。アルファを恐れているといっても、子供への愛情はずっと残っていたのだろう。


「急にすみません。いつお伝えしようか迷っていたのですが、いい機会だったので」

「いいの。びっくりしたけど、嬉しくもあるのよ。あの子も手紙じゃ言いにくかったでしょうし」


 恋人の母からその言葉を聞けて、神木はひとまず安堵した。大人同士なので何を言われても付き合う気持ちは揺らがないが、受け入れてもらえるに越したことはない。しばらく会っていない親子だろうとそれは同じだ。


 幸乃はしばらく黙っていたが、やがて思い切ったように顔を上げた。


「神木さん、あのね、もし――」




「御堂くん、今日は面会希望する?」

「え、どうしたんですか急に」


 いつものように蓮司が手紙を持ってくると、神木は中身を確認せずにカウンターから身を乗り出してきた。こんなことは初めてで、蓮司は思わず一歩下がる。表情もやけに真剣だ。


「どうなの」

「よく分かんないですけど、今日は神木さんに会いに来たんで」


 初めの二、三度は何度か面会を希望していたが、断られると分かっているのに確認に行く面倒をかけるのが申し訳なくて手紙を渡すだけになった。加えて最近は神木に会うことも目的になっているので、面会の希望自体を忘れかけていたくらいだ。

 蓮司があまり乗り気でない様子を見て、神木は更に顔を近付けてくる。


「本当にいいの?」

「ええ……? マジで何……?」


 面会はお互いに強制するものではないが、神木からは威圧ではない妙なプレッシャーを感じる。いかにも裏に何かありますといった顔だ。


「そこまで言うなら希望してみようかな……?」


 蓮司がそう言うと、神木は見たこともないほど良い笑顔になった。


「少々お待ちください!」


 去っていく神木の背中はスキップでもしそうなほどウキウキとしている。何がそんなに嬉しいのかと思うが、面会を希望して起こる良いことなど一つしかない。


(え、まさか? でもそんなわけ)


 半信半疑で待っていると、神木は五分ほどで戻ってきた。


「御堂くん、小川さん面会オッケーだって」




 そんなつもりで来たわけではなかった。今日もいつも通り手紙を渡して少し神木と話をして、仕事が終わったら一緒に食事にでも行こうと思っていた。だから、いきなり十四年ぶりに母に会う心の準備などできているはずがない。


 蓮司が通された部屋は、ドラマで見る刑務所の面会室に似ていた。大きく違うのは、仕切りのアクリルガラスが非常に分厚く、会話するための穴も空いていない点だ。お互いの声はマイクとスピーカーを通す必要がある。この部屋ならばフェロモンを使ってもオメガは安全だし、もし面会者側が声を荒らげたら職員が即座に音を遮断できるようになっているのだ。


 小川幸乃は既に座って蓮司を待っていた。


「母、さん」

「久しぶり。元気だった?」

「う……うん……」

「大きくなったわね。最後に会った時はまだ八歳だったから」

「四月から仕事も始めたよ」

「ああ、手紙も読んだわ」


 親子の会話としてはぎこちないが、一緒に暮らしていた時間より離れていた時間の方が長いのだから無理もない。蓮司は母の顔をぼんやりとしか覚えていないし、母からしてみれば小学生が社会人になっているのだから、感覚としては他人に近いだろう。だが、蓮司は母の声を聞くと急に昔を思い出した。


「あの、なんで今日は俺に会ってくれたんだ?」


 積もる話もあるが、それが何よりも気になった。おそらく神木は今日希望すれば応じてくれると知っていたのだろうが、数ヶ月前の希望には応じなかったのに、どんな心境の変化があったのか。


「本当は、死ぬまで会わないでおこうと思ってたの。あなたを見て嫌なことを思い出したくなかったし……小さな子供を置いて一人で逃げるような親よ? 合わせる顔なんて無かった」


 蓮司は幸乃がひどい母だと思ったことは一度もない。記憶にある母はいつもやつれていて、しかしその原因も、なぜ父が助けてあげないのかも子供の蓮司には分からなかった。母が逃げた時に多少荒れはしたが、後に祖父母から経緯を説明されて怒りの矛先は父に向いたので、本当に恨んでなどいないのだ。

 そんな想いは手紙で伝えていたし、母に自分が無事であることを知らせていればそれでいいと思っていた。


「でも、神木さんがあなたと付き合い始めたって聞いて、あなたがどんな大人になったか知りたくなったの。あの神木さんが信用する人なら会っても大丈夫かもしれないって」


 気持ちの変化は嬉しい。お陰でこんな僥倖に巡り会えた。それは蓮司も理解しているが、つまるところ幸乃は実の息子より神木を信用しているらしい。


「なんかちょっと複雑だけど、それでも会ってくれて良かったよ」

「何言ってるの、あなただって最近は私より神木さんに会いに来てたくせに」


 図星を突かれ、蓮司の耳が赤くなる。背後で静かにしていた神木が顔を逸らせて噴き出したので、蓮司は思わず振り返って「いま笑いましたね!」と突っ込んだ。


 そこから部屋の中は一気に砕けた空気になった。蓮司は手紙に書ききれなかったことをたくさん話し、幸乃もそれを笑いながら聞く。幸乃は自分の話をほとんどしなかったが、二人はそれで満足そうにしていた。




 面会を終えると受付時間は終了しており、神木の事務仕事を少し待ってから二人で食事に出た。その帰り道も神木はずっと嬉しそうにしている。


「御堂くんと付き合ってるって小川さんに言った時、もし次に面会を希望したら会わせてほしいって言われてたんだ」

「それで面会しなくていいのかって聞いてきたんですか。急にどうしたのかと思いましたよ」

「僕は強制できないからね。最近の御堂くんは面会希望しなくなってたから誘導しなきゃと思って」

「まあ、お陰で十四年ぶりに母さんと話せましたけど」


 突然のことで慌てはしたが、こうでもしなければいつまでもずるずると神木に会うだけで訪問を終えていたかもしれない。蓮司としては、すぐに行動に移してくれた神木に深く感謝している。


 蓮司はどんな瞬間も神木が好きだと感じているが、今は特にそれが極まっている気がする。溢れそうな気持ちは思わず言葉になって口から出ていた。


「あの」

「なに?」

「神木さん、明日お休みですよね」

「そうだけど」

「俺の家……泊まっていきませんか」


 実は少し前から蓮司が考えていたことだ。神木の歩調が急に緩んだので、蓮司もそれに合わせた。


「それはその、そういう?」

「俺はそういうつもりで誘ってます。でも神木さんが嫌なら、俺は何もしません」


 神木が心から嫌だと思ったなら威圧してくれればいい。それで蓮司は何もできなくなる。しかし自分からその意思を示しておくのは重要だと思った。力で押さえつけられるから手を出さないのではなく、神木の気持ちを尊重するという誠意を見せたかった。


「僕のヒートはまだ先だよ」

「その方がいいです。ヒートの時って記憶が飛ぶ人も多いっていうじゃないですか。俺はちゃんと覚えてたいし、覚えててもらいたいので」

「そ、そう」


 ヒートの時期に二人で過ごすのは、生物的な面で魅力的ではある。神木が蓮司を求めるなら喜んで相手をするだろう。だが快楽に流されたいわけでも、ない。日頃からアルファを警戒する人だからこそ、満たされた時間を過ごしてほしいと思う。

 強めの熱意に神木が引いてしまったかもしれないと心配になり、蓮司は遂に足を止めた恋人の顔を見る。しかし予想に反して神木は照れたような嬉しいような、とにかくふやけた表情をしていた。


「ちょっと、顔見ないで」

「嫌です。隠さないでください」


 いつも気を張っている年上の人が自分の前ではこんなにも力を抜いてくれているのだと思うと、蓮司の内側から熱いものがこみ上げてくる。女王蜂として強く生きる彼を存分に甘やかして、愛することを許されたい。蓮司はそんな気持ちで顔を隠す神木の片手をそっと握った。


「許してもらえますか?」


 何を、とは言わなくても、神木には全て伝わっている。出会ってまだ半年も経っていないが、二人はそれだけの信頼を築いてきた。


「分かった。いいよ」


 蓮司は握った神木の手を離さないまま、愛しい人を家まで連れて行った。

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