第5話 メッセージ

 突き進む車はゆっくりと、しかしながら確実に進んで行く。衣代の目に宿る真っ直ぐな熱の通り、車の進みに迷いが見られない。

「衣代って急にかっこよくなるよね」

「どちらかというと日頃からかっこよくありませんか」

 過去の栄光、もしかするとすでに枯れ果ててしまったのかも知れない華の影を見つめてふと寂しさを抱かずにはいられなかった。

「そっか、変わってしまったのですね」

 車は進む。時間と共に走って行く。未来は視線の先、立てた予定へと向けて進んで行った。衣代の切なさを乗せて無理に今に引き寄せて。

「衣代は可愛いわ、キュートな時もかっこいい時もいつだって」

 そんな言葉をも乗せて車は走り続けて数分後、急激に速度を落として曲がる様に動きの乱れが見られた。

「もしかして恥ずかしいのかしら」

「私はかわいくありません」

 左腕で顔を覆いながらハンドルを切る姿を見つめ続ける思春期の同性の花のような瞳が心をくすぐる香りを肌に染み込ませ、薄桃色の息吹を呼び込んだ。

「やっぱり照れてるかわいい」

 小さな建物の駐車場に車を停めて咳払いを一度、続いて払いきれなかった感情を蓄えた頬を冷ますように手を挟む。

「ここが特定の成果です」

 昨夜送ったナンバープレートの写真から割り出された住所。恐らく盗難車だろう。しかしながら念のために利用客を装って調査を執り行ってみる事としたのだ。

「でもここって」

「ええ、信じられませんよね、しかしながらそこがという事もあり得ますから」

「そうね、調査の為よね」

 そう告げて想いを重ねる結良乃だったものの、一つの疑問が浮かんで来ては沈むことなく鮮烈な存在感を放ち続けていた。

「でもあの組織って明らかに裏側のものよね、こんなところの経営なんて」

 それは抑えること叶わず。溢れ出て、衣代にしっかりと伝わってしまう。対する衣代はというと頭に書き込んだ経験を引き出して答えてみせるのみ。

「そういう組織が運営をする事なんてよくある事です」

 頭を傾け納得できない様子を見せる結良乃だったものの、衣代に出来る事は経験を伝える事のみ。

「どこの催しとは言いませんがお嬢様の好きな事でも運営に絡むことすらおありですから」

「そんな、人知れず背徳な組織への出資を行なっていたという事」

 どのような店の裏についているものか、如何なる土地を所有して良い顔をして貸しているのか、小さめとは言え幾つかの裏組織を目にして来た衣代にも見破る事は容易ではないという。

「そもそも相手がどのような目的で何処と繋がっているのか、他の組織まで絡んでいるのか一切分かりません」

 しかし、軽い調査程度であれば、見渡したりちょっとした質問を加える程度ではすぐに手を出す事も無いだろう。寧ろ浅く手探りを行なった程度で動いたならばそれこそ公の元に存在を知らしめる、世間の明るみとなってしまう。

「安心下さい、私の質問もマニアの衝動に過ぎません」

「つまり情熱で済ませるという事ね」

 外に漏れる事のない会話を済ませて車を降りる。涼しさは心地よく、これからの空気の活気が楽しみで仕方がなかった。

「おなかペコペコよ」

「私ももうおなかと背中がペラペラの半紙みたいになってしまいそうです、すり抜けの範士となれるかも知れません」

 緩やかに握った手を口元に当てて仄かで上品な笑い声を零しながら瞳をほんのりと細めながら眼鏡の大人へと視線を軽く傾ける。

「武道じゃないんだから」

「おなか空き過ぎて葡萄と聞き違えました漉き過ぎた感情は隙だらけ」

 結良乃にとって心地よい反応を頂戴して機嫌はますます上がっていく。笑顔に元気が宿った瞬間だった。

「衣代と話してたらコントをやっている気分で楽しいよ」

「それは嬉しいです。一緒にいて好感なんて、女を喜ばせる発言」

 好きの想いで纏められた二人の女子、一つに繋ぐ糸に絡められた者たち。例え水で薄めようとも心が減る事などないだろう。相互の心はそれ程までに強い絆を持っていた。

 店の外、屋根が伸びる壁の際に置かれたベンチに座る五人の客を見つめ、ドアのすぐ隣で利用客を管理する順番待ちの台に置かれた紙に綴られた客の欄に入店待ちで書かれているのは二組。下の行に納川と大人二人、定められた記入を済ませてベンチに座る。

「人気店なのね」

「潰す可能性を考えると得も言われぬ感情に塗れてしまいそうです」

「使い方」

 文法の誤り、得も言われぬは良い意味でしか扱わない。言葉の意味を溜めた本の告げる事を知っているが為の指摘だろう。

「誤用は御用ですか」

 言葉警察、重要な会話であればともかくこうした緩い会話、特にふざけ混じりなものに於いてはそうした思考が邪魔となる事もある。

「大昔なら普通に悪い意味でも扱っていたそうですけどもいつの間に悪い使い方が誤りの皮肉に化けたのでしょう」

「そんな狐か狸みたいなこと」

「言葉も七変化するのですよ」

 本気として受け取っていいものか、親から躾と言っても差し支えない教育を受けていた結良乃にとっては本気にしていいものか理解に苦しんでしまう。

 そうして時間を潰している間にもベンチに腰掛ける客の姿は減って行く。続いて二人が招かれたのはわずか三分を経ての事だった。

「では、入りましょう」

 開け放たれたドアの向こう、低い敷居は本来の目的に対して後ろめたさをもたらす事も無く純粋無垢な歓迎を与える。

 入った途端に結良乃は学校を出る際に私服に着替える事を促された意味を理解した。厨房や狭くありながらも広々としているように見えるカウンター席から香る肉や油の重たい香りに混ざり、湯気の熱が充満し、それもまた店内を満たしてしまう。

「いらっしゃいませ」

 活気のある声に客が絶え間なく麺を啜る音。ここはラーメン店。豚と醤油の匂い混ざる異質な空間はまさに異世界と呼べるほどの特別仕様。

 そのままカウンター席に並んで座り、チャーシュー麺を二つ頼んで無料の水を注いで二人分、テーブルに置く。プラスチック製のグラス風コップの手触りが既に懐かしいものに感じられてしまう。

「楽しみ、衣代はこういうところにも行った事あるのかしら」

「ええ、おじょ……結良乃さんと出会う前までは時たま行っておりました」

 時たまという言葉で誤魔化し、別の地域にはかつての行きつけがあったという事実は隠ぺいする。庶民一人の何となく気まずいプライベートの一つを隠す事など罪に問われることも無い。結良乃にとって衣代の事実隠ぺいなど世界中のスキャンダルを集めても叶わないビッグニュースであるに違いないのだが。

「それで手慣れているのね」

「そうなのですよ」

 言えなかった。このような場所に入り浸っていたかつての自分自身とお嬢様の生活の差が恥を生んで止まらない。

「それにしても暑いですね、湯気のせいかな」

 無理に誤魔化しながらスーツジャケットを脱いでたたみ、きっちりと絞められた襟をはためかせようとしつつも出来ずに熱を感じ続ける。

 注文を受けてから五分程度で出されたラーメンには海苔とチャーシュー各二枚にもやしやきくらげにキャベツ。ちょっとした野菜の存在が軽い彩りとなって目に優しい。ラーメンという不健康の印象の強い食べ物に対する罪悪感を薄めてくれた。

「美味しそう、衣代はこれを食べてきたのね」

 初めての味、舌の肥えたお嬢様の口が経験に触れるその瞬間の目撃者となるのだ。

 周囲を見渡しながら倣うように麺を啜り、絡み合うスープのぬめりとコクに味わいを舌に滲ませながら飲み込んで行く。

「これは……しょっぱい、面白い味ね」

 結良乃の感想からは恐ろしいまでに庶民的な味わいだとしか読み取ることが出来ない。きっとラーメンはもっと優しく高貴な味わいのものしか口にしたことがなかったのだろう。

 続いて衣代も太めの麺を箸でつまみ、スープのテカリを受けるそれを見つめて特に本来の材料からかけ離れたものを使っていない事を目視程度の確認で済ませて啜る。

「これは」

 どんぶりを見下ろす形で麺を迎えた途端、湯気で眼鏡がくもって表情を窺うことが出来ない。

「何か変なものでも入ってたのかしら」

「美味しい」

 結良乃の質問に耳を貸す事も無くただただ声をつい捻り出してしまっていた。

 麺に纏わりついた油の印象が強烈なスープ。濁りが見た目から味わいを鮮烈に引き出している。野菜たちもまた塩味の強いスープに煮込まれており、全てを支配するどんぶり世界の海の主役を張っていた。

「お……結良乃さん、これは進んでしまいます」

 更に啜り、舌に絡めて行く。大地が嘶いている。豚がメインでありながらもあっさりとしていて口の中を素早く力強く駆け抜ける様はまさに外食産業の馬の如き。熱いスープは誰も彼もが元気付けられるエールを送る。捧げられたそれは身体の中で活気付いて明日もまた頑張ろうという気合いを入れてくれた。

「店員さん、よろしいでしょうか」

「はい」

 呼び出して勢いのままに疑問を一つ、投じる。

「スープの原料と輸入先を教えてください」

「ええ、こちらはカナダ産の豚と日本産の醤油を使用しておりまして、価格を抑えつつ美味しく、お客様が毎日味わっても飽きないよう気取り過ぎない味を採用しております」

 庶民的を極める事で何度でも味わいたくなるラーメンを目指した結果なのだという。店員の言葉が示す通り、ラーメンに夕飯を支配されていると思しき会社員がちらほらと見受けられた。

「チャーシューはアメリカ産です。最近の輸入肉は安くて質がいい」

 つまるところ、特に怪しい所は無いという結論をつける他なかった。どこまでも平凡でありふれた店、裏の組織など絡みもなくあの車は目的遂行のために盗難されたに過ぎなかった。

「衣代、これ美味しいね」

 結良乃の笑顔はいつになく純粋で潤いでいっぱい。煌めく瞳が今は一人の少女なのだと語っていた。

「もっと衣代が知ってる普通を教えて欲しい」

「ええ、お時間かかりますが少しずつ」

 そう語る衣代の目は今まで果たして来た仕事を見つめる視線を上回る勢いで活き活きとしている。

 これからも同じように過ごして行けるように、そう願いつつ食事を終えて結良乃の手を引いて店を後にした。

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