春の日の訪れ

深山心春

第1話

 卒業式は滞りなく終わり、私は窓側の自分の席に座りながらいちごミルクを飲んでいる。隣の席にはクラスメイトの久遠寺要がけだるそうに机に突っ伏していた。

「ねえ……ちょっと鬱陶しいんだけど」

 私の言葉に久遠寺は顔を上げてミルクコーヒーを一口飲むと大きなため息をついた。

「誰にも第二ボタン下さいって……言われなかった」

「残念だったね」

 そう素っ気なく言いながら私は密かに安堵する。3年間同じクラス、私はずっと久遠寺が好きだった。ちょっと抜けた憎めない口調も、子どものようになるその笑顔も、穏やかで優しい性格も。

 中学1年の時に席が隣になって以来、私たちは友達だ。互いのノートに落書き仕合い、授業中に喋って先生に叱られて、こっそり小説を読んで二人とも先生に取り上げられて。二人で顔を見合わせて、イヒヒと笑いあった。

 距離が近すぎて、好きだと意識した時にはもう告白することはできなかった。会えば楽しくお喋りをし、からかいあって、まるで意識されていないただの友達。

 私は授業中でも、廊下で男の子同士で久遠寺が喋ってるときでも、コイツのことを密かに目で追ってたというのに。

「谷川、俺に冷たくないか? もっとこう、慰めるとかないのか?」

「ありませーん」

 そう軽く笑って言うと、久遠寺はちぇっと頬を膨らませた。

「まあまあ。高校になったら彼女できるかもしれないよ?」

「そ、そうだよな! 谷川も彼氏ができるかもしれないぞ。俺に負けるなよ」

 大きなお世話です。私は飲み終えたいちごミルクのパックをぐしゃりと潰した。

「まあ、高校に行っても、よろしくな」

 久遠寺が子どものような笑顔を見せてくる。私は頬が赤くなるのを感じてふいとそっぽを向いた。コイツは知らない。同じ高校に行けるように、バカみたいなのにすごく頭の良い久遠寺に追いつくために、どれだけ勉強に取り組んだかを。

 私は久遠寺をじっと見た。なんだよ?という顔で久遠寺は私を見返す。

 知らないのは当然だよね。私はなにも久遠寺に伝えてない。なにも教えてない。友達でいられることに満足して、それ以上は怖くて望まなかった。

 吐くほどに勉強してやっと補欠で合格したことも、繰り上げ合格に涙が枯れるんじゃないかってほど嬉し泣きしたのも。

 久遠寺は何も知らない。

「なんだよ。帰るのか?」

 立ち上がった私に久遠寺はミルクコーヒーを飲みながら尋ねた。

「うん。これから桃香たちとカラオケ行くから」

「俺も行こうかな?」

「女子会だからだめでーす」

 そういうと、ちぇっとまた拗ねた表情をする。よほど第二ボタン下さいに憧れていたんだなあと私は少し不憫になった。

 だけど、私は第二ボタンを下さいなんて言わない。言ってあげない。

 鞄を手に取り教室の出口に向かう。つれないなあ……という久遠寺の声が私を追ってくる。

「なあ、谷川。義理で良いから第二ボタン貰ってくれない?」

「え」

「妹に馬鹿にされるんだよー。昨日から第二ボタン欲しいって言われるかなあ……とか嫌味ったらしく言われてさ」

 私は考える。高校も同じ。何もなければこの変わらない心地よい関係が続くかもしれない。でもそのかわりになんの変化もない毎日がまた続いていくのだろう。

「……いいよ」

 私は久遠寺の席に戻り右手を出した。久遠寺は憎たらしいほど呑気な笑顔で、やったこれで馬鹿にされずにすむ!と第二ボタンを取ろうとする。

「あれ、なんか固くてなかなか取れない」

「もう!私が取る」

 ソーイングセットを取り出して、ぶちっと糸を切った。久遠寺はおお!凄い!と素直に感心して、取れた第二ボタンを私の右の手に載せた。

「サンキュー! 恩に着る」

 心臓が早鐘を打つ。

 私は教室の出口で振り返った。私の長い髪が振り向いた勢いで顔にかかる。

 私は笑う。できる限りの笑顔で。

「またね」

 久遠寺が少し驚いたような表情をしたけれど私は構わず続けた。

「またね。大好き」

 そのまま身を翻して私は教室を飛び出した。だから私は知らない。久遠寺がどんな表情をしたのかを。これから先、どうなるのかを。

 

 でもきっと後悔しないだろうと火照る頬を感じながら、とても清々しい気分なって春の廊下を駆け抜けた。(了)

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春の日の訪れ 深山心春 @tumtum33

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