望月

 太陽光とも月光ともわからない光が窓を抜けてこちらへ射してくる。

 どちらかはわからないが、こちらであるなどという答えはどうでもいい。両方のいいところを僕にもたらしてくれているから。

 ゆらゆらと揺れるカーテンのように、それが風か何かで靡き、たえずその形を変化させながら、ガラス張りの室内へ降り注いでいた。

 光の粒子が弾けて、きらきらと瞬きながら舞う光景は、同じ人間であるならば見慣れない者も多かろう。僕もここへ来てすぐは驚いたものだ。まるで理想郷ではないかと。それだけではないことも、当然後で知ることになったが。


 ここはどこだと思う?ここはな、城の一角、上層部に作られた植物園だ。園と言うほど種類が豊富且つ広大ではない気もするので、単に温室と僕は呼んでいる。

 僕はこの温室と下層部にある日本庭園の管理を主に任されていて、ちなみにだが温室や庭園はそのレイアウトや植える植物、造園に必要な材料の配置全てを僕がデザインし、指示している。

 休憩時間にはそこそこ人のいるそれら憩いの場所も、仕事中は皆真面目に取り組んでいるのか、仕事をサボる者がたまにやってくるというだけで、主な仕事場がここである僕を除いては、現在は誰もいない。だからこうして、自分の想いを心に思い浮かべ、さらに口に出すという小っ恥ずかしい芸当もできるというわけだ。


 ……あ、先に名乗るべきであったか?

 僕は望月、望月もちづき日劔ひけんという。

 ついでに言っておくと本名は三宅みやけ隠逸いんいつといって、実家は電照菊栽培で有名なそこそこ大きな菊農家だった。

 実家がそんなであるし、両親が僕らの興味を自身の職業に向けさせることが上手かったのか、僕らは小さな頃から植物、特に菊と親しみ、その栽培方法や仕組みを特に習わずとも吸収していった。

 その結果、高校進学時に農業科のある学校に進もうとした程度には影響を受けていたし、弟は僕よりももっと意欲的であった。


 ……だから、逃げ出したのかもしれない。


 あんなにも目を輝かせて、毎日楽しそうに植物の、菊の話をする弟の重陽しげはるを前に、僕は菊農家を継ぐということに尻込みしてしまった。

 長男だからと僕が継ぐより、意欲的な弟が継いだ方がいいに決まっているではないか。

 そんな気持ちがぐるぐると脳内を掻き回し、いてもたってもいられずに、僕はそれを捨てた。

 重責から逃れたいというそれだけで、僕は高校卒業と同時に家族ごと家を捨てて飛び出したのだ。

 あの時のことを後悔していないと言われれば嘘になる。けれど、やはり今の生活を思うと、これでよかったのだという気持ちも大きい。

 結局、家出に近い形で飛び出した僕は、同じ世界の出身である審理者しんりしゃの第七席、小宮山こみやまかのえさんに出会った。


 庚さんは今でも元の世界の実家だという神社で神主の仕事を続けており、僕はその神社、呉浦くれうら八幡宮で途方に暮れていたところに声をかけてもらった。

 なぜ神社へ向かっていたのかはわからないが、うちはよく神社へ参拝することが多くあり、大祓なども欠かさず行っていたから、神社に行くことが半ば癖のようになっていたのかもしれない。

 だが癖になるほど頻繁に行くわけでもないし、普段行く神社は違う方向にあるから、その時のことは不思議でしかない。ただ、呼ばれたのかもしれないとは思う。

 庚さんは尋常ではない様子の、不審者かもしれない僕に、どうかしましたかと、普通に困り事を訊ねるように声をかけてくれた。

 僕はそれが嬉しかったのか安堵したのか、何かが決壊して、自分の身の上をベラベラと話し続けた。この上なく家族を擁護しながら、悪いのは自分と言いながら。

 その話を聞いて庚さんがどう思ったのかはわからない。ただ、庚さんは僕がひとしきり吐いたあとに、変わらず落ち着いた声でこの唯旬城への就職を勧めてくれたのだ。

 正直、突然提案された就職先というものに驚いたし、さらにそれが別世界であると聞いてこの人は頭のおかしな人なのかと思いはした。本当に悪いとは思っている。

 だが、そのときの僕も頭がおかしかったので、そのまま話に乗って頷いた。

 家なら重陽が継いでくれるし、自分は就職先が決定し、働くことに困らないと。職場がブラック企業かもしれないとか、そんなマイナスな想像は一切なかった。僕はこれでも、弟と違ってネガティブな方だというのに、だ。

 僕が最低限の生活必需品をまとめて持っているのを認めると、庚さんはすぐさま唯旬城へと場所を移した。

 審理者のみが使える世渡りのスキルらしいが、一瞬視界が真っ白になり、エレベーターに乗った時のような浮遊感が過ぎ去ると、今までいた場所とは全く違う場所に来ていたのを初めに体験したときは驚いた。


 ……ああ、興奮したとも!こんな魔法のようなことが起きるのかと!


 僕がそうやって驚いている隙に、庚さんは審理者のまとめ役である結癸ゆうきさんへ僕のことを簡単に話していた。

 気付いた頃には結癸さんが電話回線で局長を呼んでいて、呼ばれて瞬時に局長席へ瞬間移動してきた局長が優雅に脚を組み、僕を見定めるように一瞥してから、それから興味を失ったように庚さんへ視線を向けると、庚さんは局長にただ一言。


「この子、今日から新しい局員ですから。よろしくお願いしますね」

「ちょっと!?私の許可は!?」

「今取りました」


 それからもしばらく怒涛のツッコミを庚さんにしていたが、こうなってはテコでも動かないのを局長も知っていたんだろう。

 ひとしきり文句を言ってから、ため息をひとつ。それからおもむろに立ち上がって僕の元へ歩み寄ってきた。

 今でこそ局長がどんな存在かは知っているし、別段怖くもないのだが、その当時は何をされるかわからずとても怖かった。瞬間移動してきたあたりからも、一瞥されたあたりからも、局長が普通の人間では有り得ないということは分かりきっていたことであるし。

 だが目を逸らすことはあってはならないと、目を瞑りたい気持ちをぐっと堪えて真正面から局長の視線を受け止める。しばらく睨み合った後、局長はふっと力を抜くように柔らかく笑んで、よろしく、と僕にその手を差し出した。

 咄嗟に握り返してしまったがあれは握手であったよな?と今でも妙に不安になる僕だが。庚さん、そして結癸さんは、よかったですね、と僕が局員として局長に認められたのを拍手で喜んでくれた。

 庚さんが直属の部下ができたみたいで嬉しいです、と言ったのをきっかけに、局長が僕を名目上は結癸さんの部下だが、実質庚さんの部下、という風にしてくれて、庚さんはさらに喜んでいた。



 そんな経緯を持ち、七年も経って仕事に慣れてきた僕であるが、やはり気にかかるのは家族のことだった。


 だが、それもいい兆候が訪れる。


 一番の新米局員であるかすみ。彼は僕と同じ高校の後輩であり、奇遇にも弟の重陽と面識があったのだ。

 霞は僕との初対面時、弟の名前を出して彼を知っているかと訊ねてきた。弟だと答えると、やっぱり!と嬉しそうに笑って、重陽から聞いたという僕の噂を聞いた。

 弟の重陽から見て、僕は存外植物が好きで、だがそれだけではなく、植物に対して真剣に向き合っているという風に映っていたらしい。

 ……なるほど、と腑に落ちた。僕が悩んでいたことが、何よりも自分が真剣であった証明となっていたのだ。

 それに今になって気づいたために、今さら家に戻って継ごうという気にはならない。だが、たまになら実家に帰りたいなと、そう思えるようにはなった。弟や家族との繋がりをまた繋いでくれた霞には感謝している。本当だ。

 おそらく、この世界に来ることがなければ気付くことがなかったであろうし、できなかった繋がりであろうと僕は思っている。

 だから、これが一番の「ここに来てよかったこと」であろう。


 あとは、造園の楽しみに目覚めてしまったことも。

 城の中に植物園を作るだとか、日本庭園を作るだとか、どんなトンチキアイデアだと思いはしたが、完成してみれば皆各々で休憩所として使ってくれているし、僕自身、特に日本庭園なんかは故郷を感じられて安心する場所となっている。僕が十八年間生きてきた場所は幻ではないのだと、そんな証明ができる気がしている。


 ちなみに日本庭園の発案者が庚さんだと知ったときには、「あんただったのか」という言葉が思わず口をついて出た。それに乗っかって局長が「じゃあ植物園も作りたい」と言ったらしいのには納得したが。なぜなら局長であるし。



 ここまで自分の話ばかりをしているが、さらにプライベートの話までしていいものだろうか。

 隙あれば自分語り、というのはあまりよくはなさそうなのだが……それでも、課題であるゆえ、もうしばらく付き合ってほしい。


 僕がここに来たときのほぼ同期。向こうの方が僅かに先輩ではあるが、同期と言っても差し支えないタイミングで局員となったのが蜃さん──蜃気楼さん。それゆえに彼と話をすることも多い。

 友人、に近い関係である僕は思っている。

 あまり話し上手ではない僕であるが、蜃さんはそんな僕相手にもよく話を聞いてくれて、時折アドバイスもくれる。彼は要領がとてもいいから、ありがたく拝聴している。

 何気なく蜃さんと呼び始めてしばらく経った時に、どこかで彼がエクロニアという国の、とても高貴な身の上であったという話を聞いて少し他人行儀になってしまったが、蜃さん本人にそれを問いただされ、過去の栄光は気にするものではないと言われてからは、同僚として友人として、よい関係を築いていると思っている。

 蜃さんも僕もコーヒーが好きだから、休憩時間に共にコーヒーを淹れて飲むことも多い。その際、僕は茶菓子を作って持っていくのだが、「はじめて」が好きな彼のために真新しい菓子も作り方を探して作ってみているため、茶菓子作りも軽く趣味となりつつある。

 蜃さんは与えられてばかりだな、といつも苦笑して言うが、僕は逆に、普段のアドバイスに助けられてばかりであるから、毎回お互い様だと言って、気にしないでほしいと告げている。



 どうだろう、こんなものでいいのだろうか?

 相変わらず自分の話ばかりをしてしまうのは悪い癖だな。ただ、今回はこれでいいのだろう、おそらく。


 話し上手ではないためにわかりにくいかもしれないが、これにて望月の口述を終了する。

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