1章:イケメン女子大生は知らぬ女と夜を過ごす

第1話「そんなにカッコいい? 私」

――海は好きだ。悩み事は全部波が連れて行ってくれるから。


水原優みずはらすぐるは海へ訪れた。

運悪く生理が始まり、あまりの鈍痛に電車一歩手前で動くことができなくなった。学校へ遅刻の旨を連絡し2限目からの登校が許されたが、家に帰る気力もなく優は海を目指した。


「はー……生理周期ズレたのかなあ」


そこなら、痛みも苛立ちも波が洗い流してくれる気がしたから。


「暑い……」


時間潰しにここへ訪れたのはよいものの、梅雨の海は日差しと湿度が相まって身体に堪える。


すぐるは額にじんわりと汗をかきつつ、潮風を感じながら目を閉じた。

この海は、優の限られた居場所だ。誰にも縛られることなくひとりで過ごすこの時間が好きなのだ。


「ご一緒してもいい?」


突然声をかけられたことに驚く。気がつけば隣に見知らぬ人が立っていた。


「あ、すみません……すぐ退きます」

「待ってよ、待って」


メンズライクのショートウルフに青と白のストライプシャツ。

髪色はクリームベージュでまろやかな印象を与える。横分けに流した前髪の隙間から、目を奪われるほど美しい瞳が垣間見えた。腰まわりはきゅっと締まっており、ワイドパンツのおかげか非常にスタイル良く目に映る。


――とにかく、恐ろしく美しい女性だった。


「その制服、朔ヶ丘さくがおかじゃない?」


やけに人目を惹く女は、優の制服を指差した。白いブラウスに青いリボンのシンプルな制服。これが朔ヶ丘高校の夏服だ。


「あ、はい……」

「朔ヶ丘の生徒好きだよ、面白くて」


彼女はへらへらと笑ったが、その瞳に一瞬だけ翳りが走った。

気がつけば優の隣に腰を下ろしていた彼女は、まるで遠くの誰かを思い出したように、指先で砂に小さな線を引いていた。


「面白い……ですか?」

「頭いい人って変な人多いじゃん?」

「まあ確かに、変な人は多いですけど」

「でしょ」


ふわりと前髪が揺れ、右目にある涙ぼくろが目に入った。どこまでも顔の造形が整っているようで、ケチをつけるところがひとつもない。思わず見惚れていたことに気がついて、優は頭を振った。


「誰かお知り合いがいるんですか?」

「んー……まあね」


隣に座る彼女の瞳にかげりが見えた。

話題を間違えただろうか。

これ以上間違いを犯さないようにと、優は口を閉ざして下をむく。足元に散らばる貝殻の破片を数えながら、彼女が立ち去るまでやり過ごそうと思った。


「髪型かわいいね、ボブ似合ってる」

「は、はあ……」


どんな言葉を返せば正解になるのか分からない。


「えーっと名前はなんていうの?」

「……水原、です」

「下の名前は?」


彼女は下から優の顔を覗き込んだ。

綺麗な二重の瞳が目に入り、その瞳に吸い込まれる心地がした。とにかく、とてつもなく綺麗なのだ。


「……水原優みずはらすぐる、です」


その美貌に後押しされるように、優は見ず知らずの彼女に自分の名前を明かした。


「へーいい名前だね」


彼女はへらへらと笑い、優の肩に腕をまわす。その腕を払いのける勇気もなく、優はただただ身をすくめて彼女の言葉を待った。


「緊張しすぎじゃない?」

「初対面で、そんなに気軽には話せませんよ」

「お堅いねー」


肩を抱かれたまま笑われると、その振動がこちらにも伝わってくる。


「今日は学校終わったの?」

「いや、まだ終わってはいない……んですけど」

「ふーん」


彼女は目を閉じる。存在感のあったまつ毛が更に強調された。さらさらと揺れる髪の合間から伺える涙ぼくろがこれまたいい味を出している。


「何、これ見てるの?」


優の視線に気がついた彼女は、目尻のほくろを指差してにやりと笑った。


「あ、ごめんなさい……」

「えっち」

「な、何言ってるんですか!」


突然の卑猥な単語に驚き、顔を赤くして反応する。隣の女性はケラケラと笑い優の肩を叩いた。


「冗談だって、冗談」

「もう揶揄わないでください」

「あはは、かわいー」


不思議な雰囲気の女性だ。怪しい人とは会話するなと耳にタコができるほど言われてきたが、彼女と話していても身の危険を感じない。むしろ、どんどん彼女の醸し出す雰囲気に飲み込まれてしまう。


「手、綺麗だね」


彼女は優の手の甲を指の腹でなぞった。あまりの冷たさにぴくりと手が反応した。優の妹もかなりの冷え性だが、彼女の指はそれに負けないくらい冷え切っているようだ。


「冷え性ですか?」

「そうだよ、温めてくれる?」

「え、いや……」


しどろもどろしていると、得意げに笑った彼女は優の手をゆっくりと握り込んだ。ひんやりとした感覚が手のひら全体に伝わってくる。


「……っ」


波の音を掻き消すほどに、自分の心臓が激しく音をたてる。こんなに綺麗な人に手を握られて平静でいられる人なんているのだろうか。


「私の顔好き?」

「え」

「さっきからよく見てるよ。特にここ」


顔を傾けて前髪をどかすと、そこには優が注視していた涙ぼくろが現れる。彼女の指摘は図星だ。

正直、全てがどうでもよくなるほどに顔が良すぎる。彼女の顔はタイプだ。


「……はい」


どうせ見破られるだろうと考えて、優は首を縦に振って肯定した。素直な答えに手を繋いだまま彼女は大きく笑う。


「あはは、意外と素直でいいじゃん」

「言われ慣れていますよね……」

「うーん、どうだろう」


彼女は言葉を濁したが、肯定一択だろう。


「そんなにカッコいい? 私」


優は真っ直ぐに彼女の顔を見つめる。

目にかかる前髪をセンターに分けてセットしている髪型は、正直ものすごくカッコいい。これは間違い無いだろう。


「カッコいい、ですけど……」


だが、真っ直ぐな鼻筋、存在感のあるまつ毛に整ったラインの二重瞼。目尻のほくろ、口角の上がった薄い唇。顔全体は、綺麗なお姉さんといった印象を与える。総合すると、綺麗が勝つのかもしれない。


「美人……の方が」


彼女はその返答に目を大きくした。


「……カッコいいじゃなくて美人なんだ」


そう呟いた彼女は、握りしめていた優の手を離し、海を見つめた。波が往来する様子を観察している風でもなく、その顔はどこか遠くの、別の何かを見つめているようだった。


「え、っと……ごめんなさい勝手に」


何か気に障ったのだろうか、優は頭を下げた。


「いや、ちょっと驚いただけだよ」


頭を上げると、こちらに顔を向けた彼女が目に映った。その様子は、先ほど海の遠くを眺めていた顔とはまた違う。また見惚れてしまいそうで、優は勢いよく立ち上がった。


「……あ、私、もうそろそろ学校行かなくちゃ」

「え、そうなの?」

「はい、じゃあ失礼します」


優は誘惑を断ち切るように、スカートについた砂を払い落とした。慌てて彼女も優の後ろについてくる。


「また海に来てよ」


彼女が笑う声は軽やかだったが、その視線は波の向こう、届かない何かを追っているようだった。


「……行きません」

「じゃあ待ってるねー」


謎めいた女性は優に向かって大きく手を振った。優の返事が聞こえなかったのだろうか。


学校へ向かう足取りは重かったが、心のどこかで波の音がまだ響いている気がした。彼女の笑顔が、優の閉ざしていた何かを少しだけ揺らしていた。




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