第14話 失敗と成功

 あれから、どのくらいの時間が経過しただろうか。

 一時間? いや……二時間くらいかな? もっと短かっただろうか。俺にとっては、永遠のように長く感じられたものだが。


 ドンガラガッシャーン!


 幾度となく、キッチンから聞こえてくる異音。


「ああっ! どうしてこうなるの?!」


 慌てふためいた神楽坂の声。


「もうイヤーーッ!!!」


 ピピピピピピピピピ!!

 ガッシャーン! ガラガラ!!


 泣きわめく子供のような悲鳴に、鳴り止まないキッチンタイマー。

 何が転がっているのか、よくわからない落下音。


「か、カオスだ……」


 期待を半分も込めていた、少し前の自分を恥じた。

 ちょっとでも楽しみだと思った俺がバカだった。


「仕方ねえなあ……」


 ここで待っていてと言われたので今まで大人しくしていたが、いい加減痺れを切らした俺は重い腰を上げ、キッチンの方へ向かう。

 不満げな顔をされるだろうが、このまま放置していて、食器を割ってケガでもされたら面倒だ。


「……あの、神楽坂さーん?」

「あっ! み、三崎くん! 部屋で待っていてって言ったじゃない……!」

「いや、流石に大丈夫かなって心配になって……」

「もう……まだ完成してないっていうのに……!」


 それ、言われたとおり待ってたらちゃんと完成するものなのか? と問いただしたい気持ちを抑え、俺はあわあわしている神楽坂から、キッチンの方に視線を移す。


(……あ、なんかダメっぽい)


 普段使ったあとは綺麗に掃除しているのに、この一、二時間でよくそこまでぐちゃぐちゃに出来たな、と感心するほどの散らかり具合。いや、散らかっているだけならまだいいのだが、なんだかよくわからないものの残骸が、あちこちに転がったり、飛び散ったりしているのだ。

 一瞬で、こいつが料理に関してド級のポンコツであることを見抜いた俺は、もはや乾いた笑いしか出てこなかった。


「あ、あの、違うのよ、本当に、初めてやったから……!」

「うん」

「本当は、本当はもっとうまくできるはずなの、はずだったのぉ……!」


 いっぱいいっぱいになって泣き出しそうになっている神楽坂。彼女のできたことのない俺には、こんなときどんなふうにフォローしたらいいのかなんて見当もつかない。

 俺は黙ってダイニングテーブルの方へ歩み寄ると、椅子を引いてそこに腰を下ろした。


「み、三崎くん……?」

「作ってくれたんだろ? 食べるよ、それ」

「でも、まだ未完成で……」

「いいよ、途中でも。これ以上やらせてたらケガしそうで心配だし」

「う、……うぅ」


 恥ずかしいのか嬉しいのか、どちらともつかない表情でジタバタとしながら、神楽坂は恐る恐るといった感じで、俺の前に手料理を並べてくれた。

 目の前に拡がるのは、控えめに言って、ダークマター、泥団子、血の池地獄のフルコース。


「あ、あの……無理して食べなくてもいいわ。だって、うまくできてな……」


 ぱく。

 気まずそうな顔をする神楽坂が言い切る前に、俺は躊躇いなくそれを口に運ぶ。


「あ、み、三崎くん……! た、食べなくていいったら!」


 肩を掴んで制止されるが、俺はそれでも手を止めなかった。


「なんで、なんで……ひぅ……」


 神楽坂は、明らかに出来のよくない手料理を無言で食べ続ける俺を見て、わけがわからないといった様子でその場に泣き崩れてしまう。


「……美味しかったよ。ごちそうさま」


 気付いたときには、皿の上にあったものはすべて俺の腹の中に収まっていた。


「ど、どうして」

「どうしてって……手料理が食べたいって言ったのは俺だし、それに他人が真心こめて作ってくれたものを、箸もつけずに残すなんて無礼なこと、するわけないだろ」

「でも……絶対、おいしくなんかなかったはずなのに」

「美味しいよ。料理は愛情ってさ、よく言うだろ。……神楽坂の想いを感じたっていうか」


 そこまで言って、ハッと我に返る。

 なんか今の俺、少女漫画チックな激恥ずかしいこと言っちまってなかったか?!


「あ、えっと今のは違くて……その、つまりは俺を喜ばせようと思って作ってくれた気持ちが嬉しいっていうか、その……」

「三崎くん、ずるいわ……」

「……すまん、自分でも何が言いたいかよくわからん」


 その場にへたり込んだままの神楽坂の表情をチラリと窺う。涙に濡れた頬は真っ赤になって、きゅっと結んだ唇だってわなわなと震えていた。


「私、絶対もっとお料理うまくなるから……! 花嫁修業、頑張るから!」

「誰が花嫁だよ、誰が」

「だから……私のこと、見捨てないで……」


 うっ、だからそんな目で見ないで欲しい。


「……見捨てないよ、別に。雇用主の娘であるお前を、俺が見捨てる理由がないだろ」

「……良かったぁ……」


 心底ほっとしたように、神楽坂の表情に笑みが戻る。


「……今度はさ、一緒にやろう」

「え?」

「料理! 少しくらいなら教えられると思うから」

「……ええ、お願い。楽しみが増えちゃったわね」


 最初からそうすればよかったような気がしないでもないが、まあ、失敗は成功のもとという言葉もある。こういう経験だって、彼女にとっては成長の一助となるはずだ。


「じゃ、洗い物と片付けは俺やるから。風呂でも入ってたらどう」

「えっ? やだ……お風呂上がりの火照った私を、食後のデザートとしていただいちゃおうってこと……?♡」

「うん、皿よりもお前の汚れた心を綺麗さっぱり洗い流してやりたいよ、俺は」

「洗い流したいなんて……! 一緒に入ってもいいのよ、お風呂♡」

「いいからさっさと入ってこい!」


 ふざけたことを言っている神楽坂を、強制的にリビングから追い出す。


 ……こんなくだらない日々が少し楽しいだなんて、どうかしてる、俺も。

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