2話 離別
「ふんふんふーん、ふんふんふーん」
陽気に・元気に鼻歌交じりに服を脱ぎだす。ちなみに師は脱衣を良しとしない。
師弟の
「ざぶーん!」
裸になって、子どもになって飛び込んだ。ほどいたトリプルテールの毛量は腰にまで達す。
「は〰〰……」
極楽の湯加減にひと息つく。沐浴かつ森林浴。見上げた空は自身の髪に似、
彼女にとって至福とは、黄昏時のこのひと時。
「ん〰〰……」
両手を挙げて伸びをした。胸が重くて大きくて、肩が
(いつかわたしが師匠になったりしたら――弟子に肩揉みしてもらおう……)
両腕を交差して自分で揉む。夢見心地だったのに、家屋の陰からひょいと師がやってきた。
「協力してくれ、ルーニャ」
「ぎゃ〰〰〰〰!」
胸を隠して頬まで
「いばばきゅぶべいでゅぶ・にゅぶよぶでゅぶべぶっ!」
「わからん。水中でしゃべるな」
「今は休憩中・入浴中ですっ!」
顎まで顔を出して繰り返して、片手は下半身に身をよじる。ある種、芸術的な姿勢になった。
「一瞬でいい、両手で肩を抱いて胸を隠してくれ。そのまま恥じらったままな」
ベケッラは性的に見ていない、芸術的にしか観ていない。女体はこの上なく神秘・神聖だと。
「朝の……ぬ、盗人の……あの感じですか……?」
思い出して努めて再現する。羞恥に・〝恋慕〟に紅潮した。
「ふむ……うむ。そうか、こうか」
目に焼きつけてそそくさと家に戻った。彼は今、驚異的な記憶をもとに本意気で描いている。それでも実物が観たくなったときは、弟子に姿勢だけ取ってもらう。時も場所も場合も問わず。
ルーニャは再び頬まで浸かってごぼごぼ言った。
「ひぼぼき――ごびごぼぼぼしばばいべ」
人の気――恋心も知らないで。
その後、師も日が落ちる前に入浴した。さっぱりしたら、二人そろって早めの夕食を摂る。
「今日はお
市で買った野菜を両手に持って嬉しげ、誇らしげ。家事・食事・雑事は彼女に懸かっている。つまり生活のほぼ全事。養ってもらっているのはベケッラのほうかもしれない。不労の隠居。彼は現在、収入がない。にもかかわらず資産が・自由がある。かつては宮仕えでその蓄えで。
「牛肉・
「
真っ茶色の家屋内は仕切りもなく、居間ひと間。壁の一角が台所になっているに過ぎない。絵具・絵筆・画布の基本道具ほか、数点の破衣裸婦画。あとは魔術書・学術書問わず、本の山。弟子の私物は衣服と魔杖くらいのもの。住み込み二年、師の書籍に
洗った具材を包丁で細かく切り、水を入れた鍋に投入し、床の炉に置いた。
(弱火)
魔杖片手に念じて点火する。魔法は暮らしにも役立つが、魔道師でないとこうはいかない。
「改めてなんですけど、
さっきからベケッラは寝転がり、描きかけの今朝の盗人の絵をじっと・ずっと眺めている。
「廃墟だ。哀れに崩れた様にこそ美の
「古いほうが立派な感じしますけど……廃墟の良さはわかりませんっ。朽ちてるんですよっ」
乙女より老婆のほうが好きなんですかっ? そうではない、女人でたとえるものではない。
「加えてな、確立されていないからな。裸婦は腐るほどある。半裸もある。破衣裸はまだない」
「そんな言葉がまずないんですよ……」
「今に広まる。私は破衣裸婦画の始祖として・巨匠として、後世に名も作も残してくれよう」
「魔道の偉人になってくださいよ……」
それからも話しているうちにビーフシチューができた。皿に盛り、食卓で師弟は向かい合う。有り難う、いえいえ。木のスプーンですくいつつ、パンとともに食す。貧乏でも贅沢でもない。とろとろの茶色いシチューは味も色も濃く、肉・芋、人参・玉葱、具材がよく溶け込んでいる。
「おいしいですかっ?」
「うむ」
「隠し味は愛情ですっ」
「ふむ」
あっけない・そっけない。頭のなかは盗人の絵。ルーニャのほうは気分は新妻だというのに。話を合わせれば目も合わせてくれるかもしれない。彼女は立ち入って・折り入って聞いてみた。
「あのっ……描きたい・
「そうだな、かの
暴戻――乱暴で道理に反する意。要するに暴君・暗君だ。セースティア七四世ヴェヌティア。広大な・強大なこの大帝国に君臨せし、セースティア朝の七四代目の
「そ、そうですか……光帝……」
ひと肌脱ごうとしたものの、理想が高すぎた・
「って、光帝に向かって『バーク・ス・レイデス!』ですか? 不敬どころか死刑ですよっ」
「だろうな。街の女人さえ、写生させてくれないからな」
「言いかた・誘いかたが悪いんですよ……。破衣はちゃんと説明してもお断りでしょうけどっ」
単に服を脱ぐ以上の〝
「やはり破衣など、女の賊くらいしか許されないか……」
食べ終えた。ルーニャは皿洗いのち食卓で勉強する。師は猫背で画布に・作品に向き合う。
「おっ、そろそろ完成ですねっ。魅惑的ですねっ」
「芸術的と言え。破衣裸とは
「哀れ美ってなんですか……哀れみですか。師匠の美的感覚、世間も後世もわかりませんって」
遠回しに理解されない・評価されない、と。返事はなく、
「うむ……完成だ。題は『
「
待ってましたとばかりに彼女は勉強を見てもらった。その後、就寝。師弟の一日が終わる。ベッドはなく、床に横たわってマントをかぶるのみ。春の今はいいが、冬は暖炉が欠かせない。
本と画材に囲まれた暗闇のなか、ベケッラは真剣に考えていた。
「ルーニャよ。ルーニャよ」
「…………」
「私はひとり旅に出る。構わないか?」
「…………」
「寝たか。むしろいい、言わせてもらおう。おまえは真っ当な魔道を行け。私は画道を行く。はるばる帝都まで行く。セースティア光帝を過大な・遠大な夢に、女体を写生する旅に出る。賊でもいい、とかく
翌朝、彼は旅立った。弟子を残して・〝事情〟を秘して。
これは異端の画家の伝説的生涯――
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