破衣ファンタジー

百雲美呪丸◎

Ⅰ章

1話 破衣

「すまない、写生させてくれ」

「射精……!?」

「どうかこのとおり」


 自分ではなく弟子の頭を押し下げた。ルーニャは師の手を払いのけ、抗議する・補足する。


「師匠が下げてくださいよっ! あのっ、シャセイっていうのは絵のこと――」

「きゃ〰〰〰〰!」


 一〇代後半とおぼしい少女は最後まで聞かず走り去った。ベケッラはため息も悪態もつく。


「はぁ……女人にょにんを口説くのは魔術・学術より難しいな。骨が・心が折れる」

「言葉足らずなんですよ……。単に『シャセイさせてくれ』なんて、常識・良識を疑いますっ」

「そんなものに囚われているようでは、魔道は極められんな。ひいては人知は超えられんな」

(師匠見てると、人知は超えたらおしまいかなぁ……)


 内心そう思った。師弟は再度、道行く女性を眺めだす。

 赤茶けたレンガの街並み、開放的な大通り。様々な露店がのきを連ね、人々も馬車も行き交う。空は青く・雲は白く、春うらら。上空から見たこの都市は、市壁しへきで四角に切り取られている。セースティア帝国の城塞都市は正方形を成し、中心部には政教を司る〝導城どうじょう〟がそびえ立つ。セースティア教・セースティア朝の象徴であり、白銀はくぎんの壁と黄金おうごんの屋根が厳めしくも麗しい。

 ここは帝国中南部のミラジャヒ市。


「すまない、写生させてくれ」


 ベケッラはまたも単刀直入に声をかけた。二〇代後半といったところの婀娜あだっぽい美女に。


「絵ですっ! お姉さんを描かせてくださいってことですっ!」


 弟子がすかさず言を足す・念を押す。美女は不審がらず面白がった。どうやら娼婦らしい。


「あらあら、変わった方ね、気に入ったわ。タダでいいわよ……〝射精〟させてあ、げ、る」

「恩に着る。なかなか〝写生〟させてくれなくてな。タダとはいくまい、無論、金は払おう」

「ダメですっ、シャセイ違いですっ、さようならっ!」


 右腕を組まれて連れて行かれそうな師を引っぱり、露店の裏手、路地裏へ急ぎ駆け込んだ。


「写生違いとはなんなんだ……せっかくの写生の機会が……。私に写生させないつもりか?」

「シャ、シャセイシャセイ言わないでくださいっ! わたしだってお、女の子ですからねっ!」


 顔を赤らめ子犬のようにきゃんきゃん叫ぶ。ルーニャ、一七歳、女子・弟子、見習い魔道師。黄色い瞳の大きい、丸い・幼い顔立ち。体は非常に・過剰に肉づきがいい。とくに胸・ももが。前まで覆う薄茶のマントの下でも胸部は山となり、スカートから伸びる脚は健康的・煽情的。だいだい色の明るい髪は毛量が多く、頭の両横と後ろ、三方でっている。本人曰くトリプルテール。

 かれこれ二年、ベケッラに師事している。


「わかったわかった、すまなかったな。ルーニャよ、今一度付き合え・付き添え。師匠命令だ」


 弟子が肩を落としたときだった。さっきと反対の大通りで大声がした。盗人よ〰〰〰〰!


「盗人――女やもしれんな! 行こう・こう!」


 喜び勇んで浮遊して、屋根と屋根の狭間を抜けた。騒ぎになっている通りを高所から見渡す。なりふり構わず走っているのがそうだろう。人に・店にぶつかりつつ、北東門を目指している。追っ手がいないか後ろを振り返ったときに顔が見えた。髪はかなり短い・汚いが、おそらく女。

 浮遊できないルーニャを残して彼はけた。


「門番殿、念のため閉門を勧める」


 正方形の右上の点、北東門に先回り。一般に帝国式城塞都市の出入り口は四隅だ・四点だ。二人の門番は面食らい、顔も閉門も見合わせた。いぶかって聞く。どういうことか、あなたは?


「ベケッラ。破衣はい裸婦画家をやっている」


 そんな言葉も分野もこの世にない。二二歳、魔道師。しかし本人は決まって画業を言い張る。蒼みがかった黒髪は肩まで長く、同じく蒼黒そうこくまなこ爛々らんらんと輝く。美青年、だが小男。背は低い。痩躯そうくに深緑のマントをまとい、魔書・魔杖の類は一切持ち歩かない。曰く一流は手ぶらだと。やや見苦しい長髪とみすぼらしい外套がいとうに、世俗を離れた・忘れた隠者の観がある。まだ若いが。

 待つことしばし、くだんの盗人がやってきた。


「どけ! ぶっ殺すぞ!」


 門番よりも手前、道の真ん中に立つベケッラに言い放つ。片手に短剣を持って駆けてくる。口ぶりも身なりも悪いが女だ。もう片手には林檎りんごを持っている。盗むしかなかったというのか。


いやしいな。その荒々しさも、破衣のあとでは天地逆転のごとき――バーク・ス・レイデス!」


 必殺ならぬ必剥ひっはくの呪文を唱えた。読んで字のごとく、必ずぐ。彼が独自に創出せし邪魔法よこしまほう。正面に突き出した左手の前に桃色の魔法陣が浮かび、同色のいやらしい光が燦然さんぜんと放たれる。

 盗人は片腕で目を覆った。


「けっ、なんともねーじゃねーか! って……へ? いやああああああ〰〰〰〰〰〰〰〰!」


 途端に黄色く・甲高く絶叫する。人の心をなくし罪を犯せども、女の心はなくなっていない。女の心、そう、羞恥心しゅうちしん。盗人は自身をかき抱き、両脚を開いてへたり込んだ。なにが起きたか。

 こまれの布をところどころ残すのみ――破衣裸はいらになった。


「ククハハハ! なかなかどうして良い女体にょたいではないか!」


 ベケッラは歓喜する・称賛する。じろじろ眺めて被写体を目に・頭に入れる。写生のために。


「師匠……置いてかないで……ください……。あ……やっぱり……ひんいてる……」


 遅れて・疲れて弟子が来た。盗人は兵士に引き渡し、一件落着。二人は森の住まいへ帰った。

 なお、林檎の盗人は、元シヴァク団の下っ端であった。


        ◎


(火の球)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る