第2話

 気が付くとそこは迷宮だった。

 典型的な迷宮型ダンジョン。これならある程度構造のテンプレは暗記しているし、探索者同行の元で何度か訪れたこともある。最深部に行くのもそう難しくはないだろう。森林型や城塞型じゃなくてよかったと安堵しつつ、辺りを見渡す。


「そう簡単には行かないか」


 あったのは無機質な土壁だけで、女子高生の姿はどこにも無かった。となると彼女は自ら移動したか、あるいはモンスターに連れ去られたという線が強そうだ。

 何はともあれ先に進まなくてはならない。―ああ、あと一つ確認するべきことがあった。

 目を瞑り、深呼吸。拳を開き、右腕を正面に。術式をイメージし、魔法名を唱える。


「第一階梯魔法・〈若火シレークス〉」


 空しい沈黙が流れた。やはり俺は、魔法を使えない。


 ダンジョン一階層にいるモンスターの相場はだいたい決まっている。

 スライム、ゾンビ、スケルトン、リザード。これらは特に殺傷能力が高いわけではない奴らだ。細心の注意を払っていれば命を落とすほどのことは無い。もちろん、舐めてかかれば命の保証は無いが、それは地上の生物にも言えることだ。そう、真に恐ろしいのは地上の生物が持たず、ダンジョンのモンスターにあるもの―すなわち高い知能を持つ奴らだ。低階層でそれを持つ代表格と言えば、ゴブリンだ。


「・・・・・・・・」


 罠などにも気を付けつつ、慎重に最深部を目指していた俺は、違和感を感じていた。

 最深部まであと半分というところまで来ているはずなのにモンスターを一匹も見ていないのだ。

 嫌な予感がしていた。作為めいた静寂に。もっと言えば作為を感じるということそれ自体に。


「勘弁してくれよな・・・・」


 頭に浮かぶ参考書の一節。

『ゴブリンなどの高度な知性をもつモンスターは上質な獲物を発見した際、ダンジョンの最深部に集合し、〈祭祀フェス〉と呼ばれる儀式レアイベントを行う場合がある』


 三年間必死に勉強してきたその成果が今日、最悪の形で実を結んだ。

 予感は当たったのだ。

 息をひそめ、入口からわずかに顔を覗かせて中を覗く。

 最深部の大広間。学校の体育館が二つくらいは入るであろう程のその空間は、くすんだ緑色のゴブリンたちで埋め尽くされている。それだけでも絶望的な光景だが、それにさらに拍車をかけるのは、その最奥にいる存在だった。

 他のゴブリンとは明らかに違う。身長からして二メートルはあろうかという巨体が、そこには鎮座していた。

 それはゴブリンの王。すなわち、ゴブリンロード。

 Bランク探索者でも敗北の可能性がある、こんなところにいるのがあり得ないほどの強敵がそこにはいた。

 ゴブリンロードは裸に向かれた件の女子高生を眺め、下卑た笑みを浮かべている。彼女は手足を縄でしっかり縛られており、体のあちこちに打撲痕がある。

 早く助けなくてはならない。ならないが方法がない。せめてゴブリンでなければ、他のモンスターであれば何かしら打開策を思い付いたかもしないが、これは考えうる限り最悪の状況だ。根性やらなにやらでどうにかなる状況ではない。武器もなければ魔法も使えないのだ。


 結局は無駄だったのだろうか。今はまだ気づかれていないが、やがて〈祭祀フェス〉の熱狂が冷めれば次に餌食になるのは俺だろう。そうなれば俺はまるで犬死だ。いや、あるいはそれよりももっとひどい。俺はきっと何の抵抗もできず、死ぬことになるだろうから。それは、それだけはどうしても避けなくてはならない。

どうする?どうすればいい?俺には何がある?何ができる?

考えろ。思考しろ。頭を回せ。絞り出せ。なんでもいい。起死回生の、打開策を―。


「あ」


 一つだけ、あった。参考書の隅に書かれていた、死を覚悟した時の最終手段として紹介されていたそれ。

 うろ覚えだが、迷っている暇はない。次の瞬間にはもう、俺は魔法名を唱えていた。


犠牲魔法サクリファイス―!」


 犠牲魔法サクリファイス

 自らの体―肉体、精神、記憶―を犠牲にし、自分が扱える魔法より数階梯上の強力な魔法を使うことが可能になる魔法。犠牲を捧げる相手によってその力の強弱は変わる。格の低いものから獣、精霊、神。

 右腕に無数の魔法陣が展開される。


 さて、何が出るか。


 ―と。不意に右腕に激痛。血が沸騰し、骨が軋み、肉が割れるような、激痛。必死に歯を食いしばって、喉元まで来ている悲鳴を抑え込む。それでも抑えられず、声が漏れ、息が荒くなる。何体かのゴブリンが俺に気づき、こちらに向かってくる。

 その槍が、弓矢が、俺の命を絶とうと寸前まで迫る。生と死の狭間。刹那の間隙。


 魔法が完成した。


「第五階梯魔法・〈光あれ〉ラディウス‼」


 空が歪み、割れ、無数の光剣が降り注ぐ。光剣には高濃度の光属性が付与されている。モンスターに対しては有効だが、人間に対しては無害だ。女子高生は無事だろう。

 ゴブリンたちの悲鳴が満ちる。

 微かな高揚。確かな達成感。いささかイレギュラーではあるが、今俺は魔法を使うことが出来たのだ。それがここまで心を躍らせることだったとは。さあ、後は女子高生を助けて、助けを待つだけだ。

 そう思い、足を踏み出したその瞬間、倒れた。


「・・・・⁉」


 ああ、そうだ。俺は犠牲を差し出したのだった。

 俺の右腕は付け根からきれいさっぱりなくなっていた。食いちぎられたようになっているその傷口からは、おびただしい量の血が流れ出ている。

 さらに。

 地に伏す俺に、絶望を告げる足音が迫る。


「最悪だ」


 ゴブリンロード。この狂宴の主催者の戦斧が迫りつつあった。



 同時刻。地上。

 長夜町からの救援要請を受けた県は、迅速な派遣を検討するも各地で共鳴するようにダンジョンが活性化しており、断念。仕方なく本部に連絡。数十分にわたる交渉の末、探検者の派遣が決まった。

 「彼」が到着するまでの時間、およそ三十分。


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