魔法少女に労災認定はない!!

 終電を逃して歩くこと一時間、ようやくたどり着いたのは、私が借りている六畳一間のアパート。夜風がヒュルル~と吹きこむ扉を開けたときの、この「おかえり、底冷えの我が家!」感は一体なんなんだろう。

 あったかい鍋とビール1本でもあれば幸せだけど、当然あるわけない。どうせ明日も早朝出勤だから、食事する気力もゼロ。

 これが「私が子どもの頃に憧れた魔法少女の暮らし」だったら、あの頃の純粋な自分に土下座して謝りたい。涙すら枯れ果ててしまったけど、とりあえず寝よう……。


***


 いつのまにか、懐かしい夢を見ていた。まだ私が幼いころ、あの古い商店街をヴィランが襲った日の光景がよみがえる。


「きゃあぁぁぁ……!」


 黒い霧のような魔力があたりを飲みこみ、シャッターが壊され、看板が吹き飛ばされる。私は母親に手を引かれて逃げようとするが、まだ小さかった私は足がもつれて転んでしまう。もうダメだ——そう思った瞬間。


「大丈夫、もう安心して!」


 差し伸べられた手は、魔法少女のものだった。純白のレースとリボンがあしらわれた衣装に身を包み、凛々しく微笑んで私をかばってくれた姿が、まぶたに焼きついている。


「怖かったね。ここは私に任せて、早く逃げて!」


 そう言って、優しく背中を押してくれた。明るくてキラキラした笑顔。あの日、私は命を救ってもらった。

 そのときから私は、いつか自分も魔法少女になりたいと願い続けてきた。そう、魔法少女は、ずと私の憧れだった……はずなんだけど……。


 夢の世界の景色が、白くかすんで消えていく——。


***


 次に意識が戻ったとき、スマホのアラームがけたたましく鳴っていた。部屋の中にこだまする電子音は、まるで悪魔の金切り声。いや悪魔より上司の方が嫌か……と寝ぼけながら頭を抱えつつ、スマホをのぞき込む。


「……うわ、もう7時!?」


 やばい、今日に限ってミーティングが8時からなんだった。「もうちょい早く起きろよ、私!」と自分でツッコミを入れたいのを我慢して、とにかく慌てて服を着替える。

 パジャマから脱皮したばかりの体を引きずって鏡を見ると、寝不足のせいで目の下はクマがくっきり。こんなゾンビみたいな魔法少女がいるか!と突っ込みたくなるが、とりあえず出社を優先するしかない。


 満員の通勤電車で押し潰され、朝から酸欠になりそうなまま、やっと会社のあるビルに到着。エレベーターをすっ飛ばして階段で駆け上がり、息も絶え絶えにオフィスへ飛びこむと、時計の針は7時58分。ふー、ギリギリセーフ。


「はぁ、なんとか間に合……」


 とホッとする間もなく、目の前には主任の灰谷がムスッとした顔で突っ立っている。まるで「遅刻寸前の君を待ってました」と言わんばかりの絶妙なタイミング。

 しかも、すでに部屋には私以外の社員がみっちり詰まっているではないか。


「高峰、昨日の報告はどうなってる?」


 一瞬にして室内の空気がピリリ。賞味期限切れで廃棄寸前のエビチリぐらいピリピリしてる。

 私は心臓がバックバクで、しかもまだ息が整っていないため、ぜーぜー言いながら頭を下げた。


「ま、申し訳ありません! えっと、昨日はヴィランが街に現れまして、商店街の防衛を……!」


 言い訳を口にする前に、灰谷はテーブルのファイルをバチン!と思いっきり叩く。


「防衛、だと? 商店街のシャッターは数十枚吹っ飛び、ガラスは割れまくり、ついでに電柱まで傾いたって話じゃないか。どうしてあそこで迎撃できなかった? まさかそのへんでサボってたわけじゃないだろうな?」


「サボって……ないです。ないですとも、さすがに!」


 ないですを連呼する私を尻目に、灰谷がさらに追い打ちをかける。


「しかも! 修復が深夜までかかったおかげで、SNSでは笑いものになっている。うちの会社のイメージダウンは計り知れないぞ!? 一体どう責任を取るつもりだ!」


 責任も何も、ヴィランが悪いんじゃね? と百人中百人が思うはずだけど、ここはあくまで“魔法少女企業”という名の社畜組織。そんな正論が通じないのは既定路線だ。

 かといって「いきなりヴィランに来られたらそりゃ間に合いませんよー」なんて言おうものなら、説教はもう1時間延長コースに決まってる。


 そもそも、こんな多数の前で私だけ吊し上げるのはやめてほしいんですけど!

 「はいどうも、皆様ご注目くださーい。本日の見世物は“徹夜帰りゾンビの平謝りショー”となりまーす!」みたいな状況にしか見えない。

 説教するなら場所くらい選んでよね、ほんと。


「……申し訳、ありません……」


 数十人が見守るなかで、内心は怒りつつも頭を下げつづける私。すでに羞恥心が頂点突破して、白目むきそう。灰谷は「社会人としての自覚が足りない」だの「企業イメージがどう」だの、その後もひとしきり説教したあと、自分のスーツのシワをパパッと払った。


「とにかく、二度とこんな大失態を犯さないよう、しっかり対策しろ。いいな?」


「はい……善処します……」


 言葉をのみこんで、説教ショーはようやく幕を引いた。そこには三十分以上にわたってビシバシ叩かれて打ちひしがれている私の姿しかなかった。


 はぁ……ほんと最悪。しかも今の時間、始業前の”自主的な打ち合わせ”扱いだから、残業代もつかない。ほんとどういうこと!?


 そんなへこたれた私のもとに、先輩の鈴木みどりが近寄ってくる。さわやかな笑顔がまぶしい。


「真白ちゃん、ドンマイ。今日もすごかったね、灰谷さんの”説教バースト”」


 みどり先輩は私の肩をぽんぽん叩いて、へにゃっと笑う。まるで優しいエルフのお姉さんのような、包容力のある笑顔。うん、救われるわ……。


「場所くらい選んで欲しいですよ……。あんな人前で吊るし上げるみたいに!」


「まぁまぁ、毎度恒例行事みたいなもんだし、誰も真白ちゃんが悪いなんて思ってないよ。お菓子でもつまんで元気だそ。ほら、こんなに可愛いクッキー見つけたんだ」


「ああ、みどりさん、天使だ……」


 お疲れクッキーの救援がやってきた。寝不足からの説教でグッタリした心には沁みる。こういう先輩がいるだけでも、多少は救われるってもんだ。


 ところが、ちょうどクッキーに手を伸ばそうとした瞬間、オフィスの入り口で騒ぎが起こる。なんだなんだ? と振り返ると——。


「や、やばい……血が……」


 オフィスに入ってきたのは、同僚の魔法少女・田中蒼(たなかあお)。血で真っ赤に染まったスーツ姿でヨロヨロと帰還していた。


「蒼ちゃん!! 大丈夫!?」

「通勤途中……ヴィランに遭遇して……めっちゃフルボッコに……」


 私とみどり先輩は意識が飛びそうな彼女を慌てて支え、そのまま医務室へ猛ダッシュ。医務室に彼女を寝かせると、みどり先輩がさっそく治癒魔法を唱えはじめる。

 みどり先輩のまわりに緑色のモヤモヤした光が集まり、蒼の傷口からはじわじわと出血が治まっていく。すごい、さすが”アルティメットヒーラー”の異名を持つだけある(※私が勝手につけた)。

 ただし、痛みやつらさが一瞬で消えるわけじゃないから、蒼はまだ苦しそうだ。


「みどりさん、これ……労災ですよね? 通勤途中にヴィランに襲われるなんて、100%会社の業務上の問題ですよ!」


 痛々しい姿を見て、私は怒りが込み上げる。だが、みどり先輩は苦笑いしながら首をすくめた。


「ほんとはそうなんだけどね……。労災の申請すると、政府からの補助金がゴリゴリ削られちゃうのよ。だからウチの会社は、怪我をしても病院には行かせず、社内の治癒士で処理するっていうのが『暗黙の了解』なの」


「はあぁ!? 暗黙の了解!? こんな大怪我でもですか? しかも通勤中ですよ!?」


「わかってるんだけど、上に報告なんてしたら、また灰谷さんの”説教バースト”が炸裂しちゃうし……ごめんね……」


 みどり先輩は申し訳なさそうにそう言うと、「あたしも痛い目見てきたからさー」と遠い目をする。先輩も過去に色々あったのだろう。

 私が言い返す前に、蒼がフォローするように弱々しく笑った。


「……まあ、大丈夫だよ……。みどり先輩の治癒魔法は完璧だから……」


 ダメだ……皆そろって社会人としての常識感覚がマヒしている。蒼はこの会社では私より先輩だが、高卒なので私よりも年下。大卒の私が22歳で、蒼は20歳だ。

 蒼は社会常識を知らないままブラック企業に入社してしまい、おかしなルールを当然のように受け入れてしまっている。ああ、なんて可哀そうに。

 私は腹の底からため息をつき、もう一度、声を大にして叫ぶ。


「この会社、やっぱりやばいよー!!!!!!」


 叫び声は医務室の壁にむなしく反響しただけだけど、蒼の顔にはちょっぴり笑みがこぼれ、みどり先輩も「あはは」とつられて笑う。

 地獄のような状況だけど、それを笑いあえる仲間がいる点は、唯一の救いかもしれない。


 ——と、そのとき。みどり先輩のスマホが突然鳴った。画面を覗きこんだ先輩は、みるみる顔が青ざめていく。

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