ラジオ【三つ目】
微かな振動を感じて、目が覚めた。
目を開けると、車の中はすっかり真っ暗になっていた。首だけを動かし車の時計を見ると、二十二時になっていた。熟睡してしまったらしい。手元のスマホを確認すると、よく行くカフェのクーポンの通知が表示されていた。操作して確認すると、アラームはしっかり切られていた。まったく記憶になかった。体がぶるっと震えた。指先が冷えている。まだ残暑が厳しいとはいえ、山の中、しかもダムの近くだからか、車内はひんやりとしていた。
隣で寝ているタシロの方を見ると、助手席は空だった。慌てて体を起こすと、後部座席の方からいびきが聞こえてきた。いつの間にか移動していたらしい。
思ったより帰りが遅くなってしまった。明日は仕事がある、急いで帰らなければ。
一応、タシロにも声をかけてみたが、「ぉふ……ぬぅん……」と、返事とも、ただの唸り声とも判別のつかない音が返ってきただけだった。
キー差し込み、車のエンジンをかけると、振動と共にヘッドライトが点灯した。すぐに車載ラジオから、どこか軽薄にも聞こえるパーソナリティの喋りが流れてくる。寝起きでぼーっとする。体も冷えている。暖房のスイッチを入れようと手を伸ばした時、ラジオのつまみに指先が当たってしまった。表示されていた周波数が、わずかに変わった。強いノイズ混じりの音声が流れてくる。耳障りだし切ってしまおうと、音量のつまみに触れようとした。
その瞬間、スッ…と、ノイズが消えた。伸ばしかけた手を止めて、カーステレオを見た。周波数の表示は、先ほどと変わっていない。まだつまみに触れてもいないのだから当然だ。電波の届き方の問題だろうか。もう一度手を伸ばそうとした時、
『_________!!!!!!』
どん、と車が揺れたと錯覚するほどの音量で、低い、男の声が流れてきた。実際に揺れたかもしれない。それぐらいの爆音だった。
思わず座席に背中を押し付けるように飛び退き、耳を抑える。ややくぐもってマシになったが、それでも鼓膜を突き刺し、全身の骨に響くように男の声が頭の中で反響する。まるで、車内の空間を埋め尽くして、押し潰すかのようだった。低く吠えるような声は、何か、同じ言葉を繰り返しているようだったが、大きすぎて聞き取れない。吐き気を感じる。このままではまずい。耳を塞いだまま、肘でなんとか音量のつまみを動かす。上手く当てられずに少し手こずったが、何度か繰り返すと、男の声はだんだんと小さくなっていき、やがて、モニターには音量レベルがゼロと表示された。
すっかり音は消えていたが、また流れ出すかもしれないという恐ろしさがあって、そのまましばらく耳に手を当てたまま、周波数が表示された液晶を、じっと見ていた。先ほどまで冷え切っていた体は、気づけば、じっとりと汗をかいていた。
五分くらいして、耳から、恐る恐る両手を離した。エアコンの風の音だけが聞こえてくる。ほっとして、大きく息を吐いた。
「……あ」
耳元で声が聞こえて、息を呑んだ。ゆっくりと振り向くと、カーナビのモニターの明かりで青白く照らされた、タシロの顔があった。助手席に手をかけて、前のめりになっている。その視線は、ラジオの周波数が表示されたモニターに注がれていた。この薄闇の中でもわかるほど、タシロの顔は青ざめていた。
「今の、さ」
こちらを見ずに、タシロが口を開く。その唇が震えているのがわかった。何かを言おうとするのだが、その度に何度も口籠り、言葉にならないようだった。
見かねて、どうしたのか聞く。タシロがこちらを見た。視線が合う。今にも泣き出しそうな顔していた。
「あれは、あれは、俺の__」
その出来事があってしばらくして、タシロは死んだ。葬儀にも行ったが、棺桶の中は決して見せてもらえなかった。普段から彼と付き合いがあった仲間の一人から聞いた話だと、連絡が取れず不審に思った家族が家を尋ねると、両手で耳を塞いだままの体勢で亡くなっていたらしい。
不気味なことに、あの話をしたヤマザキも、音信不通になってしまった。一度だけ携帯電話にかけてみたが、既に解約されて繋がらない状態になっていて、彼の行方を知る手段はなかった。生きているのだろうか。それとも。
あの時、自分には聞き取れなかった。だから、タシロが聞いた言葉というのが、本当はなんだったのかはわからない。
わからないが、帰り車の中で譫言のように繰り返していた彼の姿が思い浮かぶ。
あれは、あれは、俺の名前だった_____。
今となっては、確かめることもできない。あの場所にもう一度、行く勇気もなかった。
夜に融ける。 ワタナベ。 @yusei
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