返信
こんなことがあった。
大学生の頃の話だ。
飲食店でバイトしていたのだが、そこの同僚の女の子といい感じの雰囲気になり、メッセージのやり取りをしていた。
元々、勤務時間は被っていたが、何度か話したことがある程度の相手だった。話すようになったきっかけは、親睦会を兼ねて店の全員が参加した飲み会だ。たまたま隣の席に座ったのだが、実は同じ漫画が好きという共通点が発覚し、思った以上に話が盛り上がったのだ。
マイナーな作品だった。それを知っていた先輩が「こいつ、誰も知らん漫画読んでてさ〜」と毎度いじってきていた。この時もいつものようにニヤニヤと話し始めて、正直なところ鬱陶しいなと思っていたら、タイトルを聞いた彼女がすごい勢いで食いついてきたのだ。結果的にとても盛り上がったので、先輩のことも許してもいいか、と思う。
その場で連絡先を交換する流れになったが、店を退出する時間になってしまって、慌ててトイレに行ったり会計を済ませているうちに、有耶無耶になってしまった。店を出たところで解散することになり、彼女を含めた集団は駅の方へ向かって歩いていってしまった。
徒歩は自分一人だったので、落ち込みながら家に帰る。あそこでもう一歩踏み込めていれば…そんな反省をしているうちに自宅に着いた。玄関で上着を脱ぎ、ハンガーに掛けようとして、そういやガムとか細々したゴミを入れっぱなしだったと気づき、ポケットの中を漁った。すると、指先にくしゃっとした感触があった。レシートか? 取り出してみると、連絡先が書かれたメモだった。居酒屋の紙ナプキンに綺麗に書かれた彼女の名前を見て、嬉しくなってニヤニヤしてしまった。
すぐにメッセージアプリに連絡先を追加したが、なんて送るか非常に悩んだ。小一時間悩んで、当たり障りのないメッセージを送ると、すぐに既読になる。そこからは永遠にも思える数分が過ぎ、彼女から返信がきた。今日は楽しかった、もっと話したかったね、と書かれたメッセージを何度も読み返す。変なことを言って嫌われたくはないので、熟考してまたメッセージを送る。
そんなやり取りが続くようになり、そのまま毎日メッセージを送るようになった。バイト先でもよく話すようになり、自然と距離も近くなっていったと思う。
それから一ヶ月ほど経った。
自宅でいつものようにメッセージのやり取りをしていたが、意を決して、映画のチケットをもらったので、今度、二人で出かけないかと誘ってみた。しばらくして「空いてる、観たかったから嬉しい」と返事がきて、その場で小躍りした。今週末の約束をして、カレンダーに予定を登録しておく。顔がニヤけてしまうのがわかる。
大学の授業を終えて、夜になって店に出勤した。今日は、彼女も同じシフトはずなので、少しでも話せたらいいなと思っていたが、出勤時間になっても姿が見えなかった。あとで店長にそれとなく聞いたら、急遽休みになったらしい。
休憩時間に、大丈夫?とメッセージを送ると、しばらくして「ちょっと急ぎで実家に戻ってて…大丈夫!」と返ってきて、少しホッとした。週末の予定も無理しなくていいと送ったが、前日までにはこっちに戻ってきているので問題ないといった内容が返ってくる。
週末になった。もちろん楽しみにしていたが、いざ当日となると緊張してしまって、目覚ましの三時間前に起きてしまった。もう一度寝ようとしたが、変に目が冴えてしまって眠れない。二度寝を諦めてシャワーを浴びる。この日のために、新しい服も買いに行った。髪を乾かしながら電車の時間を調べると、今から出るとだいぶ早めに着いてしまうようだ。遅刻するよりはいいか。コーヒーでも飲んで時間を潰すことにした。
ここ数日間も、彼女と変わらず連絡を取っていた。ただ早朝だったので、彼女にはメッセージを送らずにいた。起こしてしまっては申し訳ないし、こんなタイミングで送れば、緊張して起きてしまっていたのがバレバレで恥ずかしいと思ったのだ。
靴を履く時、上着だけ新調するのを失念していたことに気づいて思わず舌打ちした。迷ったがすぐに袖に腕を通し、玄関を出た。駅に向かう。出勤するサラリーマンたちの波に呑まれつつ、なんとかホームにたどり着いた。喉が渇いていた、そういえば起きてから何も飲んでなかった、自販機でお茶を買い、蓋を開けて口をつける。
その時。
「おはよ」
声をかけられた。振り向くと、なんと彼女が立っていた。こんな早い時間に会うとは思っていなかったので油断していた。慌てて返事しようとしたが、まさにお茶を飲もうとした瞬間なので咽せてしまった。思わず咳き込む。大丈夫かと心配してくれていたが、逆に格好悪い姿を見せてしまったと、やや落ち込みそうになった。とりあえず落ち着くまで大人しくしようと思い、二人でベンチに座った。咳も落ち着いて、ようやく気を取り直して隣に座る彼女の方を見た。側に大きなキャリーケースがあった。少し疲れた顔をしている。ふと疑問に思う。何故こんな朝早くにキャリーケース持って駅にいるのか。
その違和感もあったが、無理をさせてるのではないだろうかと心配になった。今日は休んだほうがいいのではないか、映画はまたの機会にでもと言った。それを聞いて、彼女が変な顔をした。
そして、吹き出すのを堪えるように、こんなことを言った。
「約束したのって、来週だよね…?」
彼女がこちらに戻ってくるのは、もう二、三日後の予定だったらしい。提出課題を忘れてきてしまい、急遽帰ってきたと言うのだ。
どうやら、こちらの思い違いだったようだ。楽しみにし過ぎて日付を間違えるなんて。お互いに笑ってしまい、ふざけながら謝り合った。自分のスマホを取り出し、トーク画面を見せながら、楽しみ過ぎて、などと口を滑らせた。
一人で恥ずかしくなっていたが、ふと、彼女が静かなことに気づいた。険しい顔をして、スマホ画面を凝視している。何かまずいものでも見せてしまったか? 頭にそんな考えが過ぎった瞬間。
ぽつりと、彼女がつぶやいた。
「私、こんなの送ってない…」
どういう意味だ?
彼女は慌てた様子ですぐにスマホを取り出し、メッセージを遡っていく。そうして、映画の約束をした前後のやり取りを画面に表示して見せてくれた。
数日前の内容だし、嬉しくて何度も読み返していたので、実は覚えているのだが…そう思いながらも読んでいく。だが、早々におかしいことに気づいて、自分のスマホを並べてメッセージを見比べた。
ほとんどのやり取りは変わらない。しかし、映画に誘った前後の内容がおかしい。映画の約束をした時、こちらの画面に表示された彼女からのメッセージには、今日の日付が。逆に、彼女の画面にはあるメッセージには、来週の日付が書かれている。それ以外にも、彼女が実家から戻ってくる日付が違った。こちらが受け取ったものには昨日の日付、彼女が送信したメッセージには、本来の予定だった明後日の日付が書かれていた。よく見ると、送受信の時間にも数分の差がある。
アプリのバグ、だろうか。そんなことがあり得るのか。
しばらくお互いのアプリの設定を確認していたが、気づいてしまった。
「IDが違う…?」
アカウント設定を開き、よく見比べる。彼女のアカウント名は最後の文字がアルファベットのオーだった。だが、こちらに登録されているアカウントは、末尾が数字のゼロになっている。自分のアカウントIDも確認してみるが、こちらは間違いがなかった。
そういえばと気づき、上着のポケットに入れっぱなしだった連絡先のメモを見た。一文字ずつ確認していく。どうやら、こちらで追加する際に見間違えたらしい。
だが。それで相手とやりとりできるのだろうか。
その時、新しい通知があった。画面を見ると、彼女からのメッセージだった。目の前にいるはずの。
彼女もそれを見て固まっている。震える指先でトーク画面をタップして、開く。中身は、何の変哲もない、早く起きてしまった、楽しみだねといった内容だった。
さすがに気味が悪くなってきた。まさか…誰かがなりすましているのか。お互いのやり取りの間に、見えない第三者が介在しているかもしれない、そう思うと、得体の知れない気持ち悪さを感じる。
二人とも画面を見たまま何もできなかった。すると、すぐに新しいメッセージが届く。待ち合わせ時間と場所の確認、こちらがどんな服を着ているか…そんな質問が並ぶ。画面を開いているので、既読マークが付いてしまっていることに気づいた。そうしてる間に、次々に新しいメッセージが届く。一体、誰が。しばらくして、メッセージが止まった。思わず息を吐いた。その瞬間。
死ね近づくな殺す殺す殺す殺す殺すころすころs殺すkロス…
画面が埋め尽くされるほどに、そんなメッセージが届いた。
思わずのけぞって手を滑らせる。スマホが落下して、嫌な音を立てた。慌てて拾い上げたが、硬いコンクリートに叩きつけられ、画面にヒビが入ってしまっていた。電源ボタンを押しても、うんともすんとも言わない。真っ暗だ。どうやら、故障してしまったようだ。
その後、何とも言えない空気になり、その日はそこで解散した。それ以来、彼女とはなんとなく気まずくなり、疎遠になってしまった。程なくして実家に帰ることにしたらしく、バイト先も辞めてしまった。
スマホは修理に出したが、データが全て飛んでしまっていた。もちろん、あのメッセージも消えていた。あれが一体なんだったのか、確認する術も無くなってしまったのだ。
人間の悪意だったのか、それとも。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます