第26話 氷の巣窟
カイは深海の冷たい水をかき分け、城外の暗い海中を進んでいた。虚無の影――いや、最近目撃されている「巨大な影」の正体を突き止めるため、彼は一人で海底城を離れたのだ。
「誰も信じてくれないなら、自分で確かめるしかない……!」
青い光を放つ小さな魔法球を手に、カイはその光を頼りに前進する。周囲は暗く、時折、魚たちが影のようにすり抜けていく。だが、彼の目的はただ一つ。行方不明者の手がかりを見つけることだった。
海底の地形は複雑で、崩れた珊瑚や岩の裂け目が迷路のように入り組んでいる。カイは細い裂け目を潜り抜け、巨大な岩陰に隠れるように進んだ。
やがて、海底の砂が不自然に乱れている場所に辿り着いた。
「……ここだ。」
岩の奥にぽっかりと開いた暗い洞窟。洞窟の中からは、かすかに冷気が漏れ出している。カイは息を飲み、慎重に中へと足を踏み入れた。
洞窟の中は驚くほど広く、壁面には奇妙な氷の結晶がびっしりと生えていた。冷たい水が流れ、息をするたびに視界が白く曇る。
彼は光の球を少し前に飛ばし、暗闇を照らした。その先に見えたものに、彼の心臓は凍りついた。
「う、嘘だろ……」
氷の結晶の中に、人々が閉じ込められていたのだ。
行方不明になったはずの漁師や、探索隊のメンバー、そして子供たちまで……皆、恐怖に歪んだ表情のまま、氷の中で動かなくなっていた。
「な、何がこんなことを……?」
突然、洞窟全体が低く唸るような音を立てた。
カイは咄嗟に壁に身を寄せ、音の出所を探った。
奥の暗闇から、ぬらりと巨大な影が現れた。それはまさに、海底城を脅かしていた「巨大な影」だった。
巨大なウミヘビのような体、無数の赤い目、そして体表には氷の結晶がびっしりと張り付いている。口からは白い冷気が漏れ出し、触れた水が凍りつく。
「……これが、氷の魔物……」
カイは小さく息を飲み、身動きを止めた。
魔物は氷の檻に閉じ込められた人々を見下ろし、鋭い舌を出して舐めるように確認している。その姿は、次の獲物を探している捕食者そのものだった。
カイは喉の奥から悲鳴が出そうになるのを必死に堪え、静かに後退を始めた。
「今は無理だ……助けるのは、今じゃない……」
彼は自分に言い聞かせるように、魔法球の光を消し、暗闇に溶け込んだ。
洞窟の出口が見えた時、魔物が鋭い音を立てて振り向いた。
カイは冷たい汗を流しながら、崩れた岩陰に身を潜める。
赤い目が洞窟内を這うように動き、彼の姿を探っている。
「……お願い、気づかないで……」
彼は祈るように息を潜め、やがて魔物が興味を失ったように奥へと戻るのを確認した。
カイは震える足で静かに洞窟を抜け出し、全力で海底城へと泳ぎ出した。
「見つけた……でも、今はまだ、戦えない。」
彼の心には恐怖が渦巻いていたが、同時に小さな決意も生まれていた。
「僕一人じゃ無理だ……でも、誰かに伝えなきゃ。」
海底城の光が見えてきた時、彼はもう一度振り返った。
暗い海の中、あの巨大な影は、まだそこに潜んでいる。
「必ず、助ける……みんなを。」
カイは光のドームをくぐり抜け、城内へと戻った。そして、息を整えると、すぐに長老たちの元へ駆け出した。
彼の小さな勇気が、この海底の運命を変えることになるとは、まだ誰も知らなかった。
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