公衆電話でつながって

西條 ヰ乙

第1話




生きるのがつらい。

でもだからって、死ぬのが怖くないわけがない。







 私が通う高等学校から、バスを乗り継いで一時間ほどの場所にある樹海。

 バス停の近くに民家はなく、あるのは誰が所有しているかもわからない、人気ひとけのない畑たち。そこから山の方に向かうと、一歩足を踏み入れれば迷子になりそうなほど、日光を木々に遮られた暗い暗い森林。

 そこは地元でも有名な自殺スポットで、樹海の入り口には「考え直そう!」と書かれた看板が立てかけられている。

 樹海入り口の看板のそばには公衆電話が置かれており、半透明な壁に何枚もシールが貼られているのが見えた。


 学校が終わり、帰宅部の私はバスに乗って家に帰ることなく、この樹海までやってきた。しかし、樹海の中に入る勇気が、死ぬ勇気が出なくて樹海の入り口でうずくまっていた。

 べつに、いじめにあっているわけではない。けれど、クラスメイトや親との関係がうまくいっておらず、生きるのがつらいと感じていた。


 チーチクチク、チーチクチク。うずくまる私を木の上から見下ろしながら鳴くのは、この地方に生息している鳥で、その変わったチクチクという鳴き声から学生たちにはちくわ鳥というあだ名をつけられていた。


 チーチクチク、チーチクチク、チチチ、チクチク。

 鳴き止まないちくわ鳥は、まるで私に問いかけているようだ。お前はなにをしているんだ。死ににきたのではないのか、いつまでそこでうずくまっているつもりだ、と。


 私は手で耳を塞ぎ、ふらふらと立ち上がると、公衆電話のあるボックスに入った。とくに、誰かに電話をかけようとしたわけじゃない。ただ、逃げ込むようにしてどこかに隠れたかっただけ。

 ボックス内は外から見た通り、緑色の公衆電話がひとつだけぽつんと置かれ、周囲の半透明の壁には「死にたくなったらここへ電話を」「一人で悩まないで」等のメッセージが書かれたシールが貼り付けられ、そのメッセージの下にはフリーダイヤルが書かれている。


 私はどこに電話をかけるわけでもなく、半透明の壁にもたれかかった。

 せっかくここまできたのになにをしているんだろう、と自己嫌悪に苛まれながら下唇を噛む。

「……ん?」

 壁に貼られた、ほとんど同じような内容のシールの中に、公衆電話の裏に隠れるようにして一枚の変わったシールが貼られていることに気がついた。そこに書かれているのは「互いに名前は明かしません。つらくなったらここへ」と書かれており、その文字の下にあるのは他のシールとは違い、090から始まる個人の携帯電話の番号だった。


 どうしてかはわからない。けれど目についたその怪しい番号に、私は公衆電話を使って、電話をかけた。

 数回のコール音が流れたあと、電話がつながる。

「もしもし」

 電話をかけてから、というのは今更過ぎるが、どうすればいいかわからなくなって私の口からは力のない、か細い声が出た。冷静になって考えると知らない個人の携帯の番号に電話するなんて、正気の沙汰ではない。


「はい、どうされました?」

 当惑する私の、握った受話器越しに聞こえたのは若い女性の声。どこかで聞いたことがあるような、安心する声だった。

 電話相手が同性だとわかり、不安になっていた心が少しだけ和らぐ。

「実は……」

 わざわざこんな樹海近くの電話ボックスに番号を置いているのだから、市役所や法人団体ではなく、個人でそういう相談に乗っている人なのだろう。

 私はどうせかけたのだから、と少しくらい自身の環境について相談してみようと口を開いたが、それ以上の言葉が出てこない。

 チーチクチク、チーチクチク。近くの木に留まっているちくわ鳥が鳴く。

 死ぬ勇気はなく、人に相談する勇気もない中途半端者、そう言われている気がした。


「自殺願望がおありでしょうか?」

 一度言葉を切ったあと口を開かない私に、電話相手は現状を理解してくれたのか、優しい声でそう尋ねてきた。

「はい」

 私は素直に、小さく頷いた。

「そうですか。なるほど、わかりました。では私と少しお話ししませんか?」

「……はい」

 名前も知らぬ電話相手の提案に、私は頷いた。相談する勇気がなくても、それでも本心では誰かと話がしたいと思っていたのかもしれない。

「死にたくなるって、つらいですよね」

「はい」

 女性の言葉に頷く。

「私も昔はそう思っていた時期がありました」

「そうなんですか?」

「はい。けれど私には死ぬ勇気なんてなくて、私もあなたと同じように電話で話を聞いてもらったんです」

 電話のつながった先にいる女性は今の私と同じような過去を持つ人だった。死ぬ勇気がないのも、私と一緒だ。

 生きるのがつらいからって、死ぬのが怖いと思うのは私だけじゃなかったんだ。そう思うと少し安心した。 


「もしよかったら、死ぬ前にラーメンでも食べませんか? 私、いい店を知っているんですよ。ほら、駅の近くにある、あのこじんまりとしたお店」

 女性の言葉に思考を巡らす。駅近くにあるラーメン屋。どこの店のことだと思い、記憶をたどっていくと心当たりを見つけた。

「もしかして店の窓ガラスが一枚割れているあのお店ですか? 私、何度かあのお店の前を通ったことがあるんですけど、店主のおじさん怖そうな人でしたよ」

「大丈夫、私が行ったときは見た目に反して優しい人でしたから。ほら、どうせ死ぬならラーメン食べてからでもいいじゃないですか」

「……それもそうですね」

 普段なら、絶対に行かないラーメン屋。そもそも私は普段、一人で遠出することがないので、どうせ死にたい、死のうと思うのなら、死ぬ前にやってみたかったことをしてみてもいいかもしれない。

「この番号をメモしておいてください。そして今度つらくなったら、遠慮なくかけてきてくださいね」

「ありがとうございます」


 女性に言われた通り、電話番号をノートの端にメモして電話ボックスを出た。

 近くのバス停まで歩き、駅方面のバスが来るのを待つ。

 私は女性の話を聞いて、どうせ死ぬなら、とやりたいことを決めた。まずは女性に教えてもらった美味しいラーメンを食べに行きたい。そして電車に乗って、海を見に行きたい。私なんかじゃ行っても浮いてしまうと遠慮していたケーキバイキングにも行きたい。

 誰かとじゃなくて、一人きりで気兼ねなく。

 私はやってきたバスに乗るとそのままの足で駅前のラーメン屋に向かった。


 店の前に立つと、やはり少し怖気付いてしまう。今の私の服装は学校を出てきたときのまま、制服姿だ。買い食いなんて校則違反をしていいのだろうか。そもそも、強面の店主がいる店にどうやって入るのか。

 くるりと反転したがる足をなんとか止め、一度ゆっくりと深呼吸すると覚悟を決めた。

「どうせ死ぬならラーメン食べてからでもいいじゃない」女性に言われた言葉を復唱して、一歩を踏み出す。


 がらりと引き戸を引き、店に入ると店主が「いらっしゃい」と声をかけてきた。強面なので、睨まれているように感じるが、必死に気にしないようにしてカウンター席に腰掛けた。私以外に客はいないようだ。

 メニュー表を手にとってどれを頼もうか思案する。一度、ラーメン屋のラーメンを食べてみたかったんだ。背脂が乗った、食べたら太ってしまいそうな美味しいラーメンを。

「すみません。このこだわりラーメン、背脂多めでお願いします」

 女の子が背脂多めのラーメンを食べるなんて、と思われてしまうのが怖かったが、店主はなにも気にする様子なく注文を通すと、すぐに手を動かし始めた。


 しばらくすると、「はいよ」と目の前にラーメンが置かれる。背脂マシマシの、男の人が食べているイメージのあるラーメン。

 割り箸を割ると、手を合わせて「いただきます」


「んん!」

 美味しい。毎日のように食べたら健康診断に引っかかること間違いなしな背脂の量だが、私が今まで食べてきたラーメンの中では一番の味だ。と言ってもラーメン屋というラーメン屋にきたのはこれが初めてなのだが。

 どうして今までこの店に入らなかったのだろう、そう後悔してしまうほどの味に、なぜだか涙が出そうになった。

「これも食いな」

「えっ?」

「サービスだよ」

 店主はチャーハンを私の前に置いた。量は食べ切れるように気を遣ってくれたのだろう、半分くらいでできたての湯気が立ち上っている。

「あり、がとうございます」

「おう」

 強面の店主は決して笑わない。無愛想な顔だけれど、サービスをしてくれた優しい人だ。その優しさに感謝しつつ、チャーハンを食べる。これまた美味しい。

「ありがとうございました」

「またきな」

「はい」

 食べ終わると会計を済ませ、店を出る。最後の最後まで店主が笑顔を見せることはなかったが、店を入る前とは違って、怖いイメージは払拭されていた。

「美味しかった……」

 ラーメンとサービスでチャーハンまで食べて、満足した私は帰路についた。

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