美少女になったTS天才パティシエ、メイド喫茶で働く〜製菓技術と料理配信で気づけば超有名なメイドさんになってました〜

とくのかなめ

プロローグ

プロローグ


――どんなに体が変わろうとボクにとっての朝は何も変わらない……


「――……っ」


 シャカシャカとボウルに入った溶き卵と強力粉を入れて、泡だて器でまた混ぜる。


 白い粉とたまごがゆっくりと生地に馴染む様子を見逃さず。その一瞬一瞬に集中し見逃さないように緩急を付けて腕を振るう。


「はぁ……っ……」


 次第に混ぜていた右手が重くなっていき、腕が下がっていく。気がつけば息も上がり、額からじんわりと汗が滲み出してくる。

 

 ずいぶんと体力も落ちたものだ。支え手も男の頃は左手一つでできたが、今はボウルを腕と脇で挟み込むようにしないと安定して持てない。


 しかも、その持ち方も新たに苦楽をともにすることになった胸の双丘が邪魔をしてくる。


「はぁ……これ、どうにかならないかな……」


 この体との生活も早くも心が折れそうだ。溶き卵の混ぜ方一つにこだわりを持つボクにとっては、体の大きな変化にストレスが溜まる。


 男は誰しも大きな胸をさわることは夢見ると思うが、今となっては邪魔な巨大な突起にしか思えない。


 体を動かたびにふにふにと当たってくるし、女体の有り難みもクソもない。あのドキドキ感を返してほしいものだ。


「ふぅ……」


 体の奥底から吐き出されるため息も艷やかで色っぽい。おそらく――いや、力加減も変わってしまい以前とはまったく違う味になってしまっているだろう。


 菓子作りを初めてから10年以上近く……いままで積み上げてきたものが一瞬にして崩されてしまった気分だ。この姿のままでも完璧で理想的なお菓子を作れるようにしないと――


 かき混ぜて生地がふわりと膨らみ、粘性が強くなってくる。ここで尽かさずバターと薄力粉を加える。


 ここからが本番だ。ビニール手袋を付けるとボウルに手を突っ込み、力強く、そして手早く混ぜ合わせていく。


 たらたらしていると手の熱が生地に伝わり、味や鮮度を損ねる原因となる。生地は生き物、その一瞬一瞬を逃さず、最高の状態に仕上げる。


「ん……っ……はぁ、はぁ……」


 体に熱がこもり息が弾みだす。熱によって手や腕が汗でベタつき、額から汗の滴が滴り落ちる


「はぁ……はぁ……まあ、これで良しかな……」


 すんすんと鼻を震わせて匂いから出来具合を確認する。バターの香ばしさと、甘い砂糖の匂いが組み合わさった、焼く前からでも十分に食欲のそそる匂いだが、匂いからしてもいつもと違ったように感じられた。


 次は形に流し込んでいく。星形やひし形、ハート型のさまざまな形が入った箱を取り出すと、金属製の型にバターを塗って生地を流し込む。


 それをオーブンに入れて170度で30分。生地の焼き具合をオーブンの前でじっと待ちながら、温度を調整していく。


「はぁ……っ…………はぁ……暑い……」


 オーブンの熱で厨房の中はサウナ状態といっても過言ではない。熱に晒された体は体温を下げるために、とめどなく汗を流していく。脇などの関節部分に汗の染みを作る。このメイド服、洗濯するの大変そうだけど替えとか大丈夫だろうか……?


 これ以上汚すのもどうだろうかと思い。この暑さから逃れようとエアコンを一番低い温度にしてみるも焼け石に水だ。扇風機を持ってきても良かったが、小麦粉が舞い上がるため使えない。


 しかし、パティシエとしてこういった逆境はむしろ当たり前のことだ。身体が女になろうがボクは平然を装いつつ、温度の調整を続ける。手が空けば合間に今回の反省点と、改善点をメモに書き残していく。この服装と体にも慣れないと……


 頭の中は昨日の失敗のことでいっぱいだった。容姿のおかげで助かったがこのままだと男に戻ることなんて不可能だ。


「なんとかしないと……」


 かまどの中で燃える炎の揺らめきのように思考回路もゆらゆらと揺れる。


 ――そう、すべては突然始まったのだ。あの、母さんの遺言書から始まったんだ……

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