朱と雪雫

葛城 雨響

 あたしって、本当に可愛いと思うの。春には恋をするし、夏には海辺をあなたと駆ける。秋は美味しいものを分け合って、冬は頬を赤らめるの。ねぇ、可愛いって思わない? あたしのいいところって、素直で、まどろっこしくて、いじらしいところじゃない? あなたはきっとそんなあたしを好きになってくれたんでしょう?

 ねぇ。あなたって、本当に素敵だと思うの。あたしのことしか見ないし、ブルーベースの肌はあたしのワンピースの色を反射して輝いてるし、眠そうで物憂げな目元も美しい。でも、あなたのダメなところは、無口で、話を聞いてるのかわかんなくて、ダイヤモンドの指輪も、パールのネックレスもくれないところ。あたしはこんなにあなたが好きなのに、愛しているのに、なんにも返してくれないところ。そんなあなたも、愛おしいけど。

 去年の春は楽しかったわね。あたしがあなたのことを誘って、一緒にカフェに行ったの。覚えてる? 思えばそれがあなたとお出かけした最初の記憶。あなたはあたしの方を見て、微笑んでくれたの。ねぇ。あたし、あなたの目元が本当に好きでね、あなたを見つめていると、あなたの目の中に引き込まれそうな感覚になるの。あたし、好きだわ。黒く、深く、光を吸収して大きく膨らんだその目が好き。あ、でもね、本当に一番好きだったのはあなたの声なの。ほら、夏に行った海で、あなた。あたしに追いかけられて、本気になって走ってた。あの時の、待って、って声が好きなの。細くて、透き通ってて、少しだけ弱そうなあなたの声が大好き。あなたがあたしを呼ぶ時、あたしいつも嬉しかったの。こんなあたしのことも必要だと思ってくれるなんて。あたしにはあなたしかいないって心の底から思えたわ。そうそう。あなたは本当にあたしのお菓子が好きよね。台所で作った、あたし手作りのアップルパイ。一瞬で食べ終わってて、あたしの分がなくなっちゃったこともあったし。あの時、本当に寂しかったの。あたしがせっかく作ってたのに、本当に一瞬で食べ終わってたの、今も怒ってるんだから。ううん、嘘。美味しく食べてくれて嬉しかったわ。あの時にしちゃった火傷も、今じゃあ、だいぶ良くなったんじゃない? それとね、あなた。冬にまたりんごを買ってきて、焚き火しながら焼きりんごも食べたの、覚えてる? あの日、途中から雪が降ってきちゃって。そう、あなたの頭に雪が積もってた。あたしが払ってあげたからよかったけど、あのまま気づかなかったら、もしかしたら埋もれちゃってたんじゃない? そんなあなたも大好きなの。

 これはあたしの大きな独り言だから、気にしないで欲しいんだけど、ね。あたし、もしもあなたがいなくなったら、本当に死んじゃうんじゃないかなって思うの。あなたは本当にかっこいいわ。でも、だからこそ、あたし以外の女のところに行ってしまうことが、怖くて仕方がない。でも、あなたはそんなことができる人間じゃない、でしょう? そんなのあたしが一番わかってる。でも、でもね。ときどき、本当に怖くなるの。たとえば、夜中。月が部屋を照らしてる時、あなたの横顔がふと見えなくなる。壁の方を向いてるあなたを、ぎゅっと抱きしめたくなるのだけど、そんなことをしたらあなたの邪魔になってしまう。そうなると、できない。だから、あなたがあたしを求めてくれる時は本当に、嬉しいの。ね? あたしが少しでも寂しそうな顔をした時は、あなたから、ぎゅっと抱きしめてほしい、なんて。

 ふふ、なんでもないの。気にしないで。え? 可愛い、なんてもう、やめてよ。恥ずかしいな。あたし、不意打ちが苦手なの。ほら、あの時のサプライズだって。嬉しかったけど、驚いたあたしにあなた、そのままプレゼントの袋押し付けて帰って。でもね、その時もらった服が今も、お気に入り。深い海の底がぴったりそのまま布になった、そんなワンピース。大事にしてるのよ。もう、そんな顔しないでよ。あなたがくれたんじゃない。もっと自分に自信持ってよ。まったくもう。

 あたし、あなたにこうやって寄り添ってる時がいちばん好きだわ。あなたの肌にあたしの腕がひやりと触れて、あなたが心地よさそうにしている。知ってる? あたしとあなたが布団の中にいるとき。そして、お互いに愛し合ったとき。あたしたちは、いまのことも明日のことも、将来のことなんかも知らないふりをしてるの。ただただ続く〈いま〉に浸って、触れて、あなたを想う。そんなときを過ごすのが、世界で、ううん。この星の上にある物質、思想、科学たちのすべてよりも、愛おしいの。あたしらしい、でしょう? あなたならそう言うと思った。べつに、思想なんてわからないけれど。

 あなた。知っている? 聖書のお話。あれは実は、カミサマが作った偽物のお話なの。カミサマが、カミサマたちを守るために作ったお話。だってそうじゃない? あたしたちが世界で暮らすのに、こんなに苦しいなんておかしいわ。カミサマはあたしたちのことを守ってはくれない。ただ、偽物のお話をあたしたちに教えるだけ教えて、カミサマを守らせている。きっと、そうだわ。だから、あの子が守っていたのは、あの子自身じゃなくて、どこにいるかもわからないカミサマなのよ。おかしな話。

 ねぇ、あたし、この本を読み終わったら、庭に生えてるお花を食べてみようと思うの。白くて、鈴みたいな可愛いお花。あ、そういえばあなた。あのお花をどこからか摘んできて、あたしに渡してきたこともあったわね。あたしそのとき、嬉しかったわ。小さなころから、王子様にお花を貰うのが夢だったの。うん、あなたはあたしにとって、王子様。大好き、愛しているわ。あなたとするプラムの実のようなキスが好き。あたしを愛してくれる、その腕が好き。あなたと過ごす、毎日が大好き。かけがえがないものなの。あなたとの時間は、あたしにとって、ダイヤモンドやパールなんかより価値あるもの。そう、なにかと比べていたら、らちがあかない。それくらいあなたが愛おしいわ。ねぇ。どうして、抱いてくれないの。抱きしめてほしいの。あたしの頬にくちづけて、あたしに愛の言葉をささやいてほしいのに。どうして。ねぇ、どうしてなの? あたしには魅力が足りないかしら? あたしって、可愛いのよ? ほら。素直で、まどろっこしくて、いじらしい。でしょう? なのに、なんで返事もしてくれないの?

 嘘よ。大丈夫。あたしは大丈夫よ。今、庭を見ているわ。太陽がきらきらと輝いていて、草も花も、ふわりふわりとそよいでる。でも、そろそろ寂しいわ。あなたにも、あのお花の香りを教えてあげる。

 ほら、これ。あなたがくれた花よ。すのうどろっぷ、っていうの。植物図鑑に書かれていたわ。雪の雫、天使のように白い。おしゃれよね。あの時に見た雪もちょうど、こんな感じだったわ。ねぇ、一緒に食べてみない? どろっぷ、というくらいだから、飴玉のようにころころ転がしたり、しちゃったり、なんてね。

 あなたに、もっと愛されたかったわ。もっと。ねぇ。

 あたしのせい、わかってるけれど。

 あなたはもう、あたしのことは愛さない。愛せないのでしょう。

 あぁ、美味しいわ。あなたからもらった飴玉。とっても、美味しいわ。うん、美味しい。甘くて、切なくて、寂しくて、愛おしいわ。あなたに、出逢えて、嬉しかったわ。ねぇ、力の抜けた腕が愛おしいわ。あなたを、あなたをあいしているわ。火傷の痕だって、うんと愛くるしい。そして、きぃと開いた瞳を見つめて、あたしはもっとあなたを好きになる。眠っているさなかの目蓋を、あたしがそっと、なでるの。とても、穏やか、ねぇ。眠っているのでしょう? ダイヤモンドの指輪も、パールのネックレスも、あたしへのとびっきりの愛も、まだもらってないわ。でも、もう大丈夫よ。わかってるもの。

 あぁ、美味しい。甘くて甘くて、かなわない。なぜだかなみだもでてきたわ、あぁ、しょっぱい。あなたの冷ややかな手をにぎって、一緒にねむりましょう。このしずくをのみ込んで。あたしたち、あのふたりみたい。りんごをかじった、あのふたり。ふふ。

 あたしたち、ほんとうにいじらしい。これからふたり、雪の雫となるの。ねぇ。

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