第5話 ソードブレイカー
城に来てから1カ月があっという間に過ぎた。
エルフの長い生涯の軸から考えるとほんの一瞬のような時間だが、私にとって最も濃密な1カ月であった。
覚えることは山ほどあり、日々全力で身体を動かして夜にようやく仕事がすべて終わり、眠りにつく。
働いている時は無限に感じるが、不思議と眠りにつく頃には心地いい疲労になっていた。
仲間に囲まれて仕事をするという安心感もあるかもしれない。
戦場では指揮官は兵に囲まれながらも孤独と不安で過ごしているが、ここではまた下から始めている。
多くのメイドとともに、時に緊張感を持ち、時に談笑をしながら務める日々に私は少しづつ楽しみを見出すようになっていた。
**********
ある日、私が午前の清掃を済ませ、晩餐の準備に向けた応援に行こうすると、背後から呼び止められた。
「おーい、クラウシアちゃん!お疲れさまー!ちょっといいかなー?」
声の主はフェレールだった。
「どうしました副長」
私は訊いた。
「やだなー、みんなみたいに呼ばなくていいよ。家政婦長が不在だから便宜的にそう呼ばれてるだけだもん。フェレールでいいよ!」
「ではフェレールさん、どうしましたか?」
「まだ硬いなー。まぁいいや!今日は午後の業務は離れてていいよ!その代わり、私に少し付き合ってもらうね!」
他のパートに応援に呼ばれることは何度もあったが、離れていいというのは初めてだった。何かしでかしてしまっただろうか。
「あ、これから休憩時間だったね。ごめんごめん!じゃあ、休憩が終わったら倉庫裏の庭に来てね。遅刻厳禁!またねー!」
そう言ってフェレールは小走りに去っていった。
なんだろうか。
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城は敷地は非常に広大で、城を近接して囲う城壁がない。外を囲う城壁があまりにも長すぎるからだ。
常時衛兵が10人以上点在しているほどで、非番も含めると城内の従業員と人数が変わらないくらいいる。
私はこの開放的な城が気に入ってきていて、休日や休み時間は周辺を散歩して回るのが趣味になっている。
倉庫裏というのは、城門の真裏に位置する倉庫の裏、ややこしいが、メイド部屋から見える小さな中庭である。
メイド部屋に近いため、メイドたちの休憩所になっている。
倉庫裏に着くと、すでにフェレールがいた。
「お、定刻通りだね、さすが!」
そこにいたフェレールは、さっき会ったときと違った雰囲気だった。あの司令官のような、緊張感を纏ったフェレールだ。
「今日教えるのはね、剣術なんだ!」
「剣術?」
私はそのまま聞き返してしまった。
「そう。クラウシアちゃんのほうが詳しいとは思うけど、ここではちょっと違うことを勉強してもらいたいな」
確かに、フェレールは普段のメイド服ではあるが、腰には剣を下げていた。長さ的には短剣だ。
「クラウシアちゃんのそばの木に剣が立てかけてあるから使って!ロングソードとショートソードがあるけど、使いやすいほうでいいよ」
なんのことだかわからず私は困惑していた。私はメイドで使用人だ。なぜ剣を持つ必要がある?
「ほら早く早くー!時間がもったいないよ!」
しょうがない、私は一番使い馴染んだロングソードを取った。
その瞬間、戦場に置いてきた魂が沸き立つようだった。私の中に刷り込まれた軍人の記憶。長い時間剣とともにあった日々。
「ちょっと思い出したかな?」
フェレールは笑った。その笑顔は、普段の明るい少女のようなものではなく、獲物を見定める狼のようだった。
「じゃあ、始めようか。とりあえず、準備ができたら私に斬りかかってきて」
突然とんでもないことを言われた。
フェレールに?斬りかかる?
戸惑いはあったが、静かに佇むフェレールの姿を見てその思いは無くなった。
剣は構えていない。しかし、家事を指揮しているときとはまた違った鋭い眼光で私を見据える姿には、まったく隙がなかった。
私は剣を取り、柄に手をかけ呼吸を整える。
一瞬で間を詰める。フェレールは構えていない。
そして、私は剣を振り下ろした。
次の瞬間、私は宙に舞っていた。
一瞬の出来事。私には何が起こったのかわからず、無様にも背中から地面に叩きつけられてしまった。
全力ではない。しかし、手加減をしたつもりもなかった。
剣を振り下ろした瞬間、逆にフェレールに引っ張られるように剣が持っていかれ、当身を受けた私はその勢いで投げ飛ばされたのだ。
地面から起き上がって呆然としていた私は、フェレールの持っている短剣に目が行った。
両刃の短剣。しかし、少しだけ広めのブレイドの柄側半分にはノコギリのような歯がついている。鍔も特徴的で、レイピアのような複雑な形状になっている。
「これね、ちょっと普通の剣とは違うんだ」
フェレールは言った。
「これは、『ソードブレイカー』」
フェレールは話しながら近づいてきて、私の手をとって立ち上がらせた。
「正確にはソードブレイカーとマンゴーシュの中間みたいな短剣で、剣を受け止める歯がついてるんだ。ひっかけてねじれば受け止めた剣を折ることもできるんだよ」
さっきは私の剣を受け止めて、フェレールの背後に引っ張ることで私の内側を無防備にし、勢いを利用してそのまま投げ飛ばしたらしい。
「ソードブレイカーやマンゴーシュは、『守りの剣』。そして、それだけを使う戦闘術は相手を殺すことではなく『相手から護るための剣術』なんだよ」
「そして、クラウシアちゃんにはそれを学んでほしいんだ」
フェレールの声色は冬の風のように冷たく、しかし熱を帯びていた。
「私たちバルバロイ公爵につかえるメイドは特別に武装を許可されていているの。時にはご主人様だけでなく、外に出れば私たち自身が狙われることもある。その時に必要なのは、襲ってくる相手からご主人様だけでなく自分や仲間を『護る力』なんだ。こういうことができる人材って貴重なんだよね」
「ってなわけで、今日はこれから勤務時間終わりまで剣術をみっちり叩き込んでくからね。いちいち言葉で説明するより身体で受けて覚えたほうが手っ取り早いでしょ。クラウシアちゃんならこういうの得意そうだし」
「『質問は?』」
フェレールは一通り喋り終わった後、言った。拒否権はない。
この城で働いていると主の口癖が写るのだろうか。
「じゃ、始めようか!びっしばしいくよー!」
そして、鬼の副長の訓練が始まった。
**********
すべて終わった頃には晩餐も終わりほかの従業員も食事を終えている頃だった。
私は立っているのがやっとなほどの疲労感だったが、フェレールは涼しい顔をしていた。
実際には剣術だけでなく、護身用の体術も含めたすべての戦闘術だった。
「すごい!すごいよクラウシアちゃん!本当に今日で全部習得できたみたいだね!じゃあまた定期的に復習の訓練をやってくからね!今日はこれでおしまい!」
「明日は非番だったよね?どうする?明日も訓練やる?」
フェレールが屈託のない笑顔で言ってきたので全力で私は首を振った。
その反応には、フェレールは少し残念そうだった。
**********
自室に戻る途中、廊下でアリエスとすれ違った。アリエスは「お疲れー」と意地の悪そうな笑みで言った。みんなの通過儀礼なようだ。
普段から酷く疲れて眠りにつくが、今日は特に疲れていた。
明日は泥だらけの自分の服をどうにかしなきゃなと考え始めた瞬間、私は眠りに落ちた。
次の日、私は貴重な休日を半日近く潰して泥のように眠った。
少しだけ、フェレールのことが嫌いになった。
(続く)
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