出発


 朝になり、アイリスは身支度を済ませた。動きやすい布服にフード付きの黒いローブを纏い、腰には路銀や必要な道具の入ったポーチ、そして父の遺品であるダガー。


「それでは、行ってきます」


 アイリスは扉越しにマルセルへ告げた。

 返事はない。だがもう良いのだ。自分で動くと決めたから。ひとりで治療法を持ち帰ると決めたから。

 返事を待たずにアイリスは診療所を後にした。


 夜通しアイリスは調べた。

 本棚をひっくり返す勢いで調べ、どうにか治す術はないかと漁った。

 そして見つけた。グリフォンと呼ばれる魔物の羽に失明を癒す効果があるらしい。

 情報源は冒険者が書いたであろう魔物の記録書だ。治癒術師として治せないのであれば医療書よりも魔物の能力でどうにかできないと考え、発見に至ったのだ。

 治癒術師としての知見に優れていようと、魔物についてはマルセルとて知らないことも多いはず。まして隅っこに書かれているような情報では見落とすのも無理はない。

 もちろん教えるのもひとつの手であっただろう。しかしお前は知らなかっただろうと、ひけらかすようでやりたくなかった。

 そもそも自分でやると言った手前、引き下がれない。

 それにひとり旅にワクワクする自分もいる。

 フェリク村の停留所にきたアイリスは目当ての馬車を見つけた。


「レイエン村までお願いします」


 馬子に目的地を告げ、お代を払ってからアイリスは馬車へ乗り込んだ。

 アイリスの目的地は王都アルテリア。大陸の中心地にして王が住まう人類の最重要拠点だ。

 フェリク村からは馬車を乗り継いで一週間といったところか。レイエン村は経由地のひとつだ。


 ――へそくり貯めておいて良かった。

 一度目は厳しい思いをしたフィールドワークだったが、数をこなすうちに色々と慣れてしまった。

 マルセルに指示された物以外の魔導植物や薬草、魔石を収集しては、村に来た商人へこっそり売って小金を貯めておいたのだ。

 纏まった金額になったら借金のアテにするつもりでいたけれど、まさかこのような形で役立つとは思わなかった。


「それじゃあ出発するよ」


 気づけば数人が乗り込んでおり、本を読む者、毛糸を編む者、何をするでもなく景色を眺める者と三者三様だ。

 アイリスも馬車の枠に身を預けて景色を眺めることにした。


 ――もう一年以上か。早いな。

 フェリク村に来てからもう一年を過ぎたが、シレナを置いて旅に出るとは思わなかった。

 ――ポチさんにお土産忘れないようにしなきゃ。

 ポチにはシレナの簡単な清拭と床擦れ防止の介抱を頼んでいる。

 何をあげれば喜ぶだろう。やはり美味しいご飯だろうか。

 アイリスはつい溢れそうになる笑いを押し留めた。

 おかしな話だ。畏怖の対象でしかなかった魔物に妹を世話してもらい、あまつさえ礼にと土産まで考えている。

 過去の自分に今の状況を伝えたら、きっと頭がおかしくなったのかと言われるだろう。

 でも、違うのだ。人は変わる。考えも感じ方も生き方も。

 生きているから変わった。生きているから未来があり、変化があり、夢ができた。

 もちろん絶望もあるだろう。今よりも悲惨な現実が降りかかるかもしれない。けれど全てをひっくるめて可能性なのだ。

 避けようのない不幸はある。両親の死も石化病も野盗の襲撃だって当時のアイリスには避けられなかった。

 だからこそ治療は必要だ。

 怪我をしても治れば人はまた進める。治療には不幸に蹲る人を立ち直らせる力がある。もう一度歩き出せるように背中を押してあげられる。

 治癒魔術を使うだけが治癒術師ではない。むしろ使えなくとも患者を癒せる。

 そのような治癒術師を目指すとアイリスは決めた。

 だからディエレスの目も治してみせる。彼が不幸に抗えるように。未来をその目で見据えられるように。


 持ち帰るのは治療法ではない。未来であり希望だ。

 アイリスは馬車に揺られながら、ひとり決意した。

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