第二章 助手

「きったな」


 足の踏み場もない散らかり具合に、アイリスは思わず呟いた。


 故郷を発ち、アイリスはマルセルに連れられてフェリク村の診療所へやって来た。

 三日前に来た時は気絶していたし、逆に出た時は夜更けだったせいか、村であることを忘れていた。

 そう、村というだけあって村人も四、五十人ほどいたらしく、アイリスを見ると口々に良かったねえと声がけしてくれた。


 ――意外と人付き合いもしているし、しっかりしてるのね。

 驚きながらも感心し、診療所の居住区画へ足を踏み入れ絶句した。


 脱ぎ捨てられた服に読みかけの書物はまだわかる。テーブルへ直置きされたパンにはカビが生えているし、スープが入っていたであろう皿は液体が乾いて具材がカピカピだ。

 そして部屋の大半をが占めていた。

 マルセルが治療薬の生成に用いた小瓶を始め、おそらく治療に使うであろう機材はまだ良い。

 真っ黒な爬虫類の乾燥物や、なぜか室内に置かれた見知らぬ茎と葉が生え並ぶプランター、果ては液体とも個体ともわからぬグジュグジュの灰色をしたナニカまで落ちている。


 家事が苦手とか、そう言う次元ではない。やっていないのだ。これは苦手とかそれ以前の問題ではないか。

 アイリスが寝かされていた診療区画とは雲泥の差であっただけに、衝撃が凄まじい。


 ――こんなところにいたら、逆に病気になりかねない。

 そして当の本人は、

「なぜ止まる。早く奥まで来い」

 などと言う始末。


「いや、どこを歩けと」


「服を踏め。どうせ捨てる」


 なるほど脱ぎ散らかされた服は足場か。

 近くの足場はとアイリスは視線を配る。

 ――あれにしよう。

 シレナを背負っているだけに高くは跳べないが、十分届く距離だ。

 アイリスはぴょいと跳び、着地の瞬間未体験の感触が足裏に走る。


「ひやあ!」


 ドロドロに煮詰めた何かを踏みつけたような、それでいて冷んやりとした感触だった。

 わからない。見るのも悍ましいが、見ないままでいるのはより恐ろしい。


 アイリスは恐る恐る足元を見やる。

 悲鳴が喉奥からせり上がった。


「ぃやああああ!」


 得体の知れない何かがアイリスの右足に纏わりついていた。

 先ほど見かけた灰色をしたグジュグジュの何かだ。しかも両手で抱えるほどの量がある。

 果てはそれがウネウネと動き、踏みつけたアイリスの足を登ろうとしていた。


「ひっ、ひぃ! ひぃい!」


 狂乱。

 残された僅かな理性でシレナを背負い、一心不乱に右足を振り回す。

 しかし離れない。

 それどころかアイリスを丸ごと飲み込むつもりなのか、グジュグジュはさらに登ってくる。


「ポチ、うるさいから止まれ」


 マルセルが呼びかけるとグジュグジュは止まった。

 離れてはくれないのだが、進行が止まってアイリスも胸を撫で下ろす。

 ぜえはあと肩を上下させながらマルセルを睨め付けた。


「なんなのですかこれはぁ!?」


「ポチだ。スライムと呼ばれる魔物の一種で、人に害は与えないよう躾けてあるし、なんでも取り込み食べてくれる、まあ掃除係だな」


「ま、魔物を掃除係に」


 絶句するアイリスへマルセルは肩を竦める。


「汚いものは触りたくないんだ。言っておくが血と吐物まみれだったきみを掃除したのはポチだからな。あまり邪険にしてやるなよ」


 肌が粟立った。

 ――これが、私を、這った?

 考えるだけで目眩がする。

 アイリスは吐息した。


「マルセルさんたまに汚れるのは嫌いだって言いますけど、部屋がこの有様でどうして平気なのですか」


「僕は汚れない。だから構わない」


「……こいつ」


「何か言ったか小間使い。さあ仕事だぞ。妹を寝かせたら掃除しろ」


 反抗してやりたい気持ちになった次の瞬間、心臓がドクンと跳ねた。

 息が詰まり、ふらつく身体を気合で抑える。


「命令には逆らおうと思うな。苦しむだけだ」


 黒翼の紋。

 マルセルと契約を交わした証明。

 反抗を目論んだだけでこの痛みなら、行動に起こせば死ぬのだろう。

 ――でも、選んだのは私だ。

 アイリスは自分に言い聞かせ、部屋の奥へ向かうマルセルの背にベッと舌を出した。

 どうやら悪態をつくのは、許されるらしい。


※※※


 掃除は難航した。

 まずゴミとそうでないものへの分類が必要だった。

 そう、見分けがつかないのだ。

 一応マルセルにも聞いたところ「必要なものは置いていない」と返事があり、内心舌打ちした。

 ――なら捨てろよ。

 アイリスはマルセルの目の届かない範囲で悪態をつくことに決めた。彼に付き添うには精神衛生を保つ上で必須だろう。


 閑話休題。

 ともあれマルセルから不要とみなしたものは捨てて良いと指示を得られたので、本格的に掃除が始まった。


 まずは衣服。捨てるものだとマルセルは言ったが勿体無い。確かに汚いが洗えば使えるものばかりだ。

 部屋から衣服らしきものは全て拾い上げて外に置き、あとで洗濯することにした。

 次に書物。これも同様マルセルには必要ないのかもしれないが、読み書きを覚えたいアイリスには必要だ。

 とりあえず外に出し、日が当たらないよう家の影に置いた。

 食器類や医療機材も外に出した。割れている皿や瓶もあるが、まだ使えるものも多い。

 あとで村の人に水汲み場を聞かなければならない。


 段々と床が見えてきたが、まだまだ物だらけだ。

 そしてここからが本番。よくわからないものの片付けだ。

 使い道がわからない以上、不要とされているなら捨てるしかない。溜めておいても部屋は綺麗ならないのだから潔さも必要だ。

 ――マルセルさんが火を使えるから焼却してもらうのが一番かな。

 そう結論付けてアイリスは運び出しに取り掛かった。


 掃除に朝から取り組み、運び出しを終える頃には昼になり、掃除と再配置を終える頃にはすっかり日が暮れていた。

 村の人とも途中で話し、色々とご飯をもらったりもした。

 ――懐かしいな。

 人に優しくされるとどうしても故郷の村を思い出してしまう。

 石化病が未解明のままだから、村はこれまで通りに封鎖されるのだろう。

 治療薬を持っているマルセルに頼んで石化を治したとて、皆すでに死んでいる。それに下手に村へ戻って封鎖に来た騎士団と鉢合わせでもしたら、治療法をバラしたとして黒翼の紋が発動しかねない。


 ――でもいつか帰ろう。シレナと一緒に。

 何年、何十年先になるかはわからない。その時には村は残骸すら残っていないのかもしれない。それでも故郷の地をいつか、妹と一緒に踏みたい。

 そうして初めて、アイリスたちの石化病は治ったと言える……気がした。


 最後の皿を食器棚にしまい、ついに掃除は終わった。


 見違える風景だ。

 木目綺麗な床にはテーブルが一台と椅子が二脚。壁沿いには食器棚と本棚が二つずつ。

 埋もれていた台所も磨いたし、食材を用意すれば明日からは料理もできるだろう。

 あとは絨毯だが、汚れが酷く丹念に洗ったせいで時間を食い、まだ乾いていない。まあ明日の夕方には乾くだろう。


「終わったか」


 扉の先からマルセルが現れる。

 診察室とはまた別の、マルセル個人の部屋と思しき一室だ。

 そこも掃除しようかと尋ねたが、必要ないと一蹴された。おそらく治療法をまとめた資料や、本当に必要な道具があるのだろう。

 マルセルは部屋をぐるりと眺めて腕を組む。


「悪くない」


「素直に褒めたらどうですか?」


「褒めるほどのことでもないだろう」


「はいはい、そうですか」


「生意気な小間使いだよ、まったく」


 そう言ってマルセルは思い出したように踵を返す。

 自室に戻ったマルセルはしばらくして、植物の植えられた鉢植えを持ってきた。


「飾るのですか?」


「いや君の妹に使う」


「……使う? 気付け薬の類ですか?」


「単なる気絶ならそうするが、自然に起きるまでは何もすべきではない。実際に見せながら説明するから着いてこい」


 話しながらマルセルはもう一方の扉へ歩いて行く。

 扉の先は診察室。その別室のベッドにはシレナが寝かされている。

 すぅ、すぅ、と寝息を立てるシレナ。今この瞬間にも目覚めそうだが、掃除のゴタゴタで起きないのだから、きっとまだ目覚めないのだろう。


「何もすべきではないと言ったが、何もしなければ君の妹は死ぬ。なぜかわかるか?」


「ご飯を食べられないからですよね」


 掃除の最中もアイリスは考えていた。

 石化状態とは異なり、シレナの心臓は動いている。呼吸もしている。何かしらの方法で水分や栄養を取らなければ生きられないのは当然だ。

 だから毎日流動食を作って飲ませようと思っていたのだけれど。


「僕に着いてくるなら当然、君の村へ行ったように村を出ることもある。その時に毎回妹を連れ歩くことはできない」


「……わかりました。誰か他の人にお世話を頼むようにします」


「契約を結ばない人間を診療所に入れられるわけがない。まして他人が介抱中に目覚めでもしたら石化病から回復した人間だと知られるだろう」


「それならシレナを置いていけません!」


「喚くな。だからこいつを使う」


 そう言ってマルセルは抱えていた鉢植えから植物を引き抜いた。

 アイリスは目を見開いた。

 植物の根がウネウネと動いているのだ。


「それも、魔物なのですか」


「魔物と植物の中間だ。魔導植物とも呼ぶ。これはその中でも僕が直接交配したオリジナルだよ」


「交配って、本当になんでもご存知なのですね」


「なんでも知っていたら苦労はないよ。所詮人が知っているのは知ろうとしたことだけだ」


 そしてマルセルはウネウネと動く魔導植物をシレナの腕にくっ付けた。


「何を!」


「いちいち喚くな。大人しく見ていろ」


「見ていろと言われても、これは……」


 魔導植物はシレナの腕に纏わり付き、その根っこを次々と肌に刺していく。

 ――治療法、よね。

 シレナを殺すつもりなら、とっくにそうしている。

 わかっていても眼前の光景は信じ難いものだった。


「この魔導植物は魔力を栄養に変換できる種と宿主に寄生する種を交配させている」


「栄養と寄生?」


「そうだ。寄生はそのやり方からして数多あるが、基本的に宿主を殺さない範囲で活動する。寄生先が死ねば当然自分も死ぬからだ」


「それがシレナとどう関係があるのですか」


「この魔導植物に使った寄生種は面白くてな。本来宿主から栄養を奪うための寄生であるはずなのに、逆に自分が貯めている栄養を分け与えるんだ」


「自ら栄養を分け与えてなんの意味が?」


「一つは寄生自体に得があるから宿主も寄生を許容する。実際採取した時はホーンボアという魔物の背に群体で寄生していた。二つ目は生息範囲の拡大だな」


「……なるほど、宿主を元気にして動いてもらい、より広範囲に種を撒くということですか」


「そうだ。とはいえ仕組みとしては宿主が得た栄養の一部を貯め込み、いざという時に解放するというものだから、そもそも宿主が栄養を取れなくては意味がない。そこでもう一つの種が役に立つ」


「魔力による栄養生成」


「わかっているじゃないか。魔力によって生成した栄養を分け与えることができるから、いつ目覚めるかわからない患者には持ってこいの魔導植物だ。寄生させるだけで延命できるのだからな。素晴らしいだろう」


 楽しげに語るマルセルにアイリスはつい笑ってしまった。

 ――ずっとそんな顔をしていれば良いのに。

 無邪気に表情が動く顔は元の顔立ちもあって魅力的に映る。

 しかし笑ったアイリスを見てマルセルは眉根を寄せた。


「何がおかしい」


「いえ、何も」


「まあいい。とりあえずこれで君の妹が脱水や栄養失調で死ぬことはない。ただ定期的に寝る向きを変えたり、身体は拭いてやれ。思わぬ病気の温床になる」


 未だにマルセルが何者なのかはわからない。

 けれど彼の根底にあるのは治癒術師なのだろう。人を助けるために行動する優しさのある人間だ。

 彼を見て、目指すべき将来像が見えた気がした。


「ありがとうございます。色々と」


「言っておくが金貨二百枚の処置はここまでだ。あとは君が契約を果たせよ」


「わかっていますともマルセルさん。あ、ご主人様とお呼びした方がよろしいですか?」


「やめろ気持ち悪い鳥肌が立った」


 わざわざローブを捲って腕を見せてくるマルセルにアイリスは苦笑した。

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