Record.2

 影村は入学式の最中何処かから視線を感じる。


 別の列から一人の少年が彼の方を向いていた。竹下隆二だった。彼は前髪で目元を隠して、まるでビッグフットの様な見た目になっている影村に一早く気が付いたようだ。


 “フフ、彼も同じ学校だったんだね”


 竹下の事を更に後ろの席から見ている、まるでアイドルの様なルックスの美少女がいた。後に海生代テニス部のマネージャーとなり、竹下隆二と共に道を歩む少女。佐藤理恵華さとうりえかは、自分が肩の怪我によりテニスを引退している経緯もあり、テニス雑誌や動画をずっと見てはマネージャーとして頑張るよう心に誓っていた。



 “間違いない。あの人、全国5人の天才プレーヤの1人、竹内隆二!大物も大物よ!”



 彼女は新しい出会いと、これからの学校、部活生活に胸を躍らせていた。まるで少女漫画の主人公の様な感覚の中、彼女の頭の中はテニス雑誌に載っていた竹下の写真が頭いっぱいに広がっている。とんでもないお花畑であるという事実は否めない。しかし彼女が歩くところに男子生徒の視線が釘付けになるのは彼女自身も気が付いてない。中学校を卒業する前はさえない姿だったが、高校に入ってから女性は変わるものである。


 「起立。一同、礼...ご着席ください。」



 影村は入学式を終えると、教室へと足を進める。すると、後ろから彼を呼ぶ声が聞こえる。影村が後ろを振り返る。そこには竹下がいた。彼はとても爽やかな笑みで影村に手を振った。良く前髪を下ろして顔を半分隠しているのに気が付くものだと心底驚いた。



 「いたいた、おーい。大きい人。」

 「......。」

 「君もこの学校だったんだね。なんで言わないんだ。」

 「バスで一度話しただけだろう。」

 「フフ、そうだったね。君、テニスやろうよ。というかやるんでしょう?」

 「......。」


 純粋無垢な性格の竹下の質問に影村の中で幼少期のトラウマともいえる罵詈雑言が薄っすらと、彼の後頭部の当りから聞こえてくるも、とあるフランス人男性の“Magnifique! C'est merveilleux! Votre jeu est numéro un en ce moment !(素晴らしい!素晴らしいぞ!君のプレーはナンバーワンだ!)”という賞賛の声とスタンディングオベーションの拍手の音でかき消された。もう一度、この国で試合に出てみるか。影村は顔を上げる。


 「あぁ...気が向いたら―――」


 「あ!竹下君!竹下君でしょ!」


 2人の会話を遮断するように一人の少女の声が聞こえる。佐藤理恵華だった。彼女は竹下を見るなり猪突猛進の勢いで小走りして彼の前へと近寄った。


 「あ、あの!私、佐藤理恵華といいます!全国5人の天才の竹下君ですよね!」

 「フフ、そうだよ。」

 「わ、私!テニス部のマネージャー志望です!ずっと試合とか見てました!よろしくおねがいします!」

 「フフッ、よろしくね。佐藤さん。」


 竹下は笑顔で彼女へ答える。そして影村の様子が気になったので、後ろを振り返るも、彼はポケットに手を突っ込み、廊下を歩いて自分のクラスへと向かっていた。彼の背中を見る竹下と佐藤。影村が自分のクラスに入ろうとした時、教室の引き戸の上桟に頭をぶつけゴンッという鈍い音を響かせ動きを停止した後に教室へ入っていくという場面を見た。


 「フフッ、頼もしい仲間になりそうだね。」

 「私楽しみにしてます!それでは!」

 「フフ、入学早々廊下は走らないでね。」


 竹下が彼女へ声をかけたところ、もう遅いといった具合に彼女はステンと転んだが、直ぐ起き上がり、竹下へ手を振って教室へと移動していった。竹下も移動するも、彼女と同じ教室だった事を忘れていた。



 影村が教室に入って来るなり、皆の視線が気になる。物珍しい外国人を見るような好奇の視線は、影村にとっては困惑しか生まなかった。


 「な、なぁ、あれヤンキーだったらどうする?」

 「ヤベェよ。なんか軍人みたいな体付きしてるぜ?」

 「何あの人、めっちゃコワイ...」

 「近づかない方がいいわよ。絶対何人か殺ってるわ。」


 影村は周囲を見回すとアンディの言っていた言葉を思い出す。所詮自分以外は外野でしかないと心に言い聞かせ、彼はホームルームを過ごすつもりでいた。ここは日本国の千葉県市原市某所。海生代テニス部の主力選手2人が揃ったのであった。


 「はーい、みんな席について。始めるよー。」


 教室の入り口から20代中盤と思われる女性教員が入ってきた。女性教員はメガネをクイッと上げて生徒達を見回す。


 “ふーん。今年の1年生は大人しそうね...”


 彼女は心の中でこのクラスがどのような雰囲気かを言葉にしている。例年通りのクラス構成だと考えていた彼女は、ここで影村義孝という大きな怪物に出くわす。彼女は影村を見るなり、幽霊に遭遇した状況とは別の恐怖で脚がプルプルと震えていた。


 “な、何!?この子!190センチはあるじゃない...体格、これもう外国の軍人じゃないの!”



 心の中で動揺する担任教師の野上陽子のがみようこ。後に影村の進路の支えになった存在である。



 下校時間


 校門の前でポケットに手を突っ込んで歩く影村。校庭の前で睨みを利かせている2年生3人組が彼に目を付けたようだ。



 「おい、里川。あいつに決めたのか?ボコって金とるの。」

 「あぁ?でっけぇだけで大したことねぇだろ。」

 「でもよ。あいつ絶対何人か殺ってるよ。」

 「るっせぇな。行くぞ!」

 

 2年生ヤンキーの里川猛さとがわたけるは影村を睨み付けながら蟹股で歩いては進路を塞いだ。


 「おい、1年。」

 「......。」


 影村は足を止める。曲げていた背中をググっと持ち上げて胸を張り、腹筋に力を入れた。里川は非常識な迫力を持った影村を前に一歩後ろへと下がった。



 「テメェ!やんのか!」

 「何をやるんだ?」

 「ぁあ?調子こいてんじゃねぇぞこら。」

 「足震えてるぞ。小鹿か何かか?」

 「...っく!」


 里川は影村の迫力に足を竦ませていた。動けない。トドメだと言わんばかりに影村の眼光が前髪を通して、里川を威嚇する。里川と残り2人は逆に動けなくなっていた。


 「おーやおやぁ?タケちゃんじゃなーいの。」

 「やっべ!」



 里川の前に一人のこれまたギャル男ルックな2年生が現れて、彼と肩を組んだ。


 「やっべ!ってなぁによぉ...」

 「い、行くぞお前ら!」

 「...はっ、1年に喧嘩吹っ掛けといて足震えさせてるわ。ダッせ。」


 ギャル男ルックな男は山城啓太やましろけいた。男子テニス部の2年生であり、他校の女子生徒へのナンパ癖のある曲者で、関わるとめんどくさいという特徴がある。


 「おう、悪りぃな。あいつクラス一緒なんだわ。んじゃそういう事で。な?」

 「......あぁ。」



 山城はポケットに手を突っ込んで携帯端末を取り出してその場を後にした。影村は山城の背中を目で追っていた。影村は歩き出した。商店街を抜け、歩きながら何気なく駅前の公園を見る彼の目はどこかもの悲しげだった。複数人で話し込む女子高生、初日で仲間を見つけてグループで帰宅する男子高生。影村にはこの情景がスイスでの楽しかった思い出と重なって見えた。


 自分はこの国では一人である。


 彼は小学4年生の時、U-12トーナメントで味わったコートの上での孤立感を思い出し、しょんぼりと肩を落とした。身体は大人のそれでも、心はまだピュアな15歳の少年だった。



 学校から商店街へ、そして公園の横道を抜けて駅へと到着した彼は定期券をタッチして改札の向こうへ、学生の作る列から頭2つ飛び出る程に影村は目立っていた。周囲の学生達は、彼の姿を見てはギョッとする者もいれば、大人しく本を読みながらチラチラと見てくるといった具合であった。



 彼は電車を下車して暫く道を歩くと、少し大きな今時のアパートへと辿り着く。父親の年収ならばマンションを購入できる程なのだが、如何せん国内海外問わずの転勤が多い職種の為、戸建住宅は定年退職まで諦めているといった具合だった。


 「あら義孝、お帰りなさい。」

 「...あぁ。」



 影村を待っていたのは母の影村日和かげむらひより。彼女は自宅でリモート仕事の為、入学式には行けなかったが、影村は自立していたため、あまり気にしていない状態だった。


 「仕事は落ち着いた?」

 「えぇ、少しね。お昼にしましょうか。」

 「あぁ、俺が作る。パスタでいいか?」

 「パスタがいいわ。」

 「わかった。」


 静かな雰囲気の中、影村がパスタを作り始める。


 「どう?日本の学校。馴染めそう?」

 「まだ初日だ。」

 「そう...。」

 「一人変な奴が声をかけてきた。テニスで全国上位なんだと。」

 「誘われたの?」

 「...あぁ。だが―」

 「義孝...あなたはあなたの信じる道を進みなさい。この国でもあなたを受け入れてくれる環境があるはずよ。それに、環境がなければ作ればいいだけなの。気にしないで、思いっきり暴れてらっしゃい。父さんも母さんも応援しているから。」


 母は優しく微笑むと、パソコン仕事に戻った。影村は溜息をついてパスタをゆで始めた。



 一方で全国の部活動、中でも全国5人の天才と呼ばれる存在がそれぞれ入学した強豪校では、入学初日にもかかわらず部活動ミーティングが行われた。


 静岡県 私立富士宮恵泉ふじのみやけいせい学園 男子テニス部ミーティング


 一人の堅い雰囲気の女子マネージャーが、PCの光を眼鏡に反射させ、まるでアニメの作戦会議室のような雰囲気で、まとめ上げた報告を出席した部員達へ伝える。その後ろにはどこか垢ぬけたもう一人のマネージャーの女子生徒の姿もあった。



 「早速ですが、今年全国クラスの学校へ入学する1年生の情報です。言わずもがな、5人の天才と呼ばれている内の1人、矢留誠二やとめせいじは我が学園の主力戦力になります。彼を始め静岡第六中学校より清代慎しんだいまこと、三島佐護中学からは園部孝之そのべたかゆきを始め申し分ない実力を持った人員が集まっています。」


 「で、矢留以外の実力は如何に?」


 「はい、キャプテン。清代君は県大会では矢留君に継ぎ2番目の実力を誇ります。園部君は県大会の準々決勝で清代君に敗れていますが、実力は拮抗しています。」



 スクリーンに映し出されたメンバー達。その後竹下と覇権を争う矢留の写真。細身の高身長で童顔ではあるが長い手足を利用したボレーで中学生の全国トップへと昇って来た実力者である。竹下は全中で彼に苦戦したものの何とか打ち破って勝利を収めている。



 「他の学校についても情報を集めましたので報告します。まず、九州福岡県博多にある私立新羅鈴仙高校。そこへ入学した龍谷宰りゅうこくつかさ君。彼は持ち前のビッグサーブとフォアハンドストロークでのし上がった天才の1人です。愛知県私立八星高校に入学した水谷修永みずたにしゅうえい君と肩を並べたパワーヒッターよ。しかし神奈川県の私立雲津大恵高校に入学した八神秀介やがみしゅうすけ君にはいずれの試合でも敗れています。」



 「へぇ、相変わらずの情報力じゃん。鉄子。」

 「...。」

 「怒った?堅いんだって。情報すごいけど。部員が怖がってるんだよ。」

 「キャプテン。私は真面目なだけです。他校の女子生徒に誰かれ構わず声をかけるような人がキャプテンをやっていることも異常と考えられますが。」

 「なぁにぃ?」

 「怒りましたね。きっと図星でしょう。ですが、私の予測と分析が外れたことが今までにあったでしょうか。」

 「...ねぇよ。」


 鉄子と呼ばれる無表情で笑顔のない女子マネージャーの桃谷百合子ももたにゆりこはメガネをクイッと上げて、主将の嶋藤誠吾しまふじせいごに圧倒的議論で反論する。後ろでやり取りを見ていた副主将の森本剛もりもとごうが笑う。



 「しかし、私の情報収集力をもってしてもあと一人...福島県代表の天才、竹下隆二君のその後は分かっておりません。八神君と並んで1・2位を争っていた存在。あの震災後にどこへ行ってしまったのか。噂では東京・神奈川県あたりで目撃情報があったとのことですが...」


 「おぉ、怖っ!鉄子CIAか何かじゃねぇの!?」

 「違います。CIAならば1時間足らずで彼の身元から現在所、ご存命している家族、親族、そしてGPS情報を使ってその位置が特定可能でしょう。」

 「ロボットだな最早。」

 「聞き捨てなりません。顧問の先生へ抗議します。」

 「嘘ぉん!?」


  ハッハッハッハ!



 周りの生徒達が笑う中ミーティングが終了した。この数日後、海生代高等学校では部活動勧誘が行われることとなる。竹下、影村、佐藤、そしてまだ見ぬメンバー達が一斉に集うのも近い。

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