【其の六 憶測と選択肢】
梶田君が消失してから数日。
変わった事といえば、
一緒に帰る時の常葉君の口数が以前に二人で帰っていた時より減った事だろうか。
僕がよく喋るようになったから総体的にそう見えるだけだと思うけれど、
万が一常葉君との距離が遠くなってきているのであればそれは早めに対処したい。
今のところ対処法なんて分かる兆しすらないから、
また今度常葉君に直接聞いてみようと思う。
考え方の変革こそあれ目に見えた変化は殆どない僕とは違って、城崎君は大きく変わっていた。
いや、城崎君へのやっかみが大きく変わっていた。
誰が見てもはっきりいじめと断定出来るものへと。
リーダーが代われば取る行動も変わるのか、
佐藤君が主導するグループは瞬く間に規模が大きくなり、
より巧妙に、より陰湿になっていた。
机の落書きだけに飽き足らず教科書への落書き、
過激なものでは筆箱に画鋲を入れたりなんてものもあった。
全て城崎君が自ら処理しているから、直接見聞きした僕と実行犯以外は知らない。
一度仲間にならないかと誘われたのを断ってから僕への無視も行われているようだが、元より会話の無いクラスメイトに無視されたところで何の支障も無かった。
だが、城崎君が気にしていない様子とはいえこのまま見過ごす気はない。
次の満月の日は誰を連れて行こうかと、机を綺麗にする城崎君を手伝いながら想いを馳せた。
そんな過激さを増していくいじめが続いていたある日。
机を綺麗にする手伝いを始めてから早くなった登校時間に門をくぐって下駄箱へ行くと、何やら探している様子の城崎君が居た。
嫌な予感がして城崎君の足元を見ると、予想通り上履きを履いていない靴下姿。
これは周囲にバレずに解決するのは難しいんじゃないだろうか、、。
「おはよう葉月君。今度は上履きを隠すゲームみたいだ」
僕の存在に気付いて話し掛けてくれた城崎君はお道化た様子だったが、
その目には光が差していなかった。
諦めて靴下のまま職員室へスリッパを借りに行こうとする城崎君を止めて、
誰の物でもない下駄箱の空きスペースに放置された上履きを差し出す。
名前が書いてあるがこの場所から動かされた事を見た事のないこの上履きなら、勝手に履いても問題ないはずだ。
サイズが丁度だった事には驚いたけど、
それのおかげか城崎君の機嫌が少し改善したから良しとしよう。
だが、教室に着いて席へ行くと、城崎君の明るい表情は暗転した。
自分の席へランドセルを置いて、
机と椅子の間に立って視線を落とす城崎君の背後へ静かに周る。
城崎君の視線の先には、お道具箱の横に無理矢理詰め込まれた上履きがあった。
憶測ではあるが、本人の物と見て間違いないだろう。
これを見て〝どうしてこんなところに?〟と疑問が零れる程理解力は乏しくない。
だが、上履きが机の中に隠されていただけではおそらくだがああまで表情が暗転する事はない。
そう信じられるほど城崎君は懐が深く大人だ。
じゃあ何が原因で?
それを探るべく、半分程引き出された上履きを体を傾けて恐る恐る覗き込む。
そうして見えたそれは、もう上履きと呼んでいいのか分からない見た目をしていた。
カッターや鋏を使ったであろうと思われる切り傷があちこちに入り、黒の油性ペンで文字が書き殴られている。
書いている文字は少ししか見えなかったけれど、見えたものは全て汚い言葉だった。
この所業を見れば書いてある文字が罵詈雑言である事は認識する前に予想が出来ていたが、
それでも、目の当たりにしたそれには絶句せざるを得なかった。
表情を見るのが怖くて、上履きに視線を落としたまま城崎君へと声を掛けた。
こんな時に掛けるべき言葉なんて乏しい語彙力の中にはなくて、
蚊の鳴くような声で名前を呼ぶ事しか出来なかったけど。
独りの世界に入っているようだった城崎君だったが周囲の声は聞こえていたようで、僕のか細い声に反応して振り返った。
「ははは。見て葉月君。上履きがボロボロにされてたんだ。葉月君が見つけてくれたこの上履きが丁度で本当に良かったよ」
ころころと笑ってそう言う城崎君の目は完全に表情が抜け落ちていて、
ただ単純な無表情よりも多くの暗さを含んでいる気がした。
騒ぎにならないようにか教室のゴミ箱の中のゴミに上履きを紛れさせる城崎君の後ろ姿に、ガラクタ山で零していた言葉が不意に頭を過る。
〝いざとなればどうとでも出来る〟
その言葉の真意がどういうものなのかは分からないが、
近い内にその意味を知る事になるような、そんな気がしてならなかった。
そしてその直感は当たっていて、
あれだけ苛烈を極め始めていたいじめが数日後にはぴたりと止まった。
上履きが隠される事も机に落書きされる事もなくなって、
佐藤君らのグループは僕にも城崎君にも一切近付いてこなくなった。
心なしか、以前にも増して距離感が遠くなった気がする。
かなりの規模で広がり始めていたいじめをたった数日で止めさせるなんて何があったのか気になるけど、何となく聞けずにいた。
それを聞いてしまったら城崎君と話す時につまらない壁を隔ててしまいそうな気がして。
「おーい、葉月君?ボーっとしてどうかした?もう帰る時間だよ」
聞かずには解決し得ない疑問を頭の中で巡らせているといつの間にか終業していて、いつの間にか常葉君が迎えに来てくれていた。
いつもは迎えに来てくれても教室の入口までなのに、今日はわざわざ席まで。
気付かずに呆けていたせいだろうな、と申し訳なくなった。
悩みの種である城崎君は、今日も女子生徒に囲まれている。
うん。
間違いなく囲まれている。
けれど、器用にその隙間を縫って僕を見ていた。
いや。
少し視点がずれている事から、見ているのは常葉君だろうか。
面識はないと思っていたがもしかしたら知り合いだったのかもしれない。
「葉月君。僕も一緒に帰って大丈夫?」
城崎君がそう聞いてきて、周りの視線が一挙に向けられた。
女子生徒達の恨めしそうな視線。
常葉君の、信用しているような試すような視線。
おそらく、梶田君の時のような事を懸念しているのだと思う。
城崎君なら同じ事態にはならないと思うけれど、
人柄を知らない常葉君からすれば懸念も仕方のない事なのかもしれない。
複数の視線に晒されながら考えた結果、
視線で問いかけてくる城崎君に頷いて三人で帰る事になった。
何人か女子生徒が着いて来ようとしたが、それは頼まずとも城崎君が断ってくれた。
どうやら三人がいいらしい。
何か周りに聞かせられない秘密の話があるのかと思ったがそんな事はなく、
三人で他愛ない会話をしながら家路に着いた。
この前城崎君と待ち合わせしたコンビニから離れていっているけど大丈夫なんだろうか?
不安を抱えながらも聞けず仕舞いのまま、いつも常葉君と別れる曲がり角で僕だけ別の方向へ曲がった。
常葉君に着いて行ってしまうと益々家から離れると思うが、言ったほうが良かっただろうか。
既に家に着いた今、そんな事を考えてもしょうがないのだけれど。
でも何となく。
城崎君の家の方向が違うという事を加味しなくても、声を掛けたほうがよかったかもしれないという想いが拭い切れなかった。
何故かは分からない。
だからといって深く考えようとも思わない。
拭えない思いが、明確な理由の無い無意識によるものだったから。
考えれば考える程遠ざかっていくのであれば、
わざわざ考えないほうがきっと解決に近い、、、、と信じたい。
ともあれ、常葉君が嫌そうな表情を一つもしていなかったのは良かった。
城崎君が梶田君のように消失してしまうのは寂しい。
僕が嫌わなければその結末にならないとは思うけど、
常葉君との時間を害されると嫌悪を感じない自信は無い。
害されたとしても居なくなってしまえばいいと思える程までに嫌いになるとは思えないけど。
どう転ぶにせよ、今は純粋に二人が仲良くなった事を喜んでおこう。
いつか来るかもしれない得体の知れない何かからは目を逸らして。
「葉月君、今日も一緒に帰ろう!」
初めて三人で帰った翌日。
癖で早い時間に登校すると、すぐ後ろからやってきていた城崎君に話し掛けられた。
疑問形ではない事から、断られるとは微塵も思っていないようだ。
おそらく、常葉君へは既に了承を得ているんだと思う。
それがまだだとしても僕の一存で断る事はないけれど。
了承した後の城崎君の満足気な笑顔は、
数日前に表情が抜け落ちていた人物と同一とは到底理解し得なかった。
「やあ城崎君、葉月君。迎えに来たよ」
小テストの返却で帰る時間がほんの少し遅れてしまった放課後。
教室の中まで常葉君が迎えに来てくれた。
些事ではあるけれど、
城崎君の名前を先に呼んだという事実が僕の心に小さな傷をつけた。
嫉妬、、、なんだろうか。
長らく常葉君と居る時は二人きりだったから
これが嫉妬という感情なのかもしれない。
たかだか名前を呼ぶ順番が後だっただけなのに、ただそれだけの事が何故だか心に残った。
「そっか、城崎君はいじめられていたんだね。もう大丈夫なのかい?」
まだ夏の名残が強く残る帰り道。
心なしかいつもよりゆっくり歩きながら、城崎君がいじめられていた事を自ら暴露した。
自分だけが知っていた事を易々と公開された事に、無意識で理不尽な独占欲が浮かび上がる。
「もう大丈夫。自力で解決したから」
「自力で?どうやったんだい?」
「一人ずつ力で理解させて、泣きながら謝る動画を撮ってあげただけだよ。傷跡は残らないようにね」
笑顔でそういう城崎君を見て、背中に冷たいものが伝う。
荒事などとはかけ離れた存在だと思っていたから。
平和的手段で解決したんだと心の中で勝手に理解していたから。
何てことない日常風景の一部のように暴力を振るったと語る城崎君に、強烈な違和感を覚えた。
近しい反応をしているであろうと思った常葉君は〝それは凄いね〟と言ってころころと笑っている。
決してそうだとは思えないが、もしかすると僕の感性が異常なんじゃないだろうか。自分だけ違う反応をしていると、そんな可能性を思い浮かべてしまう。
集団に依存せずに一人で自立した考えを持っていると思っていたが、こういうところはしっかり日本人気質らしい。
それにしても、、、そうか。
今日で二度目だというのに、城崎君は秘密を話せる程常葉君との仲を築けているのか。
常葉君もそれを邪険にする様子などなく、好意的に受け入れているように見える。
でも確かに、
何も分からない相手より、隠し事をせずに話してくれる人のほうが信用出来る。
信じてもらえないだろうと舟木君と梶田君の事を話せずにいたけど、
折を見て常葉君に話してみるのもいいかもしれない。
城崎君に話すのは常葉君の反応を見て少し時間を置いてからにしよう。
笑顔で暴力を振るうという事実は、理解している以上に心象に壁を打ち建てていた。
「それじゃあ葉月君。また明日」
昨日と同じように常葉君と、それに遠回りで着いて行く城崎君を見送って、独り寂しく帰宅する。
外の灯りでぼんやりと見える居間のテーブルには、
ラップをして置かれた夕飯と〝二十時には帰ります〟と母親の文字で書かれた置手紙があった。
そういえば、朝そんな事を言っていた気がする。
ぼんやりと聞いていたからうろ覚えだが、確かママ友同士で飲み会だと言っていたはず。
お酒が絡むと必ず予定していた時間を過ぎるから、少なくとも父親が帰って来る二十一時までは独りだろう。
ひとまず宿題と夕食は済ませるとして、残り二時間程自由に使える時間がある。
親によって行動を制限される小学生が滅多に得られない、自由に動ける夜の時間。
とはいっても一人で出来る事なんて限られていて、僕は半分無意識で懐中電灯を持ってガラクタ山へと向かっていた。
今日は新月。
ひと月に一度の月の光が落ちない夜。
月明りなど関係ないとばかりにいつも通り暗く染められたガラクタ山を慣れた足つきで登って、変わらずにあるぬいぐるみの山を懐中電灯で照らした。
予想はしていたが、ぐるりとぬいぐるみの周りを一周回ってもあの人物の姿は無い。
やはり満月の夜しかいないんだろう。
分かっていたはずなのに、勝手に淡い期待をしていた心は目に見えた落胆の色を持った。
真っ暗な中に一人しか居ないのに不思議と恐怖は無い。
ただ単に慣れたのか、前々から感じていた郷愁が馴染んだのか。
それは分からない。
それと、これは初めて分かった事だが、
このぬいぐるみの山に凭れ掛かっていると妙に安心する。
最近立て続けに襲ってきた様々な感情を宥められて、空になった心で月の無い空を眺めた。
次、常葉君と二人で帰れる事があったら、
その時は一人で抱えているものを正直に話そう。
そして、今度こそここに。
一緒に月を見に来よう。
そうすればきっと今以上に仲良くなれると思うから。
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