魔法術学校の【受付】——実は最強の処刑人
君川優樹
プロローグ
今まで数多の首を切り落としてきたが、自分の首を切られるのは初めてだった。
月明かりが照らす真夜中、俺は首を半分切られて血をゲエゲエ吐いている。目の前にはあまりにも大量の血がとめどなく流れており、それは口から出ているのか、頸動脈から噴き出しているのか、もはや定かではない。
「ハハハ……ざまあないねぇ!」
妙に甲高い耳障りな声が、頭上から響いた。
手で必死に首を押さえながら見上げると、そこにはいやに脚の長い、燃えるような赤髪の男が立っている。漆黒の装束に身を包んだその男——ジャドーは、俺がこれ以上ないほどボロボロな姿で全身血まみれとなり、手で支えていなくては頭が千切れ落ちそうになっている様を心底愉快そうに見下ろしている。
「“処刑人ヒューラ”ともあろう御方がぁ……油断しちゃったんじゃなーい?」
ギャハハハハ、と彼は笑った。
奴が笑っている間に、俺は首を押さえるのとは逆の手で、自分の獲物を取ろうと手を伸ばす。もはや自分は助からない。ならばこの男だけは、刺し違えても殺——
しかし、伸ばしたその手はガン!と踏みつけられた。長い脚から繰り出されたストンプは俺の前腕の骨を砕き、ボギリという鈍い音を鳴らす。何とか四つん這いで堪えていた俺は、その衝撃で頭から崩れ落ち、冷たい地面に這いつくばった。
「ダメ・ダメぇ……お前は死ななきゃいけないんだからさぁ」
もはや見上げることすら叶わない頭上から、神経を逆なでする声が響く。
俺の意識はすでに遠のき始めていた。血を失いすぎている。いくら押さえても、首から口から鼻から、捻った蛇口のように流れ出る。俺は額を地面に擦りつけながら、周囲を見た。俺と同じ目線の高さ——そこら中に倒れているのは死体、死体、死体、死体、死体、数え切れぬほどの死体である。全て俺が殺ったものだ。そうだ。これは罠だった。
処刑人として、戦いに明け暮れて数十年。
俺が執行するのは普通の死刑囚ではない。一般の執行官では手に負えず、魔法術の強烈な才覚を振るってなりふり構わず死刑から逃れようとする者たち——つまりは“極刑指定”である。そんないわくつきの強者たちを年中追って、狩ってを繰り返している内にいつの間にか老いさらばえた俺は最後の任務を言い渡され、この地へと仕舞いの執行に向かった。引退するはずだった。これが最後の仕事のはずだった。
しかしそこで待ち受けていたのは、大量の刺客たち。どうやら用済みらしい俺を始末するために用意された連中を何十人と返り討ちにしたところ、あと二人というところでさすがに老体が祟り、不覚を取ってしまった。あともう少しだけ若ければ、こんな連中に苦戦することなどなかったのに。
「しっかし本当に恐ろしい奴だな……手練れの執行官を40人、全員返り討ちかよ。強すぎて逆に引くわ。ジジイのくせに限度があるだろうよ」
ジャドーが言った。
「一応、人任せにしないで現場を見に来てよかったぜ。大事だよな、こーゆーの」
黙れ。俺は声帯を真っ二つにされていなかったら言い返してやりたかった。お前にやられたわけじゃない。最後の最後で俺の首を半分でも切り落とすことに成功したのは、そこに転がっている若者だ。俺が致命傷を負ったところでようやく姿を現した臆病者が、いっちょ前に達成感を覚え……ああ、くそ、血が……意識、が……
目が霞み、ついに目の前が真っ暗となっていく。
耳も遠くなっていく最中で、ジャドーはまだ笑っていた。
「ははははは! “最強の法術士”なんて言われたアンタが、無様な最期だなぁ!」
「がばれ……ご、の……」
「アンタ、言われてたぜぇ? 馬鹿真面目すぎるってな! 引退を機に金と地位でもせびってればよかったのに——
「…………」
もはや反応すら出来ないほど弱りきった脳で、俺はふと思い出す。
そういえば……たしかに。
以前、そんなことを聞かれたのだった。
首席執行官の地位を、引退したらどうすると。
爵位をやるから適当な国で大貴族として暮らさないかとか……重役として招くのがどうとか言っていたが……ぜんぶ興味が無かったので、断ったのだった。
俺が欲しかったのは、ただ一つだけ。
普通の生活だ。
物心ついた頃から親の顔も知らないまま訓練を受け、何十年と人の死に関わり、血を浴びて、悲鳴と命乞いを聞いてきたから……
処刑人を引退したら、その辺の街で清掃の仕事にでも就いて……普通の生活を送ってみたかった。普通の人達と関わって、仲良くなってみたかった。殺し合い以外の触れ合いをしてみたかった。死ぬまでに、任務のために捨ててきた人生を……ほんの少しだけでも、取り戻し、たか、った……
「無欲なコミュ障すぎて、かえっておっかねえってよ! 何考えてるかわかんねえうえに、お前強すぎるからさぁ! 引退する前に消すしかねえってなったわけだ! 何十年も真面目に仕えたのに、陰キャすぎて始末されるって可哀想すぎるだろ! ギャハハハハハ!」
もはや奴の声は、俺の耳には入って来ても脳では処理しきれていない。泥の中で眠るような最期の時に流れるやかましいメロディを聞きながら、俺は自分の意識を手放そうとしていた。
「それじゃあ今までお疲れ様っした、ヒューラ首席執行官殿! お前の地位は俺がしっかり継いでやるから——安心してくたばれよなぁ!」
そうだよなあ、と俺は最期に思う。
散々人の命を奪い続けて——あとは普通に暮らしたいなんて————
許さ、れ、ない、よな
そうして俺は死んだ。
はずだった。
ふと、目を覚ました。
俺は椅子に座っていた。
見てみれば、そこは遥か天上から降りる漆黒の幕によって囲まれた、途方もなく巨大な空間。椅子は一脚ではなく、無数にある。空間を埋め尽くすように立ち並ぶ木椅子は、そのどれもが血に塗れていた。
「………………?」
俺は状況がわからず、しばし呆けた。刺客を40人ほど片付けながら不覚を取り、散々罵倒されながら死んだはずだが……死後の世界があったとは驚きである。天国か地獄か、裁決でも下してくれるのだろうか。
目の前には漆喰を塗ったような荒い黒色の、証言台のような物体が立っていた。いや立っているというより、床から斜めに突き出て
「汝をここで裁く」
ふと声が聞こえた。
それは天上から聞こえたかと思うと、巨大な黒い影としてフワリ舞い降りる。
「汝の契約は、まだ果たされていない」
そんな声を響かせながら、巨大な影は奥の席に着座した。
「……契約とは?」
俺は聞いた。
「知っているはず。汝の生まれながらの契約を」
「いや、わからない」
「汝に判決を下す」
そんな声を響かせ、影は急速に膨張していった。それは周囲の全てを呑み込み、暗い影の中へと何もかもを落としていく。
「一度限り、死の
「待て、何のことだ――」
俺はそう言った。
倒れながら、そう言っていた。
「…………」
いつの間にか、俺は死んだはずの場所で倒れていた。
草葉が揺れ擦れる音だけが響く静寂の中、周囲には無数の死体。頬にへばりつく乾いた血溜まり。月は変わらず、冷たい光で辺りを照らしている。
俺はしばらく、その場で茫然として倒れ伏していた。しかし自分が生きていることにようやく気付くと、上体を起こして首を触る。半分断たれたはずの首が繋がっていた。着ていた衣服は血まみれのままだし、地面にも大量の血が乾いているが、俺は何故だか生きていて、しかも無傷のようだった。
さらに気付く。
両の手を見てみれば、細かな年輪が寄って厚く皺くちゃだったはずの手が、ハリツヤのある若年のそれに変わっていた。気付けば身体中に、まるで二十代にでも若返ったかのような活力が溢れている。咄嗟に顔に触れた。刻まれていたはずの皺と古傷が消え失せ、スベスベとした肌が指腹に滑った。
「なんだ……これは?」
呟きながら立ち上がり、ふらふらと歩いた。途中で剣を拾い上げると、近くに噴水があったことを思い出してそこに向かう。そうしてよろめきながら噴水に近づいた俺は、倒れ込むようにして頭上の月が浮かぶ水面を覗き込んだ。
水面に映る俺の顔は、若かった。
正確な年齢まではわからないが、おそらく20歳前後の顔立ちだろう。
顔に無数に刻まれていたはずの傷は皺と共に消え失せ、くすみきっていた肌にもハリツヤがある。瑞々しい唇はふっくらとした丸みを帯びて、溌溂とした若年の面構えを彩っていた。顔の美醜や美容になど拘ったことはなかったが、そのあまりの変貌ぶりを前にしては、静かな水鏡に映る自分の顔から目が離せない。
若返っている。
60歳そこそこであったはずの自分が、20歳ほどにまで。
「………………」
ありえない状況に頭を混乱させていると、目の奥が痛むような気がして噴水の縁に腰を預け座り込んだ。しばらく呆けたようにじっとして、口も半開きのままで思考を放棄していると、俺はふと息をつく。
どういうことか生き返り、どういうことか若返ったわけだ。
わかった。これが夢かあの世である可能性はまだ捨てきれないが、一旦受け入れよう。混乱したり戸惑ったりするのは、後からいくらでも出来る。
問題は、これからどうすべきかということ。
もはや地位も無い。金も無い。任務も無い。
なのに生き返り若返った身体で、どうすればいい。
夜闇の静寂の中で考えていると、俺の中にふつふつとした熱が湧き上がって来るのを感じる。数十年にわたる忠誠の見返りとして賜った裏切り。老いた死に体に叩きつけられた罵倒の嵐。全てを捨てて人生を捧げた職務、その最後に訪れた無残な死。
絶対に、許さん。
俺は復讐を胸に誓い、ゆるり立ち上がると、青暗い夜闇の中を歩き出した。
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