第1話 若返り

 死んで生き返り若返ってから、俺は一か月にわたって身を隠した。潜伏先は俺が無数に用意していた隠れ家の一つ。そこにじっと閉じ込もり、食料の確保を除いては一切外に出なかった。数十年にわたって特別な処刑人——首席執行官として勤めた俺は、その最期の任務で凄まじい裏切りにあって始末されかけたわけだが、実際には死ななかった。しかしその“死”を、より確実なものにする必要があった。


 俺が“死んでいる”という、間違った前提。


 裏切者に対するその絶対的優位をより強固な物とするため、俺は一か月にわたる外界との遮断を行った。神経質が過ぎるかもしれないが、生きて出歩いていれば何かしら起きるものである。見知った相手とどこかでバッタリと出くわすかもしれない。俺は四十歳近く若返っているわけだから、そんな事があっても基本は何ともないだろうが。しかしそれが奇妙な連鎖反応を起こし、風が吹いて桶屋が儲かり、俺が“生きている”かもしれないという風の噂がどこからか立ち昇る可能性は捨てきれない。そのため念を入れて、俺は一か月間の引きこもり生活を断行した。


 そうして潜伏期間を無事過ごすと、俺は真っすぐ馴染みの街へ向かう。

 クレアロン——別名、学部都市や監査都市とも呼ばれる華やかな街だ。道は広く清潔で、青々とした樹林がそこかしこに植えられている。道行く人々はみな洒落た格好をしており、心も懐も潤って仕方なさそうに見える。しかしそんな絢爛な輝きは強ければ強いほど、落とす影を濃く暗くするものである。クレアロンはひとたび裏路地に入れば、競争社会からあぶれた敗者たちの掃き溜め。乞食とも犯罪者とも区別できない者たちが貧困に喘いでいる姿をお目にかかることができる。フードを深く被ってそんな路地を通ると、とある建物裏の錆びついた扉に手をかけた。そこから地下へ繋がる階段が降りている。カツ・カツと足音を響かせながら一段ずつ下ると、いやに開けた空間が広がっていた。


 数多の書類に薬品、あらゆる物品が雑多に敷き詰められ足の踏み場もない地下室だ。煙草の煙で燻され煤けてボロボロの壁には、無数の武器や防具が立てかけられている。その奥の物とゴミに埋もれかかっている机には、背中を丸めて慎重にナイフを研いでいる老人——ゾイゼンが居た。


「…………ヒューラ、か」


 ゾイゼンはこちらを見ずにそう言った。ナイフを研ぐのに集中している彼の頭は、頭頂部まで禿げあがっていて、そこから伸び散らかされた白髪と髭が肩回りまで生い茂っている。彼はふと右手を伸ばすと、吸いかけの紙煙草をズイと吸った。


「よくわかったな」

「足音でわかるわい」


 そう言うと、ゾイゼンは椅子を引いて煙を吐き出した。奥を視認できないほど濃厚な煙が広がり、霧散する。あれだけの煙を肺に取り入れ続けて、よく声がしわがれる・・・・・程度で済んでいるものだ。


「死んだと聞いておったが?」

「こうして生きている」

「まあ驚かん。お前が寿命以外で死ぬようなタマでないことは……」


 かけていた片眼鏡を外しながらこちらを見たゾイゼンは、ふと固まった。彼の小さな目が細く絞り込まれ、深く刻まれた皺の中に埋もれて消えそうなほど目を凝らす。「ぁ?」と声を漏らし、彼は背筋を曲げたまま立ち上がった。そうしてヨタヨタとした足取りで近づくと、俺の顔をまじまじと眺める。


「若返った……のか?」


 ゾイゼンはさすがに驚いた様子で、そう尋ねた。


「そういうことになる」

「いったい、どんな魔法術を使うた?」

「それが、俺にもよくわからないんだ」

「ふん……若返りの秘術を独り占めする気か」

「そうじゃない。知っていたらお前にも教えているさ」


 俺は頭を掻きながらそう言った。


「ゾイゼン、頼みがある」

「なんじゃ」


 彼は口元の髭をクシャリと歪めてそう答えた。


 このゾイゼンは、俺が長年懇意にしてきた情報屋にして武器商人である。“極刑指定”の処刑執行——あるいは凶悪な犯罪者専門の暗殺者と言い替えてもいい——を生業としてきた俺は、任務に必要な装備や物品の調達、その他さまざまな情報収集を彼に頼ってきた。元は高級役人であったらしいのだが、とある・・・事情により指名手配となり、現在はこの掃き溜め暮らし。公僕として犯罪者とは組まないのが俺のセオリーであるが、これまたとある・・・経緯により特別に見逃すことになり、以来数十年にわたって密かに協力関係を結んできた。見た目通りの人嫌いで社会不適合者。しかしその口は岩よりも固く、何より腕に信頼が置けるジジイである。


「別人になりたい」


 俺はそう言った。


「偽造の身分証が必要か?」

「いや、実在の方がいい。別の人間に成り代わるんだ」

「それなら……」


 ゾイゼンは曲がった腰をさすりながら棚へ歩くと、そこから書類の束を取り出す。


「ここから選べ。色んな理由で色んな国にいられなくなった連中の身分証じゃ」


 差し出された書類の束を一つずつチェックすると、その中の一つに目が留まる。


「これがいい」

「ふむ、“ヨダレン”ね……」


 ゾイゼンは付け直した片眼鏡をクイと直しながら言った。


司法国家ロードの奴じゃな。借金で首が回らなくなって、ついこの前に飛んだらしい。使えるかと思って、金融屋から借金ごと買い取ったんじゃ。年齢は今年で20歳……」


 ゾイゼンは、若返った俺のことをチラリと見た。


「ピッタリじゃな」

「貰ってもいいか? 今は持ち合わせがない」


 俺はそう尋ねた。一か月にわたる潜伏生活で、隠れ家に仕舞っていた緊急用の貯えを使いきってしまっていた。別の隠れ家へ向かえば回収できなくもないが、すでに荒らされているかもしれない。目覚めたとき俺は放置されていたが、奴らが後に確認に来たとすれば、俺の死体が無いことにも気付くだろう。その場合、隠れ家は張られている可能性がある。いずれにせよ、はした金のために初動で余計なリスクは負いたくない。

 そんな懐事情を察してか、ゾイゼンはニヤリと笑う。


「お前は一番のお得意様じゃからな。復活祝い・・・・にしといたる」


 “ヨダレン”の身分証と彼の経歴等を纏めた書類を受け取ると、俺は地下室の品揃えをザッと見渡した。壁に飾られた派手な武器や珍しい装備の数々に目移りするが、その中で目についた色眼鏡をふと手に取る。角ばった銀縁の眼鏡で、レンズは淡い黄色味を帯びていた。


「これも欲しい」

「何に使う。若返って色気づいたか?」

「いや」


 色眼鏡をかけてみると、壁にかかった小汚い鏡で自分の見え方を確認する。やはり眼鏡があると無いとでは印象が全く異なる。これから“ヨダレン”として動くために、これは必須だろう。


「目元を隠したいんだ。40歳以上若返ったとはいえ、俺だとバレたくない」

「他には?」

「これで十分だ。謝礼はまた、金の工面がついたら払いに来る」

「これから、どうするつもりじゃ」


 用件を済ませ出て行こうとした背中に、ゾイゼンがしわがれた声をかけた。


「お前は死んだことになっておる。大々的に報じられておったんじゃぞ……最強の法術士、“処刑人ヒューラ”……任務中に殉職、とな」


 それを聞いて、驚きはなかった。最後の任務と偽られての裏切り。俺は始末されかけたのだ。奴らがそれを成功したものだと思っているなら——もしそうでなくとも——俺を消した以上、対外的にはそう報じるはずだろう。


「おおかた……奴らに裏切られて、始末されかけたんじゃろうが。もう地位も任務もあるまい。その身分証と色眼鏡で、別の人生を歩むつもりか?」

「…………」


 俺は答えなかった。返答を待っていたゾイゼンは、ふと諦めて口を開く。


「ワシは……それでもいいと思っておる」


 ゾイゼンはゴホと咳をしながら机に近づくと、しけった煙草に火を点けた。


「もう何十年と、お前が孤独に、狩りに出るのを見送って来たからのう……姿を消すつもりなら、それで構わん……謝礼も払いに来なくていい。顔を見せずに、どこかで静かに、強く生まれたがゆえに失った人生を取り戻すといい。ワシもお前と一緒に、引退か……」

「ゾイゼン、何を勘違いしている」


 俺は口を挟んだ。


「まだ、任務は残っている」

「……なんじゃと? 誰に頼まれた」

「俺が、俺自身に課した」


 息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 そうしてゾイゼンを見据えると、俺は自分自身に言い聞かせるように宣言する。


「裏切者たちを……“執行”する。何十年という忠誠の見返りに、血反吐を吐かされ踏みにじられたんだ。このままでいられるか」


 その言葉を聞いて、ゾイゼンは一瞬呆けたように固まった。

 しかし次の瞬間には、顔の皺をグシャリと寄せて笑う。


「それでこそ、ヒューラじゃ……!」

「手伝ってくれるか、ゾイゼン」

「ああ、いいともさ。それなら……つまりは……」


 彼の小さな目が見開かれて、興奮したような上擦った声が響く。


「奴らの根城——魔法術学校トリスティンロットに、潜入するということじゃな!」

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